静岡市から浜松市に移動してきました。
浜松は、若き徳川家康が天下人への礎を築いた出世の場所。
まずは浜松城に向かいます。
立派な天守閣が復元されています。
徳川家康がここを拠点としたのは、29歳~45歳までの17年間です。
まさに脂が一番乗っている時期です。
若き日の徳川家康公像
「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」が浜松城公園内にあります。
浜松城のすぐ東側にあるのが、元城町東照宮です。
ここは、浜松城築城前に家康が拠点にした引間城があったところ。
今は東照宮があって、「出世神社」と呼ばれます。
その象徴がこの家康と秀吉の像。
家康像は、31歳の時の姿と説明があります。でもお顔を見ると、髭を生やした風貌は、とても31歳には見えません。
あとなんで秀吉も一緒なの?という疑問が・・・
実は秀吉が16歳の時に浜松に来て、初めて松下家に仕官し武士への足掛かりを掴んだそうなんです。
ところでこの2つの像は、間がちゃんと空いていて、ここでポーズを取って立って写真を撮れるようになっているんです。
次に向かったのは、五社神社・諏訪神社。
ふたつの神社名が並んでいる、ちょっと奇妙な神社です。
元々は、別の神社だったそうですが、昭和37年(1962年)に、両社が合祀されて、ひとつの神社になったそうです。
その時に単純に旧神社名を並べて新神社名にした訳です。
ここは、家康が2代将軍秀忠誕生に当たり整備した神社です。
とても大きな狛犬がいるのが特徴です。
大河ドラマ「どうする家康」では、正妻の築山殿(瀬名)を有村架純が演じていて、今のところは家康と仲睦まじい夫婦です。
でもこの後で悲劇が待っている訳で、それは浜松時代に起こります。
家康に殺された築山殿が葬られたお寺、西来院があるというので、訪問しました。
「月窟廟(げっくつびょう)」という名前の墓所に築山殿は静かに眠っています。
境内には、ちょうど藤の花が見頃を迎えていました。
家康は浜松時代に、姉川、長篠、小牧・長久手の戦いといった有名な戦を経験しました。
でも最も取り上げられるのは、武田信玄率いる武田軍と戦った三方ヶ原の合戦です。
家康の生涯で最大の敗戦で、ここで大負けしたことが、逆にのちの天下取りに繋がったと言われています。
さいががけ
史跡としては、犀ヶ崖古戦場という三方ヶ原の合戦の最後に戦場となった場所が残されています。
深い谷が今も残っていて、徳川軍が奇襲し多くの武田兵が崖から落ちて亡くなったとのことです。
これで武田軍は浜松城攻撃を中止しました。
資料館が併設されていて、ボランティアの方が対応してくれます。
三方ヶ原の合戦で敗退し逃げ帰った家康が武田軍に見つからないように隠れたのが、浜松八幡宮の大きな楠の洞穴です。
行ってみると、立派な楠の大木がありました。「雲立の楠」と呼ばれ、樹齢1000年になるそうです。










