先日、山科本願寺関連の散策を紹介しましたが、今日は山科の新十条通周辺の寺社、史跡の散策です。
山科義士まつり終了後に、日暮れまでの時間に散策しました。
まず花山稲荷神社。名前に「花山」と付いているのは、花山天皇が篤く崇敬されたからだそうです。
大石内蔵助が隠棲した岩屋寺の近くで、大石内蔵助が討入りの大願成就を祈願した神社です。
本殿の前に大石内蔵助が同志から討入りの血判を取ったと言われる血判石があります。
この石の上で血判状に血で捺させたということらしいです。
大石内蔵助が寄進したという鳥居もあるのですが、なんと本殿の裏側に立てかけてあるだけ??
それもほとんど気づかれないような場所と置き方。ちゃんと目立つところに設置できないものでしょうか?
境内の奥に行くと、小さな摂社がたくさんあります。
お稲荷さんなので、狐の石像もあちこちに。
次は折上稲荷神社です。
伏見稲荷と共に最古の稲荷神と言われています。
場所がちょうど伏見稲荷のある稲荷山の裏側になります。そのため、「伏見稲荷の奥の宮」といわれているんです。
また「働く女性の守り神」とも呼ばれているそうです。
江戸時代末期、孝明天皇に仕える女官たちが病気になったため、こちらの神社で御祈祷したところ、女官たちが奇跡的に回復したと伝わっています。
モルガンお雪さんから信仰された神社としても有名です。
モルガンお雪さんは、アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥から求婚されて結婚した芸妓さんで、「日本のシンデレラ」と呼ばれますが、その後は波乱の人生を送ります。
そんなモルガンお雪さんが特に信仰していたのが、こちらのひょうたん大神。
折上稲荷神社は、女性の社長や起業家、ОL、女性芸能人がお忍びで参拝される神社なんだとか。
境内には、小さな山になった稲荷塚があって、摂社などが多数祀られています。
「稲荷塚ご利益めぐり」という案内図も貼り出されていました。
折上稲荷神社から新十条通を渡って南側に行くと、宮道朝臣列子(みやじあそんれっし)の墓が住宅街の中にひっそりとあります。
小高い古墳があって、階段を登るとその上にお墓があります。
「宮道朝臣列子墓」と表示されています。
宮道列子という女性は、日本で最初の「玉の輿」といわれる人なんです。
そしてあの紫式部の先祖に当たる人でもあります。
列子は、藤原氏の内大臣・藤原高藤に見初められ、その妻になることを一途に信じることで身分の差を乗り越えて結婚することが出来たそうです。
さらに列子の娘が宇多天皇の女御となり、醍醐天皇になる子を生みます。
こうして列子は天皇の外祖母になることができたということです。
身分格差のあった高藤と列子が結ばれた話は、源氏物語の光源氏と明石の御方らの恋の話のモデルになったとも言われています。
紫式部が藤原高藤・列子の子孫なので、そのように考えられているようです。
この辺りは藤原氏の祖先にあたる中臣氏が治めていた土地でもあります。
近くに中臣遺跡を示す石標がありました。
すぐそばにもうひとつ著名な人のお墓がありました。それは坂上田村麻呂です。
公園の奥にかなり大きなお墓があります。
遺骸に甲冑を着せて内裏の方向を向いて立った姿で葬ったといわれています。
ここから都を守ってくれ、ということですね。
以上で1時間ちょっとの散策でした。
山科のかなり狭いエリアにこれだけの社寺、史跡があって、様々な時代の歴史が詰まった土地なんだなと再認識しました。