広沢池の鯉揚げを見に来たついでに、池の周辺を散策しました。
広沢池の東側、京都バスの山越というバス停で降りましたが、すぐそばに「千代の古道」の道標石碑がありました。
「千代の古道(ちよのふるみち)」というのは、平安時代に天皇や貴族が北嵯峨野(大覚寺)に通った道のことだと最近知りました。
一本の道ではなくて、この周辺にいくつもあり、このような道標石碑がいくつも設置されているそうです。
少し進むと、印空寺という小さな寺院があります。
ここは、御室御所の門跡が外出する際の休憩所だったところだそうです。
観光寺院でもなくひっそりしていますが、枯山水の庭はきれいに整備されていました。
広沢池の畔には、兒(ちご)神社があります。
ホンモノのモミジの落ち葉を使った手作りの栞が置かれていました。
これを作っているというおじさんが、たまたま境内にいらっしゃいました。
ありがたいことです。
兒の石椅子というものもありました。
この石椅子に座ってお願い事をすると叶えられるそうです。長命、安産、縁結びにご利益があります。
かつて広沢池の湖畔にまで境内地が広がっていた遍照寺が池のそばにあります。
重文に指定されている十一面観音立像、赤不動明王があるそうです。
事前に申し込めば拝観できるみたいですが、予約していないので、スルー。
境内を見させてもらいましたが、驚くほどきれいに手入れがされていました。
読経の声が響いていました。
そこから南に下ると、安堵の塔(ルルゲさん)というちょっと変わった名前の石碑のようなものが道端にひっそりあります。
日蓮の孫弟子の僧が他宗徒に襲われた時に逃げ込んだ古墳の蓋の石だそうです。
災難を避けるご利益があると信仰されてきたそうです。
そこから西に向かうと、嵯峨油掛地蔵があります。
ここは今もご近所の方々に信仰されていることが良く分かるお地蔵さんです。
おばあちゃんがお祈りされていました。
鎌倉時代からここにあるそうです。
名前の通り水の代わりに油を掛けます。
狭いエリアですが、ちょっと散策しただけで、歴史ある史跡にこれだけ出会うことができる嵯峨野の奥深さを感じられました。