こんにちは

 

頑張らない楽しむ

 

ポンコツ整体師の

村上かずおです。

 

今は、ひとり整体院をしていますが

 

22年勤めた会社を退社して

45歳から整体を初めました。

 

おかげさまで、皆様に可愛がっていただき

10年続けております。

 

自分では、想像もつかない人生を過ごしています。

 

その世界観をお話します。

 

 

僕の父親は、四国から九州、親戚を頼って北海道に渡ってきました。

父親は、口調がきつく、短気で厳格な昭和の人間です。

 

父親は自営業者で、母親は父親の手伝いをする生活でした。

両親は毎日が忙しく貧しかったから、朝から晩まで僕はひとりぼっちの生活。

 

感情の起伏が激しかったように思います。

家にいる場所がなく、ひとりで公園で遊ぶようになる。

 

公園では、同じくらい子と遊ぶが

その親の見えないところで、嫌がらせをしていました。

 

いつも何かに怒っているような感覚があったように思います。

 

 

強く記憶にあるのが、人の車の上にのり

跳ね上がり、車をへこましたことです。

 

僕は、母に連れて行かれ、持ち主にあやまりに

母親は、平謝りをしていたのを、今でも覚えています。

 

その後、家に帰ると父親から怒られ

灯油の匂いがする、物置に暗くなるまで入れられました。

 

暗く、狭い物置は怖く泣いていると

父親が来て、まだ泣いているか!と、また怒られた記憶があります。

 

その後、高額の修理代を請求され

支払に母は困っていました。

 

父親は高額の修理代を請求され怒り

僕に、怒り爆発させました。

 

母も止めに入りましたが、父親には逆らえず口出しすると母親も叱られていました。

 

 

いまでも、いとこに会えば言われますが

親戚が集まった時です。

 

僕は、いとこの持っていたアメを取ったり、隠したり

泣いているのに知らんぷり

 

髪を引っ張って離さず、泣かしたりとそれはひどかったみたいです。

僕より6つ歳のはなれたお兄ちゃんも泣かしたりと

 

愛情不足、欲求不満の塊りです。

 

幼稚園に入った頃、みんなで遊ぶのは好きでしたが

何かあったら、すぐに傷ついたり、怒ったりすることが多かったです。

 

友達と遊んでいて気にくわないとすぐにケンカになってしまう

僕の欲求不満の爆発場所です。

 

ある日、友達とケンカをした時、お腹を蹴られ

家に帰ると気分悪く嘔吐し、母は心配になり急いで病院へ

 

その後、緊急入院となるが

父親は母にむかって

 

帰るぞ!

 

母も父親には、何も言えず帰ってしまいました。

 

寂しかったのを覚えています。

 

愛情不足、欲求不満という感情も日常的に感じていました。

僕は何かが欠けているような気持ちにもなり

 

 

これらの感情が積み重なり、僕の性格は

とても歪んでいきました。

 

厳格な父親とのコミニケーションが上手くいかず

僕は父親の言うことを聞くのが嫌と感じるように

 

 

 

ここまでお読みいただき

ありがとうございます。

 

~つづく~

次回:世界観『第2話 もがき苦しむ幼少期』