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今日の一曲!BIGMAMA「誰が為のレクイエム」

 

レビュー対象:「誰が為のレクイエム」(2019)

 

 

 今回取り上げる楽曲は、メンバーにヴァイオリニストを擁して瀟洒且つ重厚なサウンドに特色のある5人組ロックバンド・BIGMAMAの「誰が為のレクイエム」です。こうして当ブログ上にアーティストの単独記事を作成するのは初ですが、アプリゲーム『SHOW BY ROCK!!』内に楽曲が幾つか実装されていた関係で、タイアップバンド名・Spectrenotesとしてのレビューなら過去に行ったことがあります。短評を以下にセルフ引用しますと ――

 

 クラシックを大胆に取り入れてヴァイオリンも目立つナンバーとの観点では「Swan Song」が好みで、小刻みなドラムスとパワフルなスラップベースを序奏に、チャイコフスキーによるバレエ音楽『白鳥の湖』から最も有名なフレーズ(「情景」のオーボエソロ)が飛び出してくるアレンジを聴くだけでも、彼らの得意とするサウンドが一発で理解出来ます。ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』の第4楽章を下敷きにした「荒狂曲”シンセカイ”」も格好良く、原曲に潜むロック的なファクターが巧く抽出されていて聴き易いです。

 

 ―― という風に、ロックとクラシックを融合させた「Roclassickシリーズ」に惹かれた旨を表明していました。「誰が為~」もこの系譜にある楽曲で、ヴェルディの「レクイエム - 怒りの日」(1874)を下敷きにしています。ちなみに前回の「今日の一曲!」に取り立てたしぐれういさん最大のヒット曲「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」(2022)も元ネタを同じくしており(YouTubeリンク)、そこからの連想ゲームで今回の選曲と相成りました。片や迫真のロックラシック、片やキュートな電波ソングと、聴き比べて解釈と再構成の面白さにふれてみるのも一興です。

 

 

 

収録先:『Roclassick ~the Last~』(2019)

 

 

 本曲の収録先はナンバリング外のコンセプトアルバム『Roclassick ~the Last~』で、題名通りシリーズのラストを飾る3枚目にして完結作となっています。先の短評は前々作『Roclassick』(2010)および前作『Roclassick2』(2014)の頃を対象としたものでしたが、枚数を重ねる度に原曲を巧みにバンドの楽曲に落とし込むスキルの向上が感じられるため本作こそ最高傑作であるとの認識です。

 

 事実自作のプレイリストに於けるBIGMAMAのnの数15*3=45曲のうち同シリーズからは都合9曲を登録していて、アルバム毎の内訳は無印が1曲|2が4曲|Lastが4曲となっています。上位n曲の範囲を序数詞で区分したリスト毎の内訳では、1stに「Royalize」「誰が為~」「高嶺の花のワルツ」、2ndに「LEMONADE」「Moonlight」「あなたの声で僕の名を呼んで」「荒狂曲~」、3rdに「No.9」「Swan~」なので、1stと2ndに2曲ずつ振り分けられているLastが最も高評価というわけです。

 

 なお初回限定盤にのみ付属の入門ディスク「the Must」には過去の数曲がリマスタリング済で収録されており、上記のラインナップでは「Moon~」以外を全てカバー出来るためこれから手を出そうという方には強くオススメします。

 

 

歌詞(作詞:金井政人

 

 原曲が存在する以上、本曲のオリジナリティに最大限寄与しているのはその歌詞世界です。作詞者コメント(公式サイトリンク)やインタビュー記事を読む限り(BARKSリンク)、元ネタの世界観や時代背景から着想を得た面はあるようですが、レクイエムの訳語である「鎮魂歌」の字面から受けるスタティックな印象に疑問を抱き、魂の解放をイメージして死を賭すことの美しさにフォーカスした内容はユニークだと思います。教義としての「怒りの日」もその内容はダイナミックですしね。

 

 

 解釈が割れることで有名な"いざ生きめやも"がいきなり登場するも、これは誤訳(と言われているほう)を敢えて採用したものでしょう。つまり原詩の「生を諦めるな」的な意味ではなく、めやもの推量+詠嘆+反語が反映された「死んでもいい」が中心的意味だろうとの理解です。実際「死ぬ気になれば何でも出来る」*という言説があるように、その是非や真偽はともかくとして個人的には死んでもいいやがイコールで生を諦めることにはならないと考えるので、あながち誤訳とも言い切れないのではとの立場を取ります。

 

 * 亜種として「死ぬ気でやれば~」もあるけれど、なればとやればでは随分意味合いが異なるため、ここで思想として肯定したいのは前者です。更に言えば「ば」の仮定を重んじており、自身の心身を擦り減らしてまで死ぬ気の状態に身を置けと説きたいのではなく(やればを否定する理由もこれ)、そのような心持でいることが存えられる秘訣であるとの境地、ハイデガーで言うところの「死への存在」や「先駆的覚悟」を引用したいと思います。この記事の「Nowhere」の項やこの記事の「環境と心理」の項も私的な死生観の参考になるかもしれません。

 

 これらをシンプルイズベストにしたのが"覚悟を決めろ/美しきフィナーレに"で、金井さんからのキャプション「何かしらにとどめを刺して決着をつけたいあなたに」に勇気付けられます。その実態を泥臭く描いているのがまた素敵で、ルビや当て字のセンスが高い"天国の免罪符[パスポート]/安売りの贋物[まがいもの]/ここで失敗るのならば/ただそれまでの運命"と、ビハインドの説明が僕の持つナルシズムに合致していて大好きです。

 

 その後の"恐れることなく/鐘を鳴らせ/未来へ飛び込めば/光となれ"だけを取り立てると非常に前向きですが、編曲と相俟って続くスタンザが謳う希望の実態は生易しいものではありません。"生きるとは箒星/片道の物語/薄れ消えゆくのならせめて/燃え尽きて死なせて"と見事な暗喩で人生の本質を捉えるところから始まり、"何もかも燃え尽きても/消えやしない生きた証を"と後世に賭けて終わる一生を実現するには、幾度も繰り返される鎮魂のため(本来的には死者の安息を願うため)の"Ring a bell"を生きている間に聴かなければならないと言えます。

 

 生者に送るレクイエムとは矛盾を孕んでいるものの、その鐘の音は"貴方が為に希望を鳴らせ"の下に響き渡っており、死ぬ気で生きた果てに聴こえるであろう「誰が為のレクイエム」の"誰"とは"貴方"であると、生きているうちに解き明かすことが出来れば死を畏れることはないとの気付きに至れるからです。本曲はその手助けをするのに打って付けで、原曲に照らして怒れる原動力を有している人には尚の事突き刺さるでしょう。

 

 

メロディ(作曲:Giuseppe F.F. VerdiBIGMAMA)

 

 

 クレジットの表記上ではBIGMAMAだけを記しても問題ないのですが、旋律の借用が多いのでヴェルディの名前も並記しておきました。"Get it done"のセクションのようにオリジナルに忠実な音運びを見せたり、"恐れることなく"のセクションのようにオリジナルをオケとボーカルに分担させて間隙を縫うような形でメロディを構築したりと、ラテン語の原曲をモーラ言語に特有の拍に馴染ませる努力が窺えます。

 

 別けても"天国の免罪符"および"生きるとは箒星"のセクションはメロの作り方が上手だと感じ、本曲で言えば冒頭の"今がまさにその時"の部分を発展させたラインが印象的です。原曲のコーラスで言うとiræ(2回目)のiがロングトーンになる部分、三連符が三回出てくるところ(タタタ・タタタ・タタタ・タン)と表せば伝わるでしょうか。それ自体がトリッキーなリズム感で耳に残り易く、ゆえに"思い残すことはない"や"決して色褪せることのない"での更なる逸脱が心地好いです。

 

 次第に熱量を帯びていく"Ring a bell"の変化も聴き所で、反響を重ねて存在感を増していく蓋し鐘の在り様にカンパノロジーの奥深さを聴き、ラストは高らかに打ち鳴らせと言わんばかりの熱唱で滾ります。

 

 

 

アレンジ(編曲:沢田完・BIGMAMA)

 

 数々の有名TVドラマの劇伴や映画ドラえもんの音楽を多く手掛けている沢田完さん(Wikipediaリンク)を編曲に迎えているため、普段以上にオーケストレーションの完成度が高いです。原曲の轟雷の如きけたたましい導入部はしっかり仰々しく再現されていますし、"光となれ"を合図に俄にナラティブな展開を見せる間奏部のゴシックなサウンドデザインは、聴く者に一層の光を意識させるために深い幽暗へと誘う役目を果たしています。

 

 この流れを受け継ぐ次のパートではキックが電子音楽らしく振る舞い出す点がまずツボで、早鐘のテンポが命の残り火を消費しながら生き急ぐ我々の心臓から写し取ったかのようで危ういです。チャイムとベルのコンビネーションに無数のシンチレーションを幻視し一見すると綺麗だけれど、流麗なクワイアに嘆きの色を察すると途端に苛烈な絵図が浮かんできます。誰がいちばん派手に燃え尽きられるかコンペティションに全員で参加しているわけですからね。それでも[2:27~]の明るいテンションのストリングスが自身の特別さを演出してくれるので、本曲のリスナーに限っては一歩リードの愉悦を味わえます。

 

 バンドキャリアの観点から語ると、本アルバムを最後に脱退してしまったリアド偉武さんのドラムスが名残惜しいです。本曲のギャロッピングなプレイに宿る我武者羅さが、命を顧みず突き進むスタンスにマッチしており官能的だと絶賛します。

 

 

 
 

BIGMAMAの魅力はクラシックありきじゃないよという話

 

 先掲したBARKSの記事の1ページ目にて明かされている通り、曰く「エサ」や「他力本願」であることにジレンマを抱えていたというのが、「Roclassickシリーズ」に終止符を打った理由の一つだそうです。斯くいう僕も長らくこの餌に釣られていたタイプでして、金井さんに悔しい思いをさせていた一人だと白状します。

 

 しかしそれは過去の話で、収録先の項に開示した自作のプレイリスト45曲のうち同シリーズからが9曲ということは、つまり残りの36曲は100%オリジナルのナンバーを気に入っているというです。例えばリストの1stから15-3曲の12曲を昇順に全てアップしてみると、「A KITE」「BLINKSTONEの真実を」「CRYSTAL CLEAR」「Frozen Diamond ~漂う宝石~」「Ghost leg」「I'm Standing on the Scaffold」「Make Up Your Mind」「mummy mummy」「MUTOPIA」「Sweet Dreams」「君想う、故に我在り」「ファビュラ・フィビュラ」となり、幅広く好んでいることが解るかと思います。

 

 

 ここから更に絞り込んで敢えてトップ3を決めるなら、「Ghost~」(2018)と「Make Up~」(2017)と「君想う~」(2013)が最大級のフェイバリットです。次点は「CRYSTAL~」(2017)と「Frozen~」(2015)と「Sweet~」(2014)で迷いました。

 

 日常を切り取った歌も社会をひねくれた目線で見た歌も恥ずかしいくらいのラブソングの何れも着眼点や表現方法が独特で感心しますし、何より作詞の項に述べた「僕の持つナルシズムに合致」することが多々あるので、若い頃の感性を追憶するような聴き方をしています。実際若い頃に聴いていたアーティストに同様の想いを抱くことは珍しくなくある意味当然ですが、そういうわけではないのにこのカテゴリに入り込んできたのが稀有なところです。

 

 きちんとメロディアスな楽曲が多いのも高評価ポイントでJ-POP的と言いましょうか、もっと広く国民的に受けるバンドの立ち位置を狙えるポテンシャルがあると感じます。かと言ってロックバンドとして格落ちでは決してなく、ハードなサウンドもお手の物との認識です。ヴァイオリンの取り入れ方も実に好い塩梅で、他の類似サウンドに於いては不足か過剰の印象を受けることが多いのに、BIGMAMAのそれはバンドの鳴らす音と調和が取れていて幸せなマリアージュだと太鼓判を捺せます。今この文脈で紹介するなら「Frozen Diamond ~漂う宝石~」がとてもユニークで布教に適しているだろうと感性が言うので、個人的トップ3を差し置いて以下にアートトラックを埋め込んでおきました。