『無罪モラトリアム』収録の悦楽編とはアレンジに違いのある椎名林檎「幸福論」シングル版の感想です。 | A Flood of Music

今日の一曲!椎名林檎「幸福論」【平成10年の楽曲】

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第十弾です。【追記ここまで】

 平成10年分の「今日の一曲!」は椎名林檎の「幸福論」(1998)です。デビューシングル曲ゆえに楽曲自体は有名かと思いますが、評価が高くセールス的にも好調だった1stアルバム『無罪モラトリアム』(1999)に収録されているのは、同曲を大胆にアレンジした「幸福論 (悦楽編)」であるため、意外とオリジナルを聴いたことがない方も多いのではと踏んでいます。従って、初出年の違いも理由となりますが、本記事で扱うのは無印の「幸福論」のみであることをご容赦ください。

幸福論幸福論
4,540円
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 上掲リンクは翌年に収録曲を増やして12cmでリリースされた際のディスクで、僕が所持しているのもこれです。その他の収録先は限定生産のCD/DVD-BOX『MoRA』(2008)しかないので、いずれにせよフィジカルでの音源入手はニッチでしょう。Amazonで新品の値段が高いのも、この希少性ゆえかと推測します。

 ちなみに8cmのほうは中古しかなく、流石に定価よりは安くなっているものが殆どでしたが、プレミアが付いているのかどれも投げ売り価格ではありませんでした。とはいえ配信ではすぐに購入出来ますし、こうしてYouTubeにもオフィシャルにMVがアップされているため、聴くだけなら容易です。




 「悦楽編」の破壊的な音作りも嫌いではありませんが、歌詞の素直さとメロディの綺麗さを尊重すれば、この明るめのアレンジで元来より高い完成度を誇っていたと個人的には考えています。

 昨年リリースされたトリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』(2018)では、20年越しにレキシが本曲をカバーしていて、そのハッピーなサウンドからはオリジナルに近い印象を受けました。ホーンセクションの存在で一段とキラキラ具合を増した編曲が素晴らしく、やはりポジティブな音解釈が似合うナンバーだよなということを再認識させられた思いです。



 一方でオリジナルに管楽器の類は登場せず、骨子はバンドサウンドで成り立っていると言っていいでしょう。しかし、その実重要なのは博士(北城"プロトウー"浩志)の手腕だとの認識も抱いており、氏のお名前は「機械シンセサイザー」と「録音や操作」にクレジットされています。前者はそのままシンセのことだとして、後者はマニピュレーターとしてのプレイも楽曲に反映されていることの表示だと受け取りましたが、要するにバンドによって構築された基本的な音像に加えて、補助的な役割をこなしている音および旋律も大切で、そこにこそ本曲のポジティブネスの正体があると主張したいのです。

 もう少し具体的にしますと、ここで言及の対象としているのは、イントロ・1番後の間奏・アウトロで聴こえるストリングス系統のサウンドで(別の楽器が奏でている音を誤解している可能性もありますが、役割的にはストリングスだろうということで便宜上の表現です)、伴奏部に於いてメインフレーズを担っている音と換言しても構いません。弦らしいメロディアスさとリズミカルさを併せ持っているのが特徴で、それゆえに直往邁進もしくは未来志向の趣を感じ取ることが出来、本曲を聴いて鼓舞された或いは勇気付けられたような心持になる所以は、この特性に求められると分析しています。


 これだけだとバンドサウンド軽視に取られかねないので補足しますと、リズム隊の堅実なプレイも前向きさに寄与するものとして相乗効果を発揮しており、お馴染みの師匠(亀田"リチパン"誠治)による安定感のあるベースラインと、頭に'律儀'と冠されているのにも納得の部長代理(河村"カイヴン"母介)による確かなドラムスは、先述の「鼓舞された~心持になる」を下支えしているファクターです。

 また、殿下(西川"チョーキン"進)によるギターは、ポジティブネスの中に滲んだ不安や迷いを切り取る役割を与えられているとの理解で、とりわけ2番後間奏の切なさを纏ったソロを聴けば、本曲が無責任な肯定にだけ基づくものではないと感覚でわかるでしょう。サビ裏の副旋律じみたプレイも、それ自体では格好良い仕上がりとなっていますが、1番と2番のそれとソロを経てからのラスサビのそれとでは、受けるイメージもまた異なる(=後者のほうがよりセンチメンタルな)気がするので、ギターの表情豊かな面を引き出すことに成功している点でも絶賛したいです。


 曲名通りの幸福なアレンジが立てる旋律と歌詞も、それに相応しいだけの正直なものとなっています。メロディに関してはシンプルに美しいだとか、口遊みたくなるようなキャッチーさがあるといった感想で端的に表せると思うので、これ以上の掘り下げはしないでおきますが、歌詞については特筆性があると感じていて、情報量や表現力の多寡の観点から後に出る数々の楽曲群との比較を試みると、本曲のストレートさは殊更に際立ったものであると言わざるを得ません。

 立ち上がりの"本当のしあわせを 探したときに/愛し愛されたいと考えるようになりました"でも、サビの"時の流れと空の色に/何も望みはしない様に"でも、2番Aの"本当のしあわせは目に映らずに/案外傍にあって気付かずにいたのですが"でも、結びの"君が其処に生きているという真実だけで/幸福なのです"でも、何処を例示しても構いませんが、共通するのは根源的な正道の見方が披露されているところです。

 デビュー曲ではあるのですが、寧ろキャリアを重ねたミュージシャンが何周も回って辿り着く境地を歌い上げているような、この単純明快な言葉繰りが翻って感慨深く、複雑性が解けていく時の心地好さに勝る幸福はないと言わんばかりの、素敵な歌詞に感動を覚えました。これはまさに「幸福論」ですね。


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