椎名林檎×斎藤ネコ「花魁 courtesan」レビュー 花魁英語 歌詞 意味 | A Flood of Music

今日の一曲!椎名林檎×斎藤ネコ「花魁 courtesan」

 「今日の一曲!」は、椎名林檎×斎藤ネコの「花魁 courtesan」(2007)です。アルバム『平成風俗』収録曲。

 この名義での楽曲は今まできちんと取り上げたことがなかったので、今回はここから選曲するに至ったわけですが、同盤の中という範疇に止まらず、ソロ名義も含めて林檎女史が携わった楽曲という大きな括りで比較しても、本曲はかなりのお気に入りだと言えるため、単純に紹介したいという動機のほうが強いです。加えて、平成が終わる前に『平成風俗』を振り返るべきじゃないかとの思いも、後付けですが芽生えていたことを補足しておきます。



 同盤は音楽監督を女史が務めた映画『さくらん』を土台とした一枚で…ということを書き出すと長くなるので、詳細は各自で調べていただくとして、本記事では制作背景にはあまりこだわらずに、素直に楽曲の魅力に迫っていくことにします。

 ただ、最低限の情報として本曲に関するクレジットは開示しておきますが、作詞・作曲は東京事変でもお馴染みの浮雲さんによるもので、女史の名前は英訳・打込に登場し、管弦編曲・指揮をネコさんが担い、演奏はナダタルオーケストラ(コンマス:グレート栄田さん)が行ったというのが、CD付属の冊子に掲載されている情報です。勿論オケのメンバーの名前も担当楽器と共に連ねられていますが、ハープが朝川朋之さんだったということは、前に氏についてふれたこの記事では言及していませんでしたね。反省。


 ※ 表示されている価格は定価以上です。

 さて、本曲を甚く好いている理由は何かと問われれば、まず歌詞の良さを挙げたいです。本曲は全て英語で歌われているのですが、先に「英訳」と書いたことからも察せる通り、これには元となる日本語詞が存在します。CD版の歌詞カードには訳詞しか載っていませんが、DVD-Audio版の『平成風俗 大吟醸』には原詞も記載されており、浮雲さんによる提供であることが顕著な表示の仕方です。

 音源として存在するかまでは調べられなかったのですが、彼が本名名義で参加しているバンド・ペトロールズのナンバーとしては、原詞のままでライブで披露されているようなので、同バンドのファンからしたらこちらはカバー曲のような扱いになるんでしょうかね。ただ、女史曰く「2002年の作品」だそうなので、バンドの結成年より前の曲であることを考慮すると、どちらを初出と言っていいのかわからなくなる面があります。更にややこしいことに、本作の発売前には東京事変名義でもライブで披露されているので、浮雲さんの持ち歌を元として、それぞれの解釈の全てが初出であると、包括的な見方をするのが吉かもしれません。

 従って、日本語詞と英語詞のどちらが優れているかなどの議論をするつもりはないのですが、僕の訳詞鑑賞に於ける楽しみ方のひとつとして、旋律に合わせるために挿入された補足的なフレーズに注目する;厳密にはそれらと原詞を比較対照するというものがあるので、翻訳の妙が感じられる後発の詞を贔屓しがちになることは否定しません。別アーティストのものですが、この記事はまさにこのポイントを軸に書き進めたものなので、参考までにリンクしておきます。


 単語や熟語のレベルによる補足まで取り上げていくと限がないため(=逐語訳ではないので、ある程度の差異は当然のものとします)、文章の単位で大胆なフォローがなされている箇所のみを取り上げますが、たとえば1番Aメロの"The whole context in which we met was innocent"という一節は、原詞では言及されていない「出逢うまでの段階」に関する描写で、ストーリーに奥行を与えているところが味わい深いです。

 "光を惹き付ける口角 引き上げてふっと笑う"には、"Like a flower in spring that blooms to life so radiant"と比喩が追加され、イメージに具体性が付与されていますし、そこから発展させて"Moonlight showers down on you like flower blossoms"というフレーズが出てくるのは、原詞に縛られていなくて好きな翻訳と言えます。日本語詞では「花」に関する言及は一切ありませんからね。しかし曲名には文字として存在しているため、突飛に感じられるわけでもないところが巧いです。


 サビの歌詞は意訳も意訳で、原詞では1番と2番で全く同じ内容でありながら、訳詞の1番と2番では異なる内容になっています。冒頭の"おいで"は、フックとして機能している最初の2語以外は"come put your lips right next to mine"で統一されており、これはかなりロマンチックな翻訳だと言えますが、それより前に"your lush sweet lips that kiss me"とあるので、この布石のおかげで納得出来る仕上がりです。原詞だと"忘れられずひれ伏した"のは、"引き上げてふっと笑う";つまり「微笑み」にやられたからだというニュアンスですが、訳詞だと"your face breaks out into a smile"に加えての"lips"ですから、歌の主人公の立場や距離感も異なるのかなといった妄想が捗りますね。

 "苦悶now それでも微笑んで/そっと眼を閉じてみたいような"に対する訳は、"苦悶"を意識してか1番と2番でベクトルが逆になっているのが面白いです。"lay down with me and sing lullabies/Somehow let me live this dream with you, endlessly"はポジティブな受容の解釈ですが、"no need to treat me nice anymore/Somehow I want to hide myself somewhere away from you"は、ネガティブな拒絶の解釈(正確にはそれを恐れる不安の描写)で、危うい振れ幅を見せています。更に"苦悶"は音韻面でもキーとして扱われていて、"Come on right now"と、ダジャレ的な変換による遊び心で処理している点もグッドです。


 ここからはシンプルに好きなフレーズを紹介します。サビの歌詞でここまで敢えて残したのが、2番の"High tide, I'm swimming in a sea of your tears"という一節ですが、このナルシスティックな感じが個人的には非常にツボでした。"Now cry"を受けての表現だとはわかるのですが、「君の涙の海を泳いでいる」なんて中々に厨二的で素晴らしいと思います。この意味では英語は得であると言え、日本語にしたらクサく感じられる内容でも、なんだか格好良い気がしてくるところを評価したいです。

 語彙や文法も小学生レベル…いや、"High tide"(「満潮」「絶頂」)を除けば幼児でも駆使出来るシンプルさで成立している点も好みで、他の例としては1番サビの同位置に来る"Moonlight showers down on you like flower blossoms"も含めて、回りくどい言い回し(誉め言葉)が大部分を占める中で、急にストレートに詩的な言葉繰りに出会すと、ギャップで一層の深みを見出してしまいますね。セミコロンで繋ぐ+無生物主語の"It wasn't me who led; your words spoke confidence"や、律儀に'whom'を使用した"Whom have you worked this magic on before?"などの、歌詞としては比較的ややこしく感じられる文章もある中でのことを加味してです。

 また、出現位置が同じということで"Moonlight"と"High tide"を併せて考えてみると、「月の満ち引き」という共通項でもって、原詞の"おいで 月のように笑って"を鮮やかに切り取っていると言えます。月に面していたら、潮が満ちるのは当然ですから。


 歌詞解釈だけで八割方は満足してしまいましたが、メロディとアレンジ面からの掘り下げもきちんとしていきましょう。

 記事の冒頭に載せた楽曲クレジットから想定すると、本曲は管弦楽が主体のナンバーに映るかもしれませんが、その実サウンドの特徴は意外にも打ち込みによる電子制御だと言え(女史の担当ゆえ当然と言えばそうですが)、カッチリとしたビートメイキングにピコピコしたシーケンスフレーズ、そしてボーカルトラックに施された過剰なほどのディレイとディストーションと、ダンスミュージックのマナーが意識されていると思えるようなつくりです。効果的なクラップの挿入もまさにという感じですよね。

 このアレンジは個人的な嗜好とマッチするので、それだけでも高評価の理由となるのですが、贔屓目は無しできちんと意味を見出そうとするならば、この編曲は「陶酔感」を考慮したものであると主張します。"you"への陶酔は勿論のこと、"I"へのナルシズムも含まれるであろうことは、歌詞解釈の項で語ったことがその証左になると思うので省略しますが、意中の相手と自己の境が夢中で崩れていく類のエクスタシーを音にするならば、テクノ的な反復の美学と管弦楽の官能性を足すことは至極真っ当だという理解でいるため、納得の音解釈であると言うほかありません。


 旋律に関しては、元が日本語詞であったことを考えると、一概にモーラが合うだとかシラブルに適しているだとかは判断しかねるのですが、少なくとも本曲の英語詞はメロディに自然に馴染んでいると思います。

 同じ個所を幾度も引用して恐縮ですが、とりわけ"Moonlight showers down on you like flower blossoms"と、"High tide, I'm swimming in a sea of your tears"のラインは、韻律の良さから来る疾走感をとても気に入っています。ディレイの部分まで込みで完成する旋律だと捉えていて、輪唱のような美しさを宿しているところが素晴らしいです。歌詞通りではない表示をしますが、たとえば"of your tears"の後に続く"(of your tears)"がとてもセクシーだということを言わんとしています。そして、これもまた陶酔感の演出に一役買っているファクターだと考えていて、饒舌や多弁はハイの証明だということに繋げたいわけです。


 最後に本曲のMVというか『大吟醸』に収録されている映像についてもふれておきますが、百鬼夜行のような内容がとても好みでした。同じ「平成」つながりで、『平成狸合戦ぽんぽこ』のワンシーンを思い浮かべてしまった。無機物と獣の融合、或いは無機物の正体が獣という世界観、ロマンがあっていいと思います。


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