『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』の感想 | A Flood of Music

『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』の感想

 今回の更新は珍しくディスクレビューではなく映画の感想記事です。対象とする作品は『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』で、僕は三週目に観に行きました。先月下旬になって漸く『京アニショップ!通販サイト』で前売券を注文するという初動の遅さだったので、チケットが届いたのも今月中頃ということでこのタイミングです。

 普段の音楽記事であれば手前味噌ながら堂々と「レビュー」を名乗れると思っているのですが、本記事は本当にただの感想記事なのであまり深い内容ではないことを断っておきます。解説的なことが知りたければ他にいくらでもある熱心なブログをご覧になるのがいいでしょう。僕も主に事実関係の裏取りが目的で参考にしました。

『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』 オリジナルサウンドトラック「The on.../ランティス

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 最初はこの劇場版サントラのレビュー記事を書いてそこに映画の感想も盛り込もうかと思案していたのですが、これの購入は見送ることにしたためシンプルに映画だけにフォーカスしようという次第です。

 その代わりと言っては何ですが、『響け!ユーフォニアム2』(TVアニメ版第2期)のサントラ『おんがくエンドレス』(2017)のレビューは過去に行ってあるので、よろしければ本記事とあわせてお楽しみください。これら諸々を考慮し、本記事のブログテーマは便宜上「アニソン(サウンドトラック)」にしました。


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 これまた当ブログでは珍しく画像を挿入してみましたが、これは本編上映前のフォトセッションで撮った一枚です。スクリーンをスマホで撮影OK & SNS拡散推奨の代物なので著作権的には問題ないはず。このことは予め知っていましたが、僕は普段後方端の席を取るタイプゆえ位置取りが悪く、斜めからですみません。笑

 前置きは以上、ここから映画本編の感想に入ります。しかしその前に一応ざっくりと本作について説明しておきますね。勿論ネタバレ全開なので、引き返すならここですよ。


 『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』はTV版の第2期を基に再構築された作品で、劇場版としては2作目にあたります。TV版を基にしているという点では劇場版1作目と同じですが、単なる総集編というわけではなく新規カットの追加や時系列シャッフルが行われた言わば加筆修正版です。

 ストーリーは久美子とあすかの関係性、つまりユーフォニアムを軸として展開していく纏められ方をしているため、TV版の前半部(2年生組がメインの話)はほぼカットされています。これについては来年公開予定の劇場版3作目で詳しく描かれるそうなので、今回は削ぎ落したということでしょう。

 既に製作が決定している劇場版4作目(進級後の時間軸)とあわせて2018年の2本は完全新作とのことですが、(原作は未読ゆえ正確ではないかも…と断りつつ)時系列的に2作目と3作目はタイムライン上で重なる部分もあるはずなので、新作を楽しむためにはという意味でも今作は観ておくべきだと思います。2~4作目で三部作(1作目はプロローグ的立ち位置)なのでは?という捉え方です。




 簡単に説明を終えたところで、愈々感想を書いていきます。どういうスタイルで書き進めていこうか迷いましたが、ストーリー展開や時系列等は無視して単純に言及したいシーンからふれていく雑多なまとめ方にすることにしました。冒頭で「あまり深い内容ではない」としたのはこのためです。笑

 また、同じく冒頭で他の熱心なブログの存在を示唆し、「事実関係の裏取り」目的で参考にした旨を書いた通り、「あれ?ここってTV版でもこうだったっけ?」と疑問に思った個所については自分以外の手になる記述で確認を試みました。…が、それでも正確性に欠く記述があるかもしれないと言い訳しておきます。TV版の録画は残してあるので確認しようと思えば出来るのですが、そこまで時間を割けないのでご容赦を。

 予防線を張り巡らせて準備は整ったので、まずは誰しもが感動したであろう最終シーンから見ていきます。


Ⅰ. 河原での演奏シーン

 もうね、「やられた!」の一言です。あの名場面をカットしちゃったのか…と思わせておいてからの、まさかのラストに持ってくるという編集には神の御業を感じました。

 時間軸としてはいきなり過去にシフトする形になりますが、物語もとうとう終局という場面に入り、『ここで「響け!ユーフォニアム」(曲名)が流れてきたら感動も一入だよな~』と思っていたところにドンピシャで映し出される河原のカット。演奏前から鳥肌が立ちました。


 TV版の最終話EDにも「響け!ユーフォニアム(Last Ver.)」が使われていたので、流れとしてはTV版を踏襲していると言えるのですが、鮮やかで明るいアレンジだった「Last Ver.」ではなく、ユーフォ単独の「久美子と二人きり Ver.」がラストで映像と共に流れるとなると、ユーフォを軸に構成されている劇場版のストーリーが一段と重厚に響いてきますよね。

 補足しておきますが、TV版のは「Last Ver.」でいいんですよ。だってそちらは「北宇治高校吹奏楽部の物語」ですから。ユーフォはメインだけどそれだけではないという全体の流れがあったので、寧ろTV版でユーフォソロVer.がラストに来ていたら違和感を覚えたでしょう。要するに、媒体の違いがきちんと意識された名采配だと絶賛したいわけです。


 改めて「響け!ユーフォニアム」という楽曲の素晴らしさを再認識できました。楽典上の評価は勿論ですが、あすかの生い立ちと久美子との関係に焦点があてられたことでこの曲が持つ物語上の意味が一層際立っていたので、曲に命が宿るとはこういうことかと表現しておきます。


Ⅱ. 合宿の時系列シャッフル

 楽曲としての「響け!ユーフォニアム」の話の流れで「朝もや Ver.」にふれないのも気持ち悪いので、構成上の変更点とあわせて言及します。

 これは映画の公式サイトにある小川太一監督のインタビューの中で語られていることなので正確性は折紙付ですが、TV版では関西大会前に行われていた合宿が、劇場版では大会後に行われたことに変更されています。観ていて「あれ?合宿時ってみぞれと希美まだ和解してなくなかったっけ?」と疑問に思ったことが、これを知ってすっきりしました。


 詳しくはそのインタビューを参照していただきたいのですが、確かに「久美子とあすかの物語」にするならば、合宿の朝のシーンを入れないと筋が通らないですよね。楽曲自体が伏線として機能していくわけですから。

 この場面(というか久美子の「響け!ユーフォニアム」という楽曲に対するモノローグ)があるからこそ、その後のシーン全てが多様な意味を伴って響いてくるという面があると思うので、この変更は英断と言えるでしょう。どこまでも主軸は久美子とあすかであるという揺るぎのなさを感じ取ることが出来ます。


Ⅲ. OPの「プロヴァンスの風」が格好良い!

 タイトルの通りです。笑 ここまで結果的に再構築されたストーリーの素晴らしさについて語っているので因果が逆転してしまいますが、僕は本作を「観る」というよりは「聴く」つもりで劇場に足を運んだのでした。

 「だって話は知っているし」という驕りがあったため鑑賞前はこんな思いでいたわけですが、音楽をテーマにした映画に於いては「聴きに行く」というのもひとつの真っ当な鑑賞スタイルだと思うので、特に冒頭も冒頭の段階で流れた「プロヴァンスの風」は完全に「聴く」モードの頭で鑑賞していました。


 しかし最初はそれで良かったと思っています。劇場の良い設備で「プロヴァンスの風」を聴けたことでいきなりかなりの満足感を味わうことが出来たので、つかみはばっちりというやつですね。映画で使われた演奏曲の中では最も再生環境の良さがダイレクトに反映される曲だと思うので、音楽脳で観に来た僕のようなタイプをさらいにきているなと嬉しくなりました。

 ここで関連のある余談をひとつ。開場前の待合スペースでたまたま見かけた品のいい老婦人を本作上映の劇場内でも見かけ、「あんなにお年を召された方でも観に来る作品なのか」と意外に思ったのですが、今振り返るとあの老婦人の佇まいは小学校の音楽の先生のそれだなと思えたので、何らかの音楽関係者だったのではないかと踏んでおります。笑


 その後はストーリー展開の良さにものめり込んでいけたので、作劇と演奏の両方を楽しめたということはここまでにも示している通りです。


Ⅳ. 全国大会での「三日月の舞」

 これも確実に見所のひとつでしょう。TV版では描かれなかったシーンなので、劇場版では描かれるだろうというのは大方の予想通りかと。

 僕はTVシリーズに関しては1期の再放送と2期の本放送を2クールに亘って続けて観たため、全体の画作りの観点から全国大会での演奏シーンが省略されるということは理解しやすかったのですが、それでもやっぱり物足りないと感じていたのは事実です。『おんがくエンドレス』でその穴埋めは出来ていましたが、映像を伴ったことで漸く完全版に辿り着いたという達成感が味わえました。

 この「三日月の舞」演奏シーンに関しては、全制作陣の本気がぶつけられているということが一目瞭然(或いは「一聴瞭然」とでも表現しましょう)なので、ここで殊更詳らかに感想を書くつもりはありません。作画・動画に関しては京アニに詳しい諸兄による分析を、音楽に関しては冒頭でもリンクした『おんがくエンドレス』のレビュー記事での記述を各自で参考にしていただければと思います。


Ⅴ. 家族のカタチとリアリティ

 本作が「久美子とあすかの物語」であることは前述の通りですが、当人同士の交流という観点の他に、それぞれの家庭の在り様の比較というのも展開の上では大事なファクターだと言えます。まずは、あすかと久美子の姉・麻美子の対比ですね。

 TV版で観ている時は、黄前家(主に麻美子の進路)の問題と田中家の問題は数多くある要素のうちのひとつという認識でしかなかったのですが(麗奈と滝先生に関するエピソードを間に挟んでいたことが大きい?)、劇場版では麻美子の存在はあすかのifかもしれないということが際立っていたので、両者の傍に居た久美子の想いの変遷がより真に迫ったものとなっていました。

 あすかの「黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね」という台詞がとても好きなのですが、このようにお話の上でも久美子の存在はまさにユーフォニアムという楽器の特性とオーバーラップするところがあると感じるので、キャラメイキングの奥深さとユーフォ愛を感じずにはいられません。


 もう一つふれておくべきは親の存在についてです。田中家から見ていくと、あすかの母親はストーリーの上では悪者として映ってしまう存在であると思います。「そう描かれている」とは断言しませんが、実の娘に「あの人」呼ばわりされるくらいですから。

 しかし母親の置かれている立場で考えてみると、娘がしていることに対する嫌悪とその将来を案ずる気持ちでぐちゃぐちゃになってしまっているというのは理解出来ますよね。手をあげたのはどうかと思いますが、その後すぐに悔いていましたし普通の母親としての日常を覗かせるカットもあったじゃないですか。そういう何気ないシーンが提示されると、胸にくるものがあります。

 あすかの元父親(進藤正和)が持っていた娘に対する愛情については、あすか幼少期のカットが補完されたことで一層味わい深くなっていました。いや、この場合娘が持っていた元父親に対する執着と表現した方が正確かもしれませんが、何れにせよユーフォに纏わる因縁が後輩をも巻き込んで展開していくという主軸が、かなり明確になっていたなと思います。


 黄前家に関してはとかくコミュニケーション不足だと感じました。現代らしいという意味では非常にリアルなのかもしれませんが、久美子というキャラクターがフィクションの登場人物にしてはやけにアニメ的な記号化が薄く実在する人物っぽいなと思えるのは、こういう家族の描き方ひとつとっても現実に即しているからなのでしょうかね。

 僕は男ですし勿論高校生ではありませんし吹部に属していたことなどありませんが、久美子を見ているとまるで自分を見ているようだと思うことがあります。具体的に何処がと書き始めると自分語りで長くなるので省略しますが、最近は「これは何も自分に限った話ではないのでは?」という認識になっています。

 「存在・描写がリアル=共感出来る部分も多い」という単純な理屈なのではないかということですが、物語の主人公性(主人公補正やプロットアーマー等のご都合主義の類を含まず、主体性を伴う存在ぐらいの意味)を感じさせるという点では、現実を生きる我々だってそう変わらないと思うのですよ。

 クサく言えば「誰もが自分の人生の主人公だ」ということですがこれは本当にその通りで、作中で久美子があすかに放った「諦めるのは最後までいっぱい頑張ってからにしてください!」という言葉は、自分本位と主体性の狭間で揺れていたあすかと、主体性を失った結果爆発してしまった麻美子を見てきた久美子のものだからこそ、説得力のある至言となって観た人の心に響いてくるのだと思います。




 Ⅴが長くなってしまいましたが、語りたい点は大体書くことが出来たので満足です。駅ビルコンサートで披露された「宝島」における晴香の素晴らしさについても詳しく書こうかと思いましたが、3年生組の描写は割と削られていた印象なのでここでもこれだけにとどめておきます。

 『劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~』は、主人公はあくまでも久美子だけど主役はあすかだなと思える作品でした。夏紀も含めて、ユーフォニアムという言わば不遇の楽器を担当する子たちによって織り成されるハーモニーは、二つの関係を繋ぐ存在として優しく(時には荒々しく)そこに存在しているので、それが実に「ユーフォっぽい」ですね。