がんばって生きてます

がんばって生きてます

主に家での出来事を書き留めて行きたいと思ってます。
何かの参考(反面教師)になれば幸いです。

2025年8月末、家の人たちへ自分の状況を直接言葉で伝えた。

いきさつは妻からのラインだった。

『精神科に通っていますよね。私が原因での、鬱病ですか?原因が私であることは言う必要はありません。
あなたのこの状況が、病気であることを子どもたちに伝えたほうが、まだ理解してもらえるのではないかとも思っています。
理由もないのに、家族と断絶している状態はあまりにもおかしいので。
ただ、私には正しい判断がどちらなのかわかりません。
病気だから、人との接触を避けているということを説明したほうがいいのか。
なんの説明もせずに、このままの断絶状態を続けることがいいのか。
あなたのことなので、あなたの判断に任せます。』

 

私が伝えた内容は以下の通り。

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■前段    
    まずは、自分のせいで、心配や迷惑や不自由を掛けて申し訳ないです。ごめんなさい。
    すべて自分のせいです。
    ずっと部屋にこもった生活が続いて、この状況は普通ではないと認識しています。
    なぜそうなったのか、とか今の状況とか、経緯、診断結果、今後のことについて話します。

■経緯    
    2023年の春ごろのことです。
    もともと、人付き合いが苦手であった中、コロナで在宅勤務となり、ますます人との関わり方が分からなくなりました。
    家の中での恐怖心や怯えを感じる時間がだんだんと長くなり、普段の精神状態でいられる時間がどんどん短くなりました。
    2023年秋ごろから、普通の状態にほとんど戻れなくなりました。
    恐怖心、怯え、物忘れ、理解力の低下、不眠、自己否定などの症状がでました。
    1~2年くらい前までは、リビングで食事を摂っていましたが、だんだんとつらくなりました。
    人の話し声や、笑い声や、物音などが苦手になり、その場から離れたいという気持ちや、恐怖心を感じるようになりました。
    怯えたり、理解力が遅かったりする私に対して、イライラされていたり目障り・不愉快に思われていると感じて、
 さらに怯えや恐怖が増幅する悪循環の状況でした。これはすべて、自分のせいです。
    私は、できるだけ一人で過ごすことにしました。
    
■これまでの対応について    
    2023年11月頃から、2024年の夏ごろまで自分の状況について、相談したり診察してもらったりしました。
    当時、産業医面談という会社の専属医師によるカウンセリングの紹介があり、受診しました。ここでは異常なしでした。
    次に私は、市の保険予防課へ相談しました。

 そこでは、どういうところに相談すればよいかとか、今後の過ごし方などをアドバイスしてくれました。

 私は、できるだけこのアドバイスを参考にすることにしました。おおまかには、このような内容です。
     ①病院やカウンセリングを受診する
     ②己の安定を保てる過ごし方をする
     ③定期的に吐き出す場を持つ
 これらは、数か月から数年くらいの長い期間で進めて行くイメージでいます。
    まず、いくつかの病院で診察やカウンセリングを受けました。そして、状況や対応方法が少し見えてきました。
    1つは、簡易的な心理検査の結果として、孤立型ASDが疑われるとのことです。
 どういうことかというと日常生活における社会的活動が不得手ということです。
    孤立型ASDの最も顕著な特徴は、他者との交流を避け、まるで他人がいないように自分だけの世界に深く没頭することです。
 社会的なシグナルや暗黙のルールを理解するのが難しく、対人関係を築くことに苦労するようです。
    2つ目は、脳の検査、具体的には若年性痴呆の検査ですが、これは異常なしでした。
    3つ目は、メンタルのカウンセリングですが、鬱病ではないことがわかりました。
 しかしながら、不安・恐怖・緊張・抑うつ・睡眠障害の症状があるので、薬が処方されました。
    2024年の夏から、抗うつ薬、睡眠薬を服用していました。症状は少し改善し、今はほぼ睡眠薬だけです。
    それから、仕事について2025年の秋から新しい職場(部署)へ異動になります。
    ポスティングに応募して合格しました。3年越しです。新しい分野に挑戦したかったのが一番の動機です。
    しかし、別の動機もあります。今の部署は忙しく、部署内の独自ルールや、暗黙ルールが多く、
 自分に不向きだった面もあり、少しでも生活を改善させたいという理由です。今の症状に対して良い方向に働くと思います。
    
■今後やろうとしていること    
    恐怖心や怯えがおさまってきたら、定期的に吐き出す場を持つためにどうすればよいかについて、
 メンタルの悩みを支援してくれる窓口に相談しようと思っています。年内に考えています。
    
■今後の目標
    いつか引きこもりを卒業して、一緒に生活できればと考えています。

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伝えた後、家の人からは何もコメントは何も無かった。

どう受け止められたのかは分からない。私はリビングから引きこもり部屋へ戻った。

終始自分に対して90度の方向を向いていた妻の怒りじみた表情は目に焼き付いている。
 

新しい職場は予想以上に厳しい環境だった。

そこは商品を開発して発売させることが責務の部署なのだが発売延期を繰り返していた。

そして、異動からほどなくして部下の一人がメンタルの不調を訴え休職した。

残った部下のがんばりもあり、仕事や自分のメンタルの底は過ぎ、少しずつ上向き始めた気がする。

 

結果、メンタルの悩みを支援してくれる窓口への相談はまだできていない。

上期中には相談して支援を受けたいと考えている。

引きこもりで仕事以外で人とほとんど会話しておらず、そのせいなのか日常会話が難しくなってきている。

恐怖や怯えに加え、思考する時間が少なくなることで、脳が萎縮しているのではないか?

まず、人が何を言おうとしているのかが理解しにくい。そして、それに対して自分がどう答えればよいのかが分からない。

会話による世の中の情報が入ってこないので、たぶん付いていけていないと思う。

 

妻からは顔も見たくない、話しもしたくないと言われており、できるだけ避けるようにしている。

一方で子供とは普通に接して欲しいと言われているのだが、普通に接するのは難しいので結局は避けるようにしている。

これが一番つらいし、誰にも相談できないのもまたつらいのだが、

妻からは、『つらいのはあなただけではない』とどこかで言われた。

また妻からラインで届くナイフで心臓をえぐられるような言葉もつらいが何も示してはならない。

質問は怒りを招くのでできない。私がどうなろうが知ったことではないので意思表示もできない。

 

死ぬ時期、死ぬまでの生き方も日々考えている。

これについてはまた後日この場で記したい。

 

もし何かアドバイスがあればよろしくお願いします。

メンタルを下げる内容(例えば否定的、攻撃的な内容)はごめんなさい。勘弁してください。

年初くらいまでは、心身の調子が良い時はリビングのテーブルで食事を摂ることもあった。

誰かと食べるのではなく一人で。

人と接するのが怖くて仕方ない。特に同居している人たち。

皮肉なことだが現実。

家族と呼ぶのもおこがましい。

自分は何なんだろう。たまたま存在している物体?不要物?

いずれにしても、目障りなモノ。

私は、この家に住まわせて頂いている。

自己肯定感は皆無。

 

~~~~~~~~少し話が逸れます~~~~~~~~~

 

この春のある日曜日の夜、妻から以下のようなLINEが来た。

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子どもに、おかえりと言われて、誰かと間違えているのか?
という質問はどういう心境からですか?先日は○○に。今日は●●に。
聞き間違えたと●●には言ったそうですが。
○○にも言っていたということは、完全に自分にはおかえりと言ってこないと思っているってことですよね?
いってきますも、ただいまも言わないですから、おかえりも言われないと思っていても仕方ないですけどね。

このままでは、子どもたちにも子どもたちの将来(家族を作る時)にも影響が出ないとは限らないなと思っています。
知らないフリをしていましたが、この際、知っていることを伝えます。
精神科に通っていますよね。私が原因での、鬱病ですか?
原因が私であることは言う必要はありません。
あなたのこの状況が、病気であることを子どもたちに伝えたほうが、まだ理解してもらえるのではないかとも思っています。
理由もないのに、家族と断絶している状態はあまりにもおかしいので。
ただ、私には正しい判断がどちらなのかわかりません。
病気だから、人との接触を避けているということを説明したほうがいいのか。
なんの説明もせずに、このままの断絶状態を続けることがいいのか。
あなたのことなので、あなたの判断に任せます。

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この長文にとてつもない圧を感じ、恐怖を感じた。

私の病気について言及したときの、第一声が私(妻)が原因かどうか、だった。

妻に以前に言われた「あなたがどうなろうが知ったことではない」という言葉の強い信念を改めて感じた。

 

私はLINEで下記を伝えた。

・鬱病とは言われていない

・今は不安感を抑えて行く期間である

・その対応として今がある(引きこもり)

・物音や人声など日常生活で怖さやストレスを感じる

・次のステップとしては、ある程度改善すれば、コミュニケーションを増やす

・子供達に伝えることに関してはどうするか考える

 

妻からの返事は、「わかりました、鬱病ときめつけてすみませんでした」という内容だった。

 

私が子供達に自身の状況を伝えた結果として、悪の末路としては、その場で激しくブチ切れられての最発作的な自死だと思う。

(私は昔、同じような状況で、自分の足を包丁で切ったことがある。その時は骨で刃が止まった。痛みは全く感じなかった。我に返り、自分で縫合しようとしたが、塞ぐことができず病院で処置してもらった。血だまりは帰宅後にふき取ったと思う。結果、麻痺が残ったが、見た目は元通りになった。死ぬことは考えていなかった。)

対策としては、

・原因が妻であるとは言わない(妻の弁。私は妻が原因とは思っていない。要因ではあるかもしれないが。)

・妻が原因、要因と匂わせるような表現を使わない(むしろ、原因、要因には言及しない)

・妻に事前に説明内容を伝える

子供たちの将来と自分の命が掛かっている気持ちで、しっかり準備して行く。

 

~~~~~~~~話を戻します~~~~~~~~~

 

甥姪が来た時は、私はいないことにしている。

このケースはこの対応でしのげるが、、

子供がパートナーを連れてきたらどうなるだろう。

ずっと、都合が悪くて居ないという言い訳でしのげるだろうか??

 

だからそうなる前に死んだ方が良いに決まっている。

迷惑をかけないように、事前にいなくなった方が良い。

と、今は思っている。(というか、思うようにしている)

しかしながら、死ぬ手段は置いておいて、すぐに死んだら同居している人たちへのデメリットも少なからずある。

一番はお金の問題。

すぐに死んでもらえる保険金よりも、多分給料や退職金の方が多い。

だから、死ぬとしたら退職後だと考えている。

正しいだろうか??

 

そのベストなタイミングで死ぬために、今は生きている。

だから、今は生きなければならない。

とはいえ、良い頃合いに死ななければならないので、

とにかく心身を痛めつけて生きている。

神経系、循環器、消化器、感覚器などなど。

 

四六時中、どうやって生き続けるかとか、どうやって死ぬかとか考えている。

役所に設けられている”悩みを抱えている人の話を聞いてくださる部署”に相談した際、

「吐き出す機会が必要。そうすることで今を乗り切るしかない。」

とアドバイスをいただいた。

本当にそう思う。

今の状況に耳を傾けてくれる人が欲しい。

吐き出す機会が欲しい。

 

薬は手に入れたが、いいところ現状維持。

感覚的には、じわりじわり精神は病み進んでいる。

イメージとしては、恐怖・怯えのスイッチがどんどん過敏になる感じ。

例えば、

テレビの音、家の中での声、台所や洗面所などで近づいた時、などに恐怖・動悸を感じる。

私がおはようと言う。すると1/3の声量くらいでおはようと帰ってくる。心配・恐怖を感じる。

台所に不要物かもしれないものがあるとする。捨ててよいのか、いけないのか?もしそのことを尋ねたら、見ればわかるよねと言われるかもしれない。捨てたら、それ必要だったのに!と言われるかもしれない。不安・恐怖を感じる。

洗濯するタイミング、バッティングしているかもしれない、ハンガー・ベランダの干すスペースが足りないと思われるかもしれない。なので、基本的に私は部屋干しして、どうしてもという時のみベランダに干させてもらっている。不安・恐怖だ。

 

とんでもない事をしでかす可能性のある人の中には、

こういう風にずーっと陰な事を考え続けている人も一部含まれていると思う。

うまく言葉にできているか分からないが、死ぬことをずっと考えていると

興味だったり感情だったり人として一般的には当たり前であろう事が徐々に無くなって行く気がする。

人間性がなくなって、何かに執着する感じ。

そんな精神状態を、20年、30年と続けていけば、壊れて行くのは自然の摂理かもしれない。

 

リビングに誰もいなくなったようなので、今から夕食です。

夢中でキーボードを打っていたら、長文になってしましました。

最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。

「あなたがどうなろうが知ったことではない」

「顔も見たくない」

「話もしたくない」

これらは、過去に直接或いはSNSで言われた中で、自分としてかなり傷ついたショックだった言葉の一部。

私がどうなろうと知ったことではないのだから、

傷つこうが、ショックを受けようが関係ないのだろうと思っている。

 

20年、キレられ、怯え、元気を取り戻し、またキレられ・・・

そして去年、元気を取り戻せなくなった。

急にではなく、徐々にではあるが。

すべて、自分の責任。至らなかった。

 

今、多くの時間、怯えや恐怖や動悸を感じながら生きている。

キレられるのは勿論恐怖であるが、

人の話声、笑い声、物音、、が怖い。

とにかく人との接触を避けて生きている。

が、理由はわからないが、恐怖を感じない相手もいる。

ある程度、距離のある希薄な関係の人たち。

その境界線は、少しずつ後者の人たちが減る方向に移動している。

これもすべて、自分の責任。

 

この一年無気力に生かされてきた。

仕事は惰性。

日常は引きこもり。

自分は無価値、むしろ邪魔物。

 

ただ、この一年間じっとしていた訳ではなく、

良い方向に向かうためアクションもしたつもりでいる。

 

市の健康医療相談、産業医面談、いくつかの病院への相談や受診。

結果、睡眠導入剤、精神安定剤を服用することに。

それが9月の話。

ひたすら人との接触を避けて、調子が悪い時に薬を飲む。

こういう生活を続けている。

 

そんな中、何を考えているかというと、いつどうやっていなくなるか、もしくは死ぬか。

日々怯え、しどろもどろで、挙動不審で、うつむいている自分。

子供に対しても敬語で接することができればどんなに楽か。。。

先々きっと、こんな自分が邪魔になる時が来ると考えている。

実際、今でもそうだ。

具体的には、家の外の人たちと関わる場面。

 

今は、理由をつけて関わる場面を避けている。

けど、避けられない場面がある。

 

その時までには、自分はいなくなった方がよいのでは無いかと考えている。

では、どうやっていなくなるのか?もしくは死ぬか?

 

いろいろ考えているし、それに向けて準備もしている。

何が正しいのかわからないが、

ひっそりと、できるだけ人の手を煩わせないように、自分でしっかり準備して逝きたい。

自分の責任として。

 

誰のせいでもない。

すべて、自分の責任。