京都の記事、もう少し続きます。
今夜もお付き合いアリガトウゴザイマス。
淀からまた電車で移動・・・・。
伏見に到着。
まず向かったのがこちらです。
玄関の格子に鳥羽伏見の戦いの時についた弾痕が残っています。
こういうものを見るたびに幕末を身近に感じるね~などと言いながらヒナちゃんとてくてく。
そして辿り着いたのが・・・・
慶応3年(1867)12月16日、新選組も警備を任されることになりここに屯所を移すことになります。
ワシたちが伏見に来たこの日もなんと平成24年(2012)の12月16日!
・・・・ただの偶然ですが・・・・震えがきました。←病。
かつて新政府軍の砲撃を受けて火の海になった伏見奉行所も。
現在は大きな団地になっていて、わすかに碑が残るのみとなっています。
そしてここから坂道を登って・・・・。
御香宮神社に到着。
新政府軍の本営となったところです。
ここは伏見奉行所を見下ろせる高台となっていて、これはほんとうに不利な布陣だったと思われ・・・・。
実際にここに来てみて、幕府軍にとってタイミングの悪さや不運が続いた戦いだったと実感。
胸が締め付けられる想いにかられました。
伏見の散策はまだ続きます。
ではまた。
おやすみなさい。
さて。
京都一人旅二日目は恒例の「幕末しばり」でございました。w
ヒナちゃんと京都駅にて待ち合わせ、まず向かったは。
京阪本線淀駅から徒歩5分ほどの距離です。
現在は、このように石垣や水堀が往時の姿を残すのみ。
綺麗に整備され、公園となっています。
明治元年1月3日、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
1月5日、千両松の戦いで敗れた幕府軍は淀城にて体制を整えようとしました。
しかし、淀藩はこれを拒否、多数の犠牲者を出していた幕府軍はさらに
退却することとなったのです。
入城を拒否された幕府軍、どのような気持ちでこの石垣を見つめたのでしょうか。
そこから、京都競馬場を右手に見ながら北上すること約20分。
千両松の古戦場跡です。
明治元年1月5日。
ここ千両松において、多摩時代からの仲間である井上源三郎も戦死、
最大の犠牲者を出したとされます。
現在はひっそりと慰霊碑が立ち、静かな時間が流れていました。
淀一帯には、戦場に放置された幕府軍の戦死者を弔った寺院がいくつもあります。
地元の方々により手厚く弔われ、現在にいたっています。
長くなりそうなので・・・・。
続きはまた明日。
読んで下さってありがとうデス。
おやすみなさ~~い。














