幕末散歩な時間。 ~港区周辺編。その①~ | Happy Clover サンドウィッチ

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天候に恵まれた土曜日、都内の幕末史跡巡りに行ってきました。

大門駅からスタート。

増上寺の子院である安養院へ。





龍馬の信頼も厚かったという長岡謙吉、そして土佐高知藩留学生のお墓があります。

英国留学を目前に控えていたのに刃傷沙汰を起こしてしまい切腹しちゃったという…。

今も昔も。

お酒の失敗は割と大事に至るものです。

皆さまも気を付けませう。(笑)

それから芝公園。




首だけのペリーさん。ww

その先には五稜郭築城の尽力者、武田斐三朗成章の紀功碑があります。




五稜郭に訪れた時のことを想いウルッあせる

そしてまたてくてく。

妙定院で万里小路博房、前田正名のお墓にお参り。

万里小路博房のお墓はそこはかとなく気品がありました。

さすがお公家さんです…。

さらにてくてく。

麻布界隈へ。

赤羽接遇所があった辺りに到着。

万延元年(1860年)12月5日、アメリカ領事館ハリスの通訳秘書ヘンリー・ヒュースケンが、この地にあった赤羽接遇所で会食後、帰路についたところを暗殺された。




この中の橋にさしかかったところを襲われたと記録があります。







この辺りに血溜まりがあったそうです。



時は流れて街の姿は変わっても。

川や橋などは何気に当時の姿をとどめているような…。

そう思いながら眺めるとゾクゾクしますね…。

そしてその先の一の橋。




文久3年(1863年)4月13日の夜、清川八郎が見廻り組佐々木只三郎らに暗殺される。

清川八郎といえば。

新選組誕生のきっかけともいえる浪士組の発起人。

前述のヒュースケン暗殺事件の黒幕とも言われる清川八郎が、その現場であった中の橋から程近いここで亡くなるとはなんとも言えない因縁を感じます。


「清川先生、お久しぶりでございます…

本日はどちらにお出かけで…。」

と、恭しく陣笠をとる佐々木只三郎の姿が見えるようです…。

……てくてくはまだまだ続きますが。

本日はこのへんで。

ごきげんよう~~♪