20年ぶりの再会 | 暮•思•激(クラシゲキ)

暮•思•激(クラシゲキ)

フリーのデザイナー、イラストレーターです。
新作作品や衝撃的な事を書いていきます。
文体に癖があるみたいです。
いい癖だといいな。

すいません今日は真面目に重いので読む読まないは勝手に決めて下さいね。
なので大きく改行を入れます。
あ、別にメンタルな事ではないですので、文章の温度はとても冷たいと思います。
タイトルからしてお涙頂戴系に見えますが、全くそうではありません。


















































昨日、母上から聞かされた事。

『火曜日にお父さんが自宅で吐血して板橋の帝京病院に救急に運ばれてICUにいるみたい。救急隊の人から私と妹に電話があって、お医者からも『ご家族の方来てください』って言われたけど、もう私も何年も会ってないし会いたくないもん。で本人にかわられて『迷惑かけてごめんなさい、大丈夫ですので』って言ってたから…云々』


ぞくっとしました。



ワタシと父の事を説明します。

産まれて最初は池袋に住んでいました。

幼稚園に入る頃、母上の方のおじいちゃんが肺ガンで入院する事になり、母上の実家に引っ越す事になります。

その実家に近い所にマンションの1部屋を買う事になります。

どういう経緯かは全く知りませんが、父だけはマンションに、母上と兄弟はおばあちゃん家に住む事になります。

休みの日も父とは会う事も無く。

月日は流れワタシは小6になります。

そしてそのマンションを貸し出す事になり、父が実家へ来て一緒に住む事になります。

思春期を父と過ごしてきていないワタシには『父』という認識ではなく『邪魔者』になりました。

ただでさえ当時、母上とおばあちゃんに口うるさく言われている上、もう1人慣れ親しみもしていない、家族とも思えないオトナが来て小言や注意をするのでワタシの中では『邪魔者』としてしかなかった。

ワタシはその内、その父の姿を見ると部屋に籠るようになりました。

何がスイッチかは解りませんが、ワタシは父と取っ組み合いの殴り合いをしました。

といっても、ワタシは子供な為、軽々押し倒され踏みつけられました。

何度も上から踏みつけられました。

下から蹴り上げた事は憶えています。

身体が離れてワタシが『出てけ!』と叫んだ事も憶えています。

そして父は出て行きました。

それから全く音沙汰無くしばらくの時間が経ちました。

父方のおばあちゃんが亡くなったのを父が報告してきたらしく、母上から聞いた事がありました。

それは父方のおばあちゃんが亡くなった2年後の報告でした。

この報告の遅さがワタシの父への認識はさらに泥を上塗りする事になります。

離れてからはそれくらいの情報しかありません。

子供の頃の事としても最悪な記憶ばかりがある父です。


ただ、大きくなった今、今回のこの件があろうが無かろうが、許す許さないという事でもなく、憎しみがある無い関わらず、ワタシにとって父は『どうでもいい人』という存在でした。

それがきっとワタシにとっては最善の状態でしたが、今、こうなり思った事は『伝えたい事を伝えていない』という事でした。

そして、ワタシはおばあちゃんが亡くなる前日、なんだかとても胸騒ぎがし、たまたま実家に寄り、痴呆でなにもわからないおばあちゃんに普段しないような腕をさするという事をした事があって。

それに似た胸騒ぎがしました。

なので会いに行きました。

伝えたい事を伝える為に。

母上には黙って。

それがいいと思ったからです。


行き道がわからず途中で喫茶店で道を聞いたりして着いて。

救急外来の受け付けに問い合わせたら一般に移ったと。

面会用の紙を書き。

タグを貰って首から下げて。

○棟○階の○号室ですと教えてもらい。

エレベーターに乗る前に何号室かを忘れて。

緊張してたのかな。

病室階のナースステーションに居たウエイトリフティングの三宅宏実に似た看護婦さんに病室を聞いて案内してもらったら居なくて。

あの…病室っていうのはなんでああいう臭いがするんでしょうね。

人間の臭いというかなんというか…鎌倉の大仏の中みたいな臭いがします。

同室の患者さんに『談話室にいるよ』との事で行ってみます。

で、ここでワタシは気づきました。

父と過ごした時間は3歳までと小6の一時。

顔も何もわからない。

どうなっているかも予測がつかない。

そんな中事情を説明した看護婦さんに『いらっしゃいますか?』と聞かれても当然わかりません。

『あ、こちらです!』と看護婦さんが。

20年ぶりの父はもの凄く小さかった。

自分がデカくなったんだろうね。

体感としてはオトナになって公園の遊具に触れる感覚です。

点滴を刺している父は唖然としていました。

そりゃそうです。

母上が面会を断っているのですから。

来るはずのない家族が目の前にいるのですから唖然としますよね。

ワタシは『平然』『いつも通り』を意識的に保とうとしました。

父は自然と涙が垂れてました。

泣いているのではなく、涙が垂れてきているその状態からワタシは目を背けました。

そして逐一謝られました。

ワタシから責める言葉は父方のおばあちゃんの事だけですが、色々な事を謝られました。


この場合、父が話し出す事は全て言い訳に聞こえてしまします。

『あの時…』とか『会いに行かなきゃと思ってたんだけどね…』とか。

本心であっても20年経った今、ワタシにとって父は何も表さずまま今に至っているので、全てが『できなかった事』として、その言い訳にしか聞こえず、父の言葉を塞ぐようにワタシは話し続けました。

でなければワタシの目の前には病人がいて、その病人に対しての苛々を心身共に弱っているのが環境と状態からあからさまに理解できるのでぶつける事が心情的にできず、その苛々は行方知れずになり、大切な人無き今、頼る事も甘える事もできず、ずっと中に入れたままになるのが目に見えていたから。


最近、こと人間に対して良い事無いからね、これ以上マイナス入れたくないんです。



ワタシが伝えたかった事は。

『恨んでも憎んでもいない』
『なぜおばあちゃんが亡くなった時すぐに報告しなかったのか』
『ワタシが会いにきた事でこれからも円満にはならない』
『生きていてほしい』

という事です。

このまま死んでしまったら父もワタシもお互いが悔いが残るような事だと思ったからです。

言いたい事も言えずに伝えたい事を抱えながら死ぬのは良くないと思ったからです。



1つ父は最低だなとも思いました。

20年という平均寿命の4分の1の時間が過ぎても尚、こんな時にもなって『マンションの受け継ぎは純に…』というような話をし出したりして。

生きている内に現実的な話をしておきたかったのでしょうが、とりあえず今はそうではない事をわかっていない。

これにはガッカリしました。




ワタシは父を『父』として見てはいません。

『親』としては認識しています。

今後もこの関係はこのままです。

良くはならない。

ただ話はできる。

ワタシもオトナですからね。




きっと今回、父はとても嬉しかったと思います。

自分がこんな状態になっても会いたくないから会いに来ない家族が自分の家族と解った後、ワタシが会いに来たのですから嬉しいだろうなと理解はしています。

そういう涙をワタシも流した事がありますのでわかります。


ただワタシの中にはある程度のモヤモヤが残ってしまいました。

これも時間が持って行ってくれるのだろうけれど。

モヤモヤが残る事も想定していました。

それを越える『言いたい事』や『伝えたい事』があったので母上に何も言わず会いに行きました。

ワタシが後悔しない為に。



jun