相模原の事件の犯人に共感の声があがっているという記事を読みました。

本当に波動悪いページなのでリンクも貼りませんが、「障害者のせいで」という犯人に共感している人もいるよう。


ああいうページを見ると「日本ヤベエな…」と改めて思います。


どんなに科学が進化しても障害者はいなくなりません。

無くそうとしても、自然は新たな障害を作り出すでしょう。


運命学上では、異形は気(エネルギー)の偏りによって生まれる、という考え方があります。

それまでの家系の人間の行いや心によって、徳と業のバランスが崩れた結果として、あらわれるということ。


動物の世界にも異形は存在します。

自然は不完全なので、エネルギーが偏ることはあるからです。
(※人間によって自然の気が偏った結果、動物や昆虫の奇形が大量に生まれることもあります。)


動物の場合は、異形は早く死にます。


しかし、人間はそうはいきません。


「助け合う」という精神があるからです。


逆にいえば「助け合う」精神こそが、人間らしさ、ともいえるでしょう。


正確には、ネコやイヌやイルカといった、一部の動物にもその精神はあります。

そういう動物は“人間らしい”といえます。


困っている人や、苦しんでいる人、社会的弱者を見た時に、

「助けたくなる」

「手を差し伸べたくなる」

「祈りたくなる」

人間らしいその気持ちの根源はどこからくるのか?


それが「魂」です。


人間は「性善」か「性悪」かということは、古来から議論されてきましたが、カンタンに申しますと、魂がある人間は「善なる心」を持っているものなのです。


「善なる心」を生み出す根源の世界を、王陽明は良知と言いました。プラトンはイデアと言いました。禅では主人公といいます。


逆をいえば「魂」が失われるほどに、善性は失われるのです。


だから「犯人に共感」とかいう記事を読むと「日本ヤベエな」と思うのです。


ちなみに、大手ファーストフードチェーンを代表するような不自然な食べ物を食べたり、ポケモンGO的なものやりすぎたり、インターネットやりすぎたりすると、魂が失われていきます。

愛が無くなっていくのです。

だから、やめた方が良い。


話を元に戻します。


私は障害者の「せい」ではなく「おかげ」だと思います。


これは偽善でも何でもありません。

「全体性」を感じたら、自然とそうなるのです。


全ての生命は根源の世界では繋がっています。


奇形や異形が無くならない以上、その性質を持って生まれた人は、五体満足な私たちの代わりにそれを背負ってくれた人です。それを世話する方もそうでしょう。


障害者に限らず、知らない誰かの苦しみや犠牲の上に、自分の幸せは成り立っています。


そう考えると、

全生命に対する気持ちは、

感謝しか無いはずなのです。


   ※


あとは余談です。

10年前、(一応)社会福祉学部にいました。

その時に「障害者という呼び名が良くない」という意見を聞きました。

「社会で“生きていくのに障害を抱えた人”というイメージを連想させる」

もしくは

「“健常者にとっての障害”というイメージを連想させる」

というものでした。

当時、この意見には共感しましたが、だからといって、他の呼び名が見当たらない、のが現状でした。


「challenged(チャレンジド)」というのは聞いたことがりますが、英語ですしね。


あれから10年経ちましたが、結局、適切な日本語は聞きません。


改めて、何か無いかな?と思う、夜中4時。


そして、答えは見当たらず。