仲間と一緒に先日の「めちゃイケ」の極楽とんぼ山本圭壱の復活スペシャルをみました。


何も知らない方のためにざっと流れを記しますと、山本さんは2006年に未成年淫行事件で所属していた吉本興業を解雇。昨年1月から、ようやくフリーとして芸能活動を再開。仕事は唯一のレギュラーである宮崎のFMラジオ番組と地方営業でしたが、「めちゃイケ」の20周年企画として、10年ぶりに地上波に出演…という流れです。


話の流れと、その日のテーマということもあって、ゆにわや塾のスタッフも集まって、食堂の大画面でみたんですね。


娯楽として観たいうよりも、その日のテーマであり、メッセージとしてみました。偶然みたものも、読んだ本も、すべてはその日のテーマを示すものでメッセージです。

(※ちなみに、普段、バラエティ番組、ほとんどみません。ただ、私たちスタッフの大半は中~高校生の頃に「めちゃイケ」みていた世代なので、興味はありました。)


どういうメッセージなのか?

思わぬシンクロもありました。

その全てを書くことは出来ませんが、思うところを書き残します。


ネット上では賛否両論ありますが…、私は良かったと思います。


ヤラセ感が少しでもあると冷めたと思うのですが、今回の放送は「作られた感」を感じさせませんでした。むしろ、作られたものであったとしても良いかと思えるぐらい、良かったです。

もし、観てなくて、興味ある方はネットで検索すれば「めちゃイケ/動画/7月30日」とかで検索すれば出てくると思うので、みてください。

最大の見せ場は極楽とんぼの加藤と山本がリング上で向き合って会話するシーンです。

以下の文章はネットからお借りです。

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 番組終盤には加藤と山本がリングのセット上で一対一で対峙し、まず加藤が「10年ぶりだな。こうやってテレビの前で話すの。どういう気持ちだ、今?」と問いかけた。

 しかし、山本は答えられず、押し黙っていた。

 そんな山本に対して加藤は「俺もどうしていいわからねぇんだよ。今こういう状況で、二人で喋らされて。ここにいる全員どうしていいかわからんぇんだよ」と語り、「当たり前じゃねぇからな、この状況。いつか誰かが、いつか『めちゃイケ』が番組にしてくれて、『俺普通に戻れる』。そんなことねぇからな。世間から何も受け入れられてねぇ人間がな、テレビなんか出れねぇんだよ!」と叫んだ。

 また、「お前野球場で歩いてきて第一声、『すいませんでした』だろ。わかれや、もう。照れ隠しでなんでヘラヘラしてるんだよ」と山本の言動を注意し、「これ逃したらもう何にもねぇんだぞ、俺ら。終わりだぞ!」と全身全霊で語りかけた。
(※山本と「めちゃイケ」メンバーは東京・お台場野球場で再会し、「めちゃイケ」メンバーは神妙な面持ちだったが、山本は笑顔で登場していた。)

 さらに「この場とか、このチャンスを与えてくれた、スタッフとか演者のみんなに悪いって気持ちねぇのか?お前10年間、『めちゃイケ』メンバーとかの気持ち考えたことあるのか?どういう10年過ごしてきたか考えたことあんのか?一人ひとりの気持ちになって考えたことあんのか?」と語りかけた。

 加藤は後輩たちの勇気ある行動に、「ここに出てくることにリスクしかなぇからな。お前のことを好きだ好きだって擁護することは、世間でこの仕事をやる中で、リスクしかねぇからな。それなのに出てきてくれてんだぞ。そんな後輩いるか? あんな優秀な芸人になって、“若い頃に世話になった”、“ご飯食べさせてくれた”、それだけでずーっとお前の味方だよ。淳なんてそれで何人敵作ったんだよ」と称えた。

 最後に加藤は「正直に言うけど、どうしようもないわこいつは。どうしようもねぇ男ですわ。ただ、もう一回(コンビで)やりてえんだよ」と人目をはばからず号泣した。

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「ここにいる全員、どうしていいかわかんねぇんだよ」という加藤の言葉にリアリティがありました。

確かに、リアルに想像して、あの局面では、「何言って良いか、どうしていいかわかんねぇ」と思います。スタジオに集まっていたタレント達の涙もリアル感がありました。

リアルなものは、目線を外せない。引き付けるものがありますね。


しかし、賛否両論あります。


なぜ、否定されるのか?というところですが…

まず、日本人は「罪穢(つみけがれ)」を嫌う傾向があります。

これは、良くも悪くも日本人らしさです。

簡単に言えば、日本人は「キレイな奴」は好きで、「ケガれてる奴」が嫌いなんです。

舛添さんも、ベッキーさんも、多くの人から「あいつはケガれてる」と思われた。だから、全員、干されました。最近では、鳥越さんは、完全に「ケガれ」になりました。

矢口真理さんは復帰できましたが、「ケガれ」の印象は簡単には、ぬぐえません。10年前に「矢口に似てるね」は褒め言葉でしたが、今の「矢口に似てるね」は悪口です。つまり、矢口さんはいまだに多くの人の印象は「ケガれ」です。


山本さんは、10年前にカンタンには
禊(みそぎ)しようが無い「ケガれ」を背負ってしまった。


それは世間的にも芸能界の内部においてもです。


ケガれたらどうするか?


禊(みそぎ)するしかありません。

それが、日本人らしさです。


そして、「10年」という月日は罪(ケガレ)が禊(みそぎ)されるには十分だと思います。


これを十分と思うか、不十分と思うかは人それぞれ感じ方はあるでしょう。私個人としては、十分と思う。というところです。


禊(みそぎ)とは「身(み)削(そ)ぎ」です。


身が削がれるようなツライ思いをするほど、自分が犯した罪過ちは許されて世間の印象や潜在意識はキレイになっていくのです。


また、山本さんが干されていた期間は38歳から48歳という、社会的には一番活躍できる年齢の時です。その時間を奪われたのは十分な「身削ぎ」といえるのではないでしょうか?


運命学的にいえば「10年」は一つの転換の単位です。

10年続けたことは、何らかの結果や成果を生むといわれてます。

10年、身削(みそ)がれたから、出てこれた。


これは一つの要因です。


もう一つありますね。


それは「アツさ」です。

今回のケースでは二つの「アツさ」があります。


山本さん本人の「芸人として錆びてはいけない。折れてはいけない」というアツさ。

仲間の「あの時、お世話になったから、恩を返したい」「仲間が戻ってこれる場所(めちゃイケ)を守りたい」というアツさです。


番組でも言ってたように、その思いや行動はすでに成功している芸人達にとっては「なんのメリットも無い。山本を応援することはリスクしか無い」です。


何のメリットも無くても、リスクしか無くても、友達や仲間を応援したいという思いを

「義理(=人としての筋)人情(=仲間のために)」というでしょう。


また、10年間、アツい思い(情)を絶やさないということも並大抵ではないです。おそらく、その思いが消えそうになった時も、あきらめそうになった時も、あったでしょう。


炎が消えそうになっては、つけなおし。

折れそうになっては建て直し…


そこに、私は、人としての「美しさ」を感じます。


人間関係に傷ついた人や、人情を感じたことが少ない人は「そんなのあるわけねぇよ」とか「テレビの演出でしょ」とか水を差したくなるかもしれません。


でも、私は「仲間(先輩)のために」という思いは「美しい」と思いますね。


そして、運命の神様は「美しい思い」や「美しい生き様」を残そうとする人を応援するでしょう。


運命の神様が応援する=目に見えない世界で力が働くから、何らかの成果や結果は結ばれる、ということです。


ちなみに、情を絶やさない人、筋を通そうとする人が、必ずしも美しいとは限らないですよ。人をダメにしてしまう情も、自分も人も不幸にしてしまう情も、通さなくて良い筋もあるとは、思います。そういうのは美しくないです。


じゃあ、一体何が「美しい情」で、何が「美しくない情」か?


決まった法則はありません。

その違いを判断するのは、理屈ではなく、感性です。


今回は「良いものをみたなー」と思いました。


特に、「丙」(=太陽)の年である、2016は、そういうアツい思いは大事です。



美しい思いを

美しい生き様を

残そう。


   ※


「最近、ブログアツイですね!頑張って続けて下さい」というお声を何名かからいただきました。

その方達のために、今日も頑張って書きました。

たぶん、今だけです(笑)。

もうちょっとしたら、いつもの写真日記に戻りますからね。


ただ、私は性格が気分屋なので、応援メッセージなどもらえたら、もう少し頑張るかもしれません。


写真は近所の公園。夕暮れの写真。