前向きに生きよう!

って言うけど、

進んでる以上、自分の向いている方向は常に前だよね。

後ろ向き、っていうのは相対的に観測された「後ろ」だと思うの。


それでも「前向きに」が大多数に、似たようなニュアンスをもって受け入れられている。


みんなの言う「前向きに」は、他人から見て「前」とか、以前の自分の向きを「後ろ」と定義した上での「前」なのだろうか。


前向きと後ろ向きには違いはない。

しかし、進んでいることと止まっていることは決定的に違う。

むしろやるか、やらないかの違いしかない。

それしか観測できない。



以上のことを口に出さずに

「そうなんだ!がんばって!」

で終わらせる事を学習したのは、ここ数年のことだ。

鈍化していくしあわせがここにはあるのだ。





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ゴミを捨てる。
今回も100冊以上本を売ることになりそう。
前回70冊売ったから、合計すると200冊近い本が我が家にあったのだ。
実は一度読んだ本を読み返すことはあまり無い。
だから本も綺麗なまま、本棚に眠っていた。

本を売るのはなんだか寂しい。
読まないのに。
でもきっとそういうものなのだ。
身の回りのものに少しずつ感情を映して、読み返さない本を大事にしまっている。
片付けようと思っても、埃をかぶった重い本の山を前に途方にくれて、また本棚を閉じる。

物理的な移動が切っ掛けで、私は溜まった本を整理した。
やはり肉体は精神の器であるが、精神は肉体に隷属している。
ときに物理的な動きは精神的な動きを誘発する。

泣くから、悲しいのだ。

賃貸契約をしてきた。

名義は彼氏なので、私は名前すらどこにも書いてないけど。


今度は秋葉原から駅徒歩3分。

12階建ての10階。

羽虫すら入ってこないぜ。多分。


母はあまり良い顔をしていない。

母の借りた家に二人で住めばいい、とか

祖父の持ってる物件に住めばいい、とか

きっと私を手放したくないのだ。

母子家庭はどうしても母娘の繋がりが密になりやすい。


私自身も未だに一人の大人として認識されていない。

これは私の生活力の無さが原因だろう。


小さい頃、母は絶対的な存在だった。

母は間違えないとどこかで信じていた。

でも、よく考えてみると母だって人の親になるのは初めてなのだ。

もちろん子どもが自立していくのも初めての経験だ。

そんな当然の事に最近気づいた。


私は母の認識下ではゆっくりと自立していこうと思った。

急な変化はストレスにしかならない。

いつか、大人同士の距離感をお互いに承認出来ればいい。

私自身も、過度な期待を押し付けるのはやめよう。


ああひっこしめんどくさい。




  1. わたしたちは孤立し、人や権威を恐れるようになっていた。
  2. わたしたちは承認を追い求めるようになり、そうしているうちに自分が何であるか分からなくなっていた。
  3. わたしたちは人が怒っていたり、何であれ個人的な批判を耳にしたりすると怯えてしまう。
  4. わたしたちはアルコホーリクになったり、アルコホーリクと結婚したり(両方の場合もある)、あるいはワーカホリックなどの他の強迫的な問題を持つ人を見つけたりして、病んだ「見捨てられ欲求」をみたそうとする。
  5. わたしたちは人生を犠牲者の視点から生きていて、そういう弱さによって恋愛関係や友情関係で人にひきつけられる。
  6. わたしたちは行きすぎた責任感を持っていて、自分のことに気をつかうより他人の心配をする方が簡単にできる。そうすることで例えば、自分の欠点をよく見ないですむ。
  7. わたしたちは人のいいなりにならずに自分の意見を述べると罪悪感を感じる。
  8. わたしたちは刺激に嗜癖するようになっていた。
  9. わたしたちは愛を哀れみと取り違え、自分が “哀れみ” “救える” 人を “愛する” 傾向がある。
  10. わたしたちは悪夢のようだった子ども時代から感情を抑え込んできて、そうするとひどく傷つくので、自分の感情を感じることや表現することが出来なくなっていた(否認)。
  11. わたしたちは自分のことを厳しく裁き、自己評価が非常に低い。
  12. わたしたちはとても依存的になっていて、見捨てられることを怖れ、見捨てられる痛みの感情を経験しないですむように、人との関係が切れないようにするためになら、どんなことでもしようとするほどだ。その痛みの感情は、わたしたちにとって情緒的に不在だった病んだ人たちと、一緒に生きてきたことから受け取ったものだった。
  13. わたしたちは、自ら行動する人ではなく反応する人である。

これは特徴を述べたものであって、非難ではない。


以上ACAからのコピペ。

問題解決の第一歩は、問題が何かを設定することにある。

はっきりと自己主張ができるようになれたらいいいな、と思う。

すこし前までは、解決の必要性を意識することはなかった。

「かわいそうな自分」に酔うことは、問題から目を逸らすことだった。

長い目で見たら、自己主張ができないことは不利だ。

問題点を正確に、客観的に評価することから始めようと思った。


客観は位置ではなく高さだ。



昨日は友達の働いている店でメチャもてワンピを買ってきた。
メチャもてワンピ(笑)

来月引っ越すので
沢山物を捨てている。
途中で懐かしい物も見つけて
感傷にひたる
わけでもなく。

色んな匂いがする部屋にも
さよーなら

あ、これが感傷か。
感じ方も変わったな。