とくに話らしい話はしなかった。
会話を拒むわけでもなく、だが、
女の子は訓練された者のように、訊かれたことへの情報を最小限に提供するだけで、
それ以上の無駄口を一切たたかなかった。
それによると女の子は高校を卒業してすでに二度目の春であり、
次の冬には二十歳を迎えようとしていた。
六つ違いだね。
僕はいった。
そうですか。
女の子はこたえた。
女の子に傘を預け、自転車を押して歩きながら、
僕は少なからず高揚していた。
奇妙な女の子ではあるが不快ではなかった。
女の子は藍染めか何かの、年寄り臭い布袋を大切そうに抱えていた。
革のハンドバッグでなく、藍染めの布袋というところに惹かれた。
ヒールでなく安物のスニーカーというもの気に入った。
ここで結構です。
女の子は立ち止まった。
未だ住人がいるとはにわかに信じられないくらい、
うら寂れた四階建ての公団住宅の前だった。
遠くから見て入口は三ヵ所あり、
その一番手前の階段の踊り場にだけ蛍光灯が点滅していたが、
残りの二ヵ所は明かりもなく冷たいチェーンが掛かっていた。
同じような建物が付近にいくつかあったが、
どの窓にも明かりはなかった。
「大江と申します。今日は本当に有り難うございました」
女の子は礼儀正しく頭を下げた。
「僕は清水靖孝。大江さんの下の名前は?」
それに対して、僕は不躾だった。
「――沙織です」
女の子は、僕の視線を避けて答えた。
また話しかけていいかな。
と訊く。
沙織はこたえなかった。
だめといわれても話しかけるよ、また病院で会おうね。
傘を貸したまま、僕は自転車にまたがった。