過指示という言葉があることを、どなたかのブログで知りました。
あーこれこれ、まさにこれと思いました。
この言葉を教えてくれてありがとうございます。
すごくコレ!と思いました。
過干渉、過保護という言葉は知っていても、今一つピンとこない気がしていました。
私の母はすでに亡くなりましたが、母の事を思う時、確かに過干渉だったと思いますし、また若い頃の私は母を頼り切っていて、依存していたのも確かです。
でもなんだかとても苦しいのですよね。
頼っているのだから楽をしているはずなのに、なんだか大変で苦しい。
過干渉、確かに。
でも私も母に干渉してほしい。母に私の事を見てほしい、そんな気持ちは大いにありました。
私自身も母に甘えて頼って、それで精神を保っていましたから。
だけど一方で何か苦しい、ほっとできない、息つく暇がない、しんどい。
特に私が子どもを産んでからは、その傾向が増しました。
これが何なのかわかりませんでした。
ただ、私が母に依存していたからだ、共依存だったからだと漠然と思っていました。
過指示という言葉を聞いた時、これだ!と思いました。
そう、私は母に頼ってはいましたが、母のこうしろ、ああしろ、という指示が次々に飛んできて、息つく暇もなかったのでした。
まさにこれ、過指示。
母の言う事を今すぐやらなければ、怒りの矢が飛んでくる。待ったなしです。
私は私の考えも都合も、私の子どもたちの要求もすべてを後回しにして、母の指示をまずはやらないといけない。
次々と飛んでくる指示に振り回されて、自分の都合や思いなど感じる暇もありません。
そして私の行動や私の子どもたちの行動を、厳しく注目して次々、あーだ、こーだ言ってくるのです。
自分の実家に帰っているのに、洗濯物を洗うのにも、見つかると何かしら言われるので、早朝にこっそり洗ったりしていました。
子どもたちが麦茶を飲もうとする行為にも目を光らせて、いろいろ指摘してきて、母の気持ちに添うようにしなければなりません。
そう注目しすぎで、指示しすぎ、そんな感じ。
普段は離れた所に住んでいるので、ワンオペ育児の私でした。
そして一番上の子は、多動で過敏でこだわりが強く怒りの爆発や癇癪がたびたびある子ども。
その発達障害を持っている非常に困難な子どもを育てている私に、少しのリスペクトも無く、ダメ出しや指示ばかりが飛んでくる。
それは苦しいわけだと今なら思えます。
でも一方で私はそれでも実家に帰る日をとても楽しみにしていました。
これはなんでだろう?
そして私は母が好きでした。
そして私の子どもたちも母(おばあちゃん)のことが好きでした。
これはなんだろう?
私の今の言い方だと過指示でうるさい自分勝手な母ということになってしまうのだけど、
決してそれだけではないのです。
この感覚にも名前がつくとしたらすごくスッキリすると思います。
今はまだわからないけれど。
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