発達障害がある子どもを育てていて辛いのは、それは「誰も知らない」ってことです。
「誰も知らない」「誰にも知ってもらえない」「誰にも知られることがない」
この苦しみをこの辛さを、この悲しみをこのやるせなさを誰にも知られない。
ってことは無いってことなんです。
無いってことになっている、無いってことにされている、無いのだから誰も助けてくれない、誰も心を寄せてくれない。
この誰も助けてくれない感。
誰も援助をしてくれない感。
誰も心を寄せてくれない感。
誰も関心を向けてくれない感。
孤独感、
まるで自分も子どももいないかのように感じる感。
世間と切り離されてポッカリと、自分たちはここに居るのに感。
それが辛かったです。
子どもが大騒ぎするのは家の中。夕方、夜。
家の中で、何が起きているのか誰も知らない。
誰にも知ってはもらえない。
誰にも見てはもらえない。
どんなに大声を出していても大騒ぎになっていても。
誰も声をかけてくれない。
「あーまただ。うるさいなあ、迷惑だなあ」と思っても、なかなか直接、注意をしに家まで来てくれることはない。
当たり前だけど、誰も家の中まで入ってきて「どうした?何さわいでんだ?」とは言ってはくれない。
それはそう。当たり前だし、ご近所さんも我慢に我慢をしてくださっている。それだけでせいいっぱい。
関わり合いになりたくないと思って、大迷惑をグッと我慢するだけで、せいいっぱいでいらっしゃるだろうことは、わかります、ほんとにすみません。
だけど本音では、誰かに声をかけてほしい、誰かに飛んできてほしい。
たとえそれが、「うるせんだー静かにしろっ!」と怒鳴るのでもいい。
そしたらきっと子どもの実体を見てもらうことができたのではないかと。
そして私はその場で声をあげて泣いたのではないかと思うのです。