創世記29章 30章 聖書は読むほどに恵まれますよ。。

 

兄弟姉妹!今日も教会に行かれて、神さまの霊感によって満たされた先生のメッセージにより、心の目と耳が開かれました?私たちが神さまを信じて、神の子どもとして自分に与えられた恵みの特権を知り、理解する時、私たちがどんなに罪の汚れで真っ黒になっていても、失望したり、悲しんだり、諦めたする必要がないことが聖書には書いてあります。この事は「昔・昔話ではありません」今も有効で、真実な神さまの約束の御言葉なのです。

 

そんなダメ人間の私たちのために、神のひとり子なる「イエス・キリスト」ダメ人間の救いのためにこの地上に、救い主として与えてくださったのです。信仰により「神さまの御言葉は真実である。」その事を知るなら、自ら進んで神さまに喜んでもらいたい、神さまに仕えたい・・・救われた喜びにより「奉仕と仕える。」と言う願が心の底から自然に溢れ出てくるようになります。私は、主イエス・キリストの十字架の愛を毎日感謝しながら、イエスさまと共に自分の十字架を負って私に従いなさいの道を、躓いたり、転んだりしあがら歩んでいる山本でもあります。

 

パウロは1コリント15:10で「私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかの使徒たちよりも多くの働きをしました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」エソウは、父が長男に与えるべき祝福を、お父さんを騙して手に入れたヤコブの祝福の事で・・エソウは「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」

 

この事を知った母リベカはヤコブに「私の言う事を良く聞きなさい。兄さんのエソウはあなたを殺してうっぷんを晴らそうとしています。今、私の話を聞いて私の兄のラバンのところに逃げなさい。兄さんの怒りが静まるまで、しばらくラバンのところに留まっていなさい。兄さんのいきどうりがおさまるまで、しらくラバンのところにとどまりなさい。そしてラバンの娘の中から妻を娶りなさい。」

 

その理由は、兄エソウが、神様が結婚を禁じておられる異邦人の民、偶像を礼拝する国の娘たちを妻として娶ってはならないと禁止されているのに、嫁として迎えました。彼らは生きる神を礼拝せず、偶像を礼拝し両親が生きて行くのが嫌になるぐらい失望を与えていたからです。

 

イサクは父母のもとから逃げるように、恐れと不安の中で叔父のラバンの住んでいるカランへと向かいます。その途上で神がヤコブに現れ、天国の情景を見せられ、またヤコブを守り、最高の祝福を与えることを約束され、怯えているヤコブを励まされラバンのもとに送られます。

 

そしてヤコブは自分の妻になるべき運命の人に井戸のそばで出会う事になります。

 

1-8「ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。ふと彼が見ると、野に一つの井戸があった。そしてその井戸のかたわらに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。 群れが全部そこに集められたとき、その石を井戸の口からころがして、羊に水を飲ませ、そうしてまた、その石を井戸の口のもとの所に戻すことになっていた。」

 

その場所は、ヤコブの計画により意図して来た場所ではなく。神さまがヤコブに約束された事が成就する場所だったのです。それも井戸がある場所です。アブラハムのしもべがイサクの妻になる人を探しに来た時も、井戸がある場所でした。井戸には水があります。水は命の源でもあります。水は生活全般の繁栄と力と豊かさを約束してくれる貴重なものです。

 

神さまはヤコブを導かれたように、ラケルから生まれた子どもヤコブも、イサクに約束された通りに導いておられます。その井戸の所にいた人にヤコブが「兄弟たちよ。あなたがたはどこの方ですか。」私たちはカランの者です。ヤコブは「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか。」と尋ねると、彼らは、「知っています。」と答え、彼らは元気されて折られますよ。

 

ご覧なさい。あの人の娘ラケルが羊を連れて来ています。と言ったのでヤコブは驚きました。自分の求めていた人が、自分の目の前に来ているのですから。。。ヤコブはラバンの羊の群れを見ると直ぐに井戸の口の上にのっている石を転がし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませました。そしてヤコブはラケルに口づけし、声を上げて泣いた。」

彼女は羊飼いでした。こうして、主は確かにヤコブを、ラケルが必ず来る場所へと導いてくださったのです。一度も顔を見た事のない、それも一度も行った事のないカラン、見知らぬ地です。神さまは実に素晴らしい、粋な計らいをなされるお方です。主は、ヤコブがラケルに会う時間をも正確に導いておられるのが分かりますか?

 

口づけは、もちろん中東における挨拶です。

 

ヤコブが、自分は彼女の父の親類であり、リベカの子であることをラケルに結納の品として、耳輪・輪・首輪などの金銀の品々をラケルにプレゼントしています。高価な品々で着飾った娘ラケルが走って行って、父にそのことを告げた。

 

ラバンは娘が身につけている装飾品を見て飛んで、妹の子ヤコブのいる所に直ぐに飛んで行き彼を迎えに行きます。彼を抱きしめて、口づけをし、ヤコブを自分の家に連れて帰ります。ヤコブはラバンに、事の次第のすべてを話した。ラバンは彼に、「あなたはほんとうに私の骨肉です。」と言った。

 

こうしてヤコブは彼のところに一か月滞在し、おじであるラバンがヤコブの事を歓迎してくれたと娘のラケルに一目惚れしたヤコブは、1ケ月間、ラバンの所で、家畜の世話を賃金なしで働きます。そのことが叔父ラバンを更に喜ばせました。このようにヤコブの生活は、先ず、仕える生活、奉仕する生活によって新しくスタートします。

 

彼は、ベテルで現れたイエスさまの御言葉を信じて旅をしました。そうしたら、主が自分を井戸まで導き、そこにいる人々と話している時間まで設定してくださった事を知ったヤコブは主に感謝の祈りを捧げたことでしょ。

 

次にヤコブに報酬を聞くラバン15-20

 

ラバンはヤコブに「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもなかろう。どういう報酬がほしいか、言ってください。」 ヤコブがここに来た目的は、ラバンの娘を妻にする事でした。ラバンにはふたりの娘がいて、姉の名はレア、妹の名はラケルであった。レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった。ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために七年間あなたに仕えましょう。」

 

ヤコブにとってラケルは特別な女性、神さまが自分に会わせてくださった人。何処となく母リベカにも似ていて、姿も顔立ちも美しかったので、ヤコブは一目惚れで、ラケルに恋しました。彼は、結婚の結納金のために、7年間働くことをラバンに約束しました。するとラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」と言った。これは、ヤコブに対する誉め言葉です。親戚であるだけでなく、ラバンは1ヶ月間のヤコブの仕事を見て、信頼したようです。ヤコブも愛するラケルのために七年間仕え、それがほんの数日のように過ぎ去ったようです。恋の力はすごいです。

この続きは次回になります。兄弟姉妹の信仰の創造力でヤコブ、即ち

あなたの人生も変えられるのです・・

乞うご期待

主イエス・キリストによって、兄弟姉妹!あなたの人生も変えられますぞ

信じるならです・・ですぞ!