今日も教会で礼拝を受けられましたか?「は~い」悪魔の誘惑に勝利されたこと共に喜び、そして神さまに感謝します。私たちは牧場の羊だから・・

 

最近、今の世の中を見ていて気づくことは・・「昔は良かった・・・」と言う言葉です。今の若者たちに昔の話をしてもピント来ないようです。でも私たち高齢者たちとっては、昔と今を前提に嘆いたり、つぶやいたりする事が多くなっているのは事実です。

 

昨日の夕食の時に圭と貧富の差によって生まれたブラジルで起こった昔の悲劇の実話をテレビを見ていました。お父さんがある日、家に帰って来なくなったのです。だから一人息子を母親がひとりで育てて生活していていました。ある日母親が拳銃で殺されるという悲しい出来事が子どもの目の前で起こったのです。

 

それからその男の子は住む家も家族もいない誰も彼の面倒を見てくれる人がいないので「ストリートチルドレン」になり、非常な差別の中で21歳を迎えた時、自分の友だち仲間二人が、パトカーにいたずらをしたことで警察官に少年の目の前で仲間二人が射殺されたので、その恨みを警官に晴らすためにバスに乗りこんで乗客を人質に、バスをハイジャックしました。

 

そのハイジャックしたバスの中で、人質として捕らえた人たちと会話をしている間に、自分の犯している罪について悟り、自首することを決意します。一人の人質と彼はバスから降りて自首しょうとしたのに、それとは知らない警官が発泡し、その弾が彼からそれて人質あたり、人質は即死です。助かった彼は特殊部隊に逮捕される時に、多くの警官がかれを取り押さたので、折角、自首しようと決意してバスから降りたが、多くの警官が彼を取り押さえようとしたので圧死してしまったのです。

 

圭と話していたのですが?生まれた時から、差別の中で生活をしなければ生きれないなんて・・人間に取って最悪やな!誰でも犯罪に走るわ・・生きていても本当に地獄やな!

 

日本にも「ホームレス」と呼ばれる大人たたちがますが、路上生活する子供の姿は殆ど見ることはありません。

 

 一方、地球上の多くの国々では、紛争や戦争、干ばつや飢饉などで生活の場を失ったり、親の暴力や虐待によって家族から逃げ出してひとり路上生活する子供たちが増加しているのが現実です。

 

6・28日に米国である白人夫婦が黒人の子どもを数人養子にして倉庫に閉じ込めて奴隷として働かせていた容疑で起訴された事件がありました。

 

現場に出動した警察は倉庫に11・14歳の子どもが閉じ込められているのを確認、それ以外に6・9・16歳の子どもたちも見つかっていましたが、貧しい家で生活に困った親にすてられた孤児たちです。貧困と戦争が生み出した悲劇です。だから「こんな人間は直ぐに死刑にしたら良いのよ。」口から直ぐに出てしまいます。

 

しかし、今日の詩篇37:1―8を読むなら到底理解に苦しむ言葉が書かれてあります。

 

「悪を行うものに対して腹を立てるな。不正を行うものに対して妬みを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。主に信頼して善を行え。地に済、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの技を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道を栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな」

 

思わず、「なんでやねん!」と怒りを抑えるのが一苦労です。何故なら、彼らは悪事を働きながら、贅沢三昧な生活を楽しみ、ガレージには何台もの高級車が並んでいる?それで自分のやりたい放題やれて、幸福そうに見えるのです。「何でこんな悪人が堂々と生きているか。神様、どうして彼らを放置されるのですか?神さまが本当に今も存在するなら、悪人をどうして野放しにしているのですか?早く裁いて下さい。こんな不公平な世の中で、果たして信仰が何の役に立ちます。信じた者がバカを見るだけです。」と思わず怒りが爆発するような時があります。

 

この時とばかりに、サタンは私たちの心に侵入してきます。それは「悪者に対する嫉妬・怒り、憤り」が心にあると、黙っていても「憎しみと復讐心」が芽生えます。悪魔はその人が憎しみと呪いをもって、犯罪を犯すように誘導するからです。

 

先程話したブラジルの青年の犯罪のように・・・

 

悪魔は人をそそのかしては責任を一切負いません。ただただ人が罪を実行し犯罪人にし、最後は全てを奪い、殺してしまうからです。サタンの究極的な狙いは、全ての人間の心に悪事を謀ろうという思いを心に植え付け事です。そして「目には目を、歯には歯を」悪を持って、悪に対抗しようとする心、その人に仕返しや復讐させるためです。

 

もしクリスチャンが悪魔のシナリオ通りに行えばもはやそれは、サタンの思う壺です。

 

今日の詩編は、嘘つきサタンの誘惑にうまく乗せられ、心の中に悪の思いを抱かないようにしなさいと言う警告がされているのです。「自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。」苛立ちに対する警告が何度も繰り返されています。私たちは、このような攻撃に出会った場合、反撃したり、復讐したり、策を練ったりせず、主なる神様にひたすら目を注ぎ、全知全能にして義なるお方に信頼することが必要です。

 

2主に信頼せよ。

今日の御言葉には「主に信頼せよ。主に自らをゆだねよ。主にまかせよ」そして「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」とあります。自分の力で相手に報復したり、自分も悪事を謀ったりせずに、ただ、沈黙して主を信頼し、主にゆだね、主に任せ、主を待つことです。悪魔は、私たちが神様に信頼しないように、何とか神様と私たちの間を引き裂こうと画策します。

 

ローマ12:19,21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。」「悪に負けることなく、善を持って悪に勝ちなさい。」サタンの誘惑に負けそうになる時もありますが、悪魔の嘘の誘惑に乗らずに、真実の神さまの御言葉に立って、どこまでも主に信頼して、生きて行く事ができるようにひたすら祈っている今日このごろです。

 

最後に37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。」

 

「主の前に静まる」ということは最も単純な命令ですが、最も守るのが難しい命令でもあります。兄弟姉妹、登山をする人たちがしばしば道に迷った時に、最もしてはいけない事はなんでしょうか。それは、道を探そうとして、さらに迷ってしまうことです。道を探せば探すほど道に迷ってしまいます。

 

けれども、迷ったところに留まっていれば、もしかしたら誰かが発見してくれるかもしれません。山で路に迷う時は特にそうです。詩篇119・105「あなたのみことばは、私の足の灯、私の道の光です。」とあるので、聖書を読み進んで行くと詩篇37:5「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」大事なことは、悪人がどのようにしようと、政府や会社や組織が不誠実であろうと、「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。」ということです。

 

自分主導の自分が立てた計画に主が力を与え、働かれるのではありません。そうではなく、自分と自分の思いを主に委ねて、主に全てをおまかせして信じ、神さまが立てられた計画に従順することです。私たちが信じ、祈り求める時に、主が御心を示して下さいます。

 

私たちを愛しておられる神さまのプランは、自分の思いとは、しばしば異なります「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、私の道は、あなたがたの道と異なるからだ」とある通りに、「わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」自分の思いに合わなくても、主のプランに従って行く時に、必ず大きな祝福に預かります

 

。神から発した事は、必ず神によって成り、神に至るからです。目の前の重荷を、苦しみを主にゆだねよと言われていても、なかなかゆだねられないのも事実ですが、信じることができますようにと祈って行きましょう。

 

自分の力で何とかしなければいけないと考えるのは、不信仰なのです。復讐することはそれ以上罪を重ねる事になります。神の怒りに任せることです。主が、成し遂げてくださるからです。その主に信頼しましょう。主が必ず私たちのために最善を成し遂げて下さいます。祈りましょう。