能登半島海底露出で津波観測計も機能せず。気象庁は1日の地震発生当日、津波の最大値を「1・2メートル以上」と発表するしかなかったようです。実際には、珠洲市などの沿岸を4メートル超の津波が襲った事が判明している。日本地理学会によると、今回の地震で、能登半島の北側の海岸線が約90キロの範囲で沖方向に広がり、特に隆起が大きかった石川県輪島市門前町黒島町では、海岸線が約240メートルも沖側に前進したことが確認され、海岸線の地盤は、最大で約4メートルも隆起して高くなった。

 

翌日、港を確認しに行くと、水深約2・5メートルあった港内は、まるで渇水で干上がったかのように海水がなくなっていて、近くの岩場は隆起して海面から露出し、海底があらわになっていた。この1週間前まで海水で満たされていた漁港は干上がり、海底にあったはずの岩礁が地上にあらわになっている。それは沖合の方向に100メートル以上も続き、海水がなくなって息絶えたサザエやアワビなどがごろごろと転がっていた。陸化した面積は一瞬にして、甲子園球場約114個分に相当すると言う事です。自然の力の前には人間はなすすべもありません。

 

兄弟姉妹!信仰の祈りが必要です。祈りの輪を広げて行きましょう。

 

さて、1―2イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。汚れた霊につかれた人が、イエスに近づいています。汚れた霊については黙示録12章4節に「その(竜の)尾は、天の星の3分の1を引寄せると、それらを地上に投げた」とあります。悪霊は人に憑いて、人の魂や体を乗っ取り、言葉を話したり、その人の体を異常に動かしたりします。

 

栄光子羊教会では、悪霊に取り憑かれた人を「主イエス・キリストの御名により」悪霊を追い出したりするのですが、その場合、沢山の悪霊に占領されたいる人はすごい力で暴れ回り、それが女性であっても4人がかりで抑え込むという場合もあります。兎に角、悪霊は「主イエス・キリスト」の御名により出て行くのですが、大勢の悪霊が入り込んでいる人は「暴れだすと半端ではありません。そして口から出ていけへん!」と叫び、暴れまわりので抑えるのも大変で、信仰がなければ出来ません。反対にやられてしまうのではないかと思うぐらい勢いがあるからです。

 

結局、悪霊は主イエス・キリストの御名により出ていき、悪霊から開放された人は後、正気に戻ります。だから、悪霊の力はすごい勢いがあることは事実です。

 

ゲラサの地で悪霊に取り憑かれて大変苦労されている男性の住処は墓場でした。もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができな位ぐらい凶暴になっています。彼はすごい力で鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまいます。だから何度も彼の鎖や足かせは、より強力なものに作り替えられて縛るのですが、また、直ぐに壊してしまうという怪力の持ち主です。

 

イエスさまは弟子たちに向かって「この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。」と言われているように、当時、栄光子羊教会では一日1食~2食断食が当たり前のように導かれていましたから、常に悪霊を追い出す備えがあったので、悪霊に疲れた人が教会に来ると直ぐに、悪霊を追い出す事が出来たのです。

 

墓場を住処としている彼は、夜昼となく、叫び続け、石で自分のからだを傷つけるので、全身傷だらけです。6-10「彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。」そんな彼が、イエスに駆け寄り叫んでいます。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。主の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」彼はイエスさまを、「いと高き神の子」と呼んでいます。悪霊はイエスの正体を知っています。だからこの悪霊は、イエスにお願いしています。この「願う」という言葉は5章に数多く出てきます。

 

彼は、自分を苦しめないようにイエスに願っています。その理由は「イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからです。悪霊は霊だから人のからだに住み着き、そしてその人が罪を犯すように働きかけるので、体が必要なのです。

 

イエスさまは悪霊に憑かれた男性に向かって「おまえの名は何か。」と尋ねられると「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」彼に侵入していた汚れた霊は、何と一人ではなかったのです。レギオーとは、古代ローマにおける軍隊のうち陸軍の基本的な編成単位のことで、軍団はローマ市民権を有する者だけで構成されてて、1つの軍団は時代によっても異なるが、帝政ローマ時代では1つの軍団は10のコホルス(大隊)から構成され、騎兵200強を含めたおよそ5,000から6,000人の軍団兵がいた。

 

そのように、男性にはレギオンという大ぜいの悪霊が住み込んでいたので、鎖を引きちぎったり、足かせを打ち砕くような怪力があったのですが、イエス様に、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願するのを見たら如何に、悪霊どもがこのゲラサ人の地方が気に入っていたかが分かります。

 

そこの山腹に、豚の大群が飼ってあったので「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」と言っています。「豚」はレビ11:7律法によると汚れた動物と言われていた。今でも豚はよく煮なければ、なければならないと言われますが、豚を良く煮てたべないとサルモネラ属菌や様々な食中毒のリスクと寄生虫がいるからです。

 

神は聖なる民、イスラエルの民を様々な菌による病から彼らを守るために、レビ記11章に詳しく食物規定が書かれていたイスラエルの民はそれを守っていたのです。豚は食べてはならない汚れた生き物として律法には書かれています。ここでは豚が飼われています。つまり、律法に反するビジネスが行われていたのです。汚れた霊どもはイエスに、苦しめないでください、この地方から追い出さないでください。そして、豚に乗り移させてくださいとお願いをしています。

 

イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った2千匹ほどの豚の群れが、険しいがけから湖へなだれ落ちて、湖におぼれて死んでしまったのです。2千匹もの豚が一気に湖になだれ落ちて溺れて死んだのです。

 

14-17、こうしてイエスは、男性から悪霊を追い出されました。イエスは、悪霊に関心があったのではありません。悪霊につかれ自分の体を傷つけ、悪霊によって日夜苦しめられたた男を哀れに思われたから、彼の中に住み込んでいる多くの悪霊を追い出されたのです。しかし、悪霊に取り憑かれた男性が癒やされ、正気成ったことなどその地方に住んでいた人々は無関心で、イエスさまの心とは違っていました。

 

豚を飼っていた者たちは、自分たちの生活源である豚が全て失われた事の損害を町や村々告発したのです。そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を来て、正気にすわっているのを見て、恐ろしくなったのです。

 

何故?自分たちの飼っている豚が2千匹おぼれて死んでしまったからです。彼らは汚れた霊に憑かれた男性が癒やされるよりも、自分たちの収入源、ビジネスに関心があったからです。今も昔も同じです。この世の中は、人の命よりもお金に関心を持っています。だから、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるように願っています。

 

人間には選択の自由が与えられています。だから彼らは、イエスに願ったのです。その願いは、イエスをゲラサ後から追放することでした。彼らは、イエスとともにいることよりも、悪霊といっしょにいるほうを選ぶ事を選択したのです。彼らは、イエスの言われている神の国によりも、悪霊とともにゲヘナに投げ込まれることを選んだのです。

 

無神論者は「イエスを信じるのも、信じないのもあなたの自由だ。」と言います。しかし、それでは、自由というものを本当にわかっていません。自由があるということは、責任があるということです。だれかに強要されている時は、その結果を強制した人の責任にすることが出来ますが、自分が自由に選択した事は、その人、本人の責任になります。

 

パウロは信者に対して2コリント5:9、10「私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになります。こういうことで、私たちは主を恐れることを知っている。」と言っています。

 

私たちの選択の自由には、主への恐れがともなうと言う事です

 

ゲラサの民からこの地を出て言ってくださいと言われたイエスさまは、それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願いますが、イエスさまはそれをお許しにならないで「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんな大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」

 

彼が悔い改めた事が良く分かります。罪を悔い改めたからこそ「悪霊の束縛か」ら開放され、罪から救われたので、イエスさまと同行の願いをしたのです。しかし、イエスさまは「主が自分にこんな大きなことをしてくださった。主がこんなに私をあわれんでくださった。」

 

そうした彼の心の燃える思いと感動が彼の心のうちに渦巻いていたのを知っておられので、証人としての役割を果たすように命じられたのです。彼がやるべきことは「イエスさまが私を癒やしてくださった。罪から開放し、悪霊から開放してくださった、その事を有りのままを語り告げなさい。証しなさい。特に、あなたの家と家族や友人たちは、あなたがどんな状態であったかを良く知っている。そんな彼らに救いの福音を宣べ伝えなさい。と言われたのです。

 

そこで、彼はその地を立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広めた

 

その証を聞いた人々はみな驚いた。彼は、力強い主の証人となったので、イエスが神の子キリストである事を知ったのです。悪霊の追い出されると病人は癒やされました。イエスは肉体を取られた「全能の神」であることを示されたのです。このイエス・キリストが、私たちの願いを聞き入れて下さるのです。

 

Ⅰヨハネ5:14「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ、神にたいする私たちの確信です。」お祈りいたしましょう。