ルカ4:18~19 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」

 

石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震が1995年の阪神大震災があった。

今回経験した自然災害の悲惨さは想像以上だった。「立ち尽くしている人が多かった。人間はああいう時は涙が出ないですよね.

恐らく。安否が分からない家族がいて、建物に人が取り残されている状態なんだけど、助けが届かない要救助者や家族がたくさんいるのに・・・しかし「救助の消防車両が入っていけない状態が続いています。その願いが一日でも早く届けられるように・・

祈らなくなった神の子どもたちよ。この現実を受け止め、祈るべきです。

 

アフガニスタンの首都カブール東部の丘の上にある家の女性が記者からインタビーを受けていました。

最後に子供にミルクを買えたのは2カ月前です。今は、哺乳びんにお茶を注いでいます。それかパンをお茶にひたして、子どもにあげています」と泥レンガでできた床に座りながら、女性はそう話した。武装組織タリバンがアフガニスタンで実権を握って以降、この母親は仕事に行けず、家族を養えなくなった。「何も食べるもののない夜があります。子供たちは飢えたまま寝ます。時々、隣人が食べ物を持ってきてくれると、子供たちは争い『私にちょうだい、私にちょうだい』

 

私は食べ物を人数分に分けますが、お腹は満たされることはありません。子どもたちをなだめるため彼女は子どもたちに「眠り薬」を与えると話した。「娘が起きてミルクや食事をせがまないように、あげられるミルクがないからそれを与えます。この薬を朝与えると、次の朝まで起きません。時折、死んでいないか確かめます」と幼いこどもに睡眠薬を与えなければならないなんて・・・何という残酷な悲劇です。毎回メッセージで今の時代に飢えて死ぬ人々がどれだけ多いか訴えていますが、人道危機下で最も困難な立場に置かれるのは、いつも子どもたちです。

 

アフガニスタンでは1979年にソ連軍が侵攻して以来、現在に至るまで混乱が続いています。2023年にロシア軍が侵攻したことで注目を集めたウクライナ紛争は、2014年から続く紛争です。ミャンマーでは、1948年の独立時より長期にわたって内戦が続いています。シリア11年以上続き、紛争の続くパレスチナ自治区ガザで18万人近くが感染症にかかっていて、衛生環境が急速に悪化していることを明らかにした。世界各地で武力衝突が激化するなど、子どもたちが犠牲になる人道危機が続いています。さらに、大規模な地震、気候変動の影響による深刻な干ばつや熱波、洪水、森林火災、暴風雨など、自然災害も年ごとに増加発生。

 

現在、人口の65%以上にあたる約2000万人が食料不足に直面していて、前年の1,700万人から更に増加するばかりです。

また、小麦をロシアとウクライナからの輸入に依存していることが、空腹に耐え忍ぶ人々に追い打ちをかけている現実、世界情勢においてもテロや紛争や戦争が多発し、ヨーロッパ、アジヤ、中東始め多くの不安定要因が様々な国に飛び火してきているのは事実です。日本においても、国会における勢力地図が大きく変化し、見極めの付かない状況に今置かれています。このように国の責任ある立場の者たちが、国民の税金を私利私欲のために湯水のように使い、国民の信頼を大いに損ない、政治不信や相互不信が社会生活の根底を揺るがしています。

 

教会もこうした不安な社会に、信仰と祈りによる影響力を与え損なっている事に対して、自らの信仰の弱さを悔い改めるべきです。

 

ルカ12:13に「ある一人の金持ちの畑が豊作だった。彼は考えました今、蔵の中にはこの穀物を全部納めきれないから、もっと大きい蔵を造り、そこにすべてのものを蓄えておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しもう」そのとき神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」

 

彼は非常に豊かで、蔵には彼の生涯で食べ切れないほどの備蓄されていたのですが、しかし彼は大切なことを忘れていました。

 

何を彼は忘れていたか?

それは全宇宙の全ての権限を持たれた創造主なる神さまです。彼はこれから先、何の問題も心配もなく、自分の好きなように生きて行ける。そのような計画を立てていたのです。しかし、神さまが彼に言われた答えは無常でした。「愚か者」ここで言われているのが、人生を無駄に過ごした人の話です。彼は一生懸命努力て成功を手にいれたのでししょう。しかし、神はそんな彼に対して「愚か者、あなたは無駄に人生を過ごした」と言われたのです

 

このように無駄に人生を過ごしている人が余りにも多いのです。私たちクリスチャンなら少なくても神の前に正しい生き方をして生きていきたいと願っていますが、事実、私たちの生活には様々な誘惑があって、悪魔に翻弄されている現状です。悪魔は、常に私たちが神に従って行かないように、神に喜ばれない生き方をするように、ひつこく、ひつこく「心にある自己愛・自己中」な考え方に訴えてきては、誘惑して来ます。

 

神を知らない人、世の富や権力や名誉欲におぼれている人だけではなく、神さまを信じる私たちクリスチャンに、悪魔は堂々と誘惑してくるのですから、誘惑に勝利するのは本当に大変な事です。しかし、すでに主イエス・キリストは悪魔の誘惑に勝利されておられますから、鍾離は我がものです。感謝しかありません。

 

だから、私たちクリスチャンが特に油断なく心を見守り、気を付けなければならないのは、それは金銭欲です。パウロはⅠテモテ6:7-10「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」と警告しています。

 

私たちが残されたこの人生を正しく生きて行くために、私たちは様々な誘惑に負けることのないように、神さまの御言葉と信仰によって、正しく歩み続けて行くことが必要なのです。

 

②裁きの警告メッセー。ヤコブ5:1~6「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。そして、取り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。」

 

ここでヤコブは、神を知らない人々、創造主なる神を信じていない人々に対して警告を与えているのです。ローマ3:16に「彼らの道には破壊と悲惨がある。」ですから、どちらにしても、「悲惨」というのは非常な不幸、苦しみだと言う事になります。誰に?創造主なる神を否定する者、罪の赦しを得ていない人々に対するもので、これは神の裁きです。

 

旧約聖書、イザヤ13:6には「泣きわめけ。主の日は近い。全能者から破壊が来る。」なぜなら、神の裁きがやって来る。これは神さまが既に決定された事・・・とあります。ですから、ヤコブがこの1節で教えていることは、神を信じない全ての人々や、創造主を自分の神とせず、人間の手によって作られ、鋳造された物を神として礼拝しえいる人々に対して、あなたたちには間違いなく裁きがやって来る、神の審判がやって来ると、彼らに警告を与えているのです。

 

神に心を開いていない人々、神の罪の赦しを拒み続けている人々、あなたたちの運命は悲惨である。それは苦しみであり不幸でしかない、なぜなら、あなたの罪は裁かれて、あなたは永遠の地獄で滅びる。ヤコブはこの事を警告しています。

 

そして、2-3節でさばきの現実です。③この裁きは事実であるということ。2-3節「あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。」ここには三つのものが出てきました。これらはその当時、非常に価値あるものとして人々が宝としたものです。

 

(1)「あなたがたの富は腐っており」腐るものとは食べ物、穀物です。どんなにたくさん蓄えても、その当時は冷蔵庫などないので腐ります。冷蔵庫があっても腐ります。日にちが経つと・・(

 

2)着物、これもこの当時人々の間では非常に高価で貴重とされていました。ヤコブは「着物は虫に食われており」私のイタリアン製の純毛の洋服が虫に食われて穴だらけ廃棄処分しました。

 

三つ目は金銀、彼らの宝でした。でも「金銀にはさびが来て」彼らがこれらの三つを宝とし、額に汗していたのに、何と空しいものかを、ヤコブは教え、そして彼は「そのさびが、あなたがたを責める証言となり、」とは、裁きのときに、あなたが宝としていたものが、裁判の場で「穀物が着物が金銀」が証言することは、どんなに素晴らしい着物を手に入れたとしても、それは永久に続くものではありません。どれだけ多くの食べ物を蓄えても必ず腐ります。永久ではありません。どんなに金銀を蓄えても時代と共に価値が変動します。同じです。

 

だから、この3つが裁きの場で証言することは「私たちはあなたにとって最も大切なものではなく、私たちに頼った生き方が間違っていたのだ」と証言すると言うのです。永久に続かないもの、古くなって虫が食い、サビがついて使い物にならなくなる。そんな物が私たちに「永遠のいのち」を与える事は出来ません。あなたがたが大切にしてきた宝が「私たちは本物ではない、最も価値あるものではない」と証言するだけでなく、その間違ったあなたがたの生き方に対して神の裁きが下るのだと、ヤコブは教えているのです。

 

ソロモンは箴言11:28で「自分の富に拠り頼む者は倒れる。…」と言いました。ルカ12:6-21金持ちが、これで一安心だいった彼に、神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」と彼を待ち構えているのは、楽しみではなく、自分の罪の生き方に対する神の裁き、神の呪いなのです。

 

だから、パウロはⅠテモテ6:17「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」この事を私たちが、心に刻み込み、覚え日々をすごくことなのです。

 

私たちがこの地上の人生を如何に生きて行くのか、見るべきものを見て、その真実に目を止め、心に刻んで生きること、それは永遠に価値あるもののために生きる事なのです。

 

私たちに託されている全ての持ち物、時間など、すべてが神のものだから、神のために使って行くことです。地上に蓄えることよりも天に蓄えることです。そうしてこの地上を歩むことです。あなたは永遠に価値ある人生を過ごしているでしょうか?無駄な空しい人生を生きてはいないでしょうか?私たちも価値ある人生を歩むことができます。そのためには先ず、あなたが正しく「道・真理・命」の道を歩むことを選択をする事なのです。お祈り致しましょう。