今日も主を礼拝されましたか?日々、生きて今も信じる者と共に働かれているイエスさまと日々、親睦を深めておられますか?主の再臨が近いのですから、益々熱心をもって主の備えと主が喜ばれる福音の宣教のために、選ばれし者に相応しく信仰によって歩まれますように主の御名により祈っています。

 

3月にウクライナ軍当局がソーシャルメディア(SNS)に西側から支援される戦車と装甲車などの軍装備を紹介した映像に、各装備の前に英国、米国など西側諸国の国旗が揚げられ、支援国の殺人マシンの紹介とPR売り込み宣伝が報道されていました。

パトリオットミサイル防衛システムは最大8基の発射台をはじめとする発展装備などで構成され、発射台ごとにミサイル迎撃体が4発ずつ入っている。費用は最大11億ドル(約1590億円)笑える話ではありません。

 

5月6日、ロシア-ウクライナ戦争で今、激戦地となっているバフムートでロシア軍が焼夷兵器(しょういざい)爆弾や火炎放射器などに詰めて、より多くの敵兵を焼殺したり、陣地や施設などを焼き払ったりする。軍事目標がある場合でも人口密集地域での焼夷兵器の空中投射は条約違反行為ですが、ロシア軍の違反攻撃はずっと以前から継続され、今度はウクライナの要請でアメリカ政府は、ウクライナ軍の反転攻勢を支援するため、殺傷力の高いクラスター弾を供与すると発表しました。

 

マグネシウム-テルミット系の焼夷弾で、兵器としての燃焼温度はマグネシウム-テルミットの方が遥かに高温。マグネシウム-テルミットの燃焼温度(2000~3000度)これでまた世界中が、異常気象による台風ではないのに集中豪雨や竜巻や地震や暴風や熱中症や食中毒や感染症、森林火災による干ばつやや暴動や殺人などが多発するので、人間社会は死滅に暴走するばかりです。

 

聖書はこの世界には終わりがあることを私たちに預言しています。そして世の終わりが近づくと数多くの前兆があると教えます。今日はその事に対して軽く触れますが、イエス・キリストは再び来られる事は、聖書に書いてありますし、これは真実です。ゆえに、御言葉を信じ、信仰によって歩む人々が、その日に備えるためです。地震や津波が起こるとその災害に備えるため警報が発令されるように、聖書はあらかじめ世の終わりに備えるため警報を発しているのです。

 

「耳のある者は聞きなさい!」とイエス・キリストが言われたように、これは私と私たちの愛する人たちを守るための、神様が備えられた命綱つまり、救いのメッセージなのです。イエス・キリストは再臨を約束されました。マタイ24:30「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」

 

再臨はキリストにあって眠った人々がよみがえり、空中に携え挙げられ、1テサロニケ4:17「生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

 

②再臨について私たちは、どのような希望を持つべきでしょうか。

マタイ24:30「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」それは主の再臨の時には、全世界が、神の子であるキリストを十字架につけた罪深さを知って悲しむと言う事です。

 

罪で汚れた人間社会がいつまでも続くのではなく、主の再臨の時をもって、混乱の世が裁かれ、神の主権と支配による秩序によって、全地に完全に回復されるからです。

③再臨の大きな祝福とは。1テサロニケ4:17「次に、生き残っている私たちが、たちまちかれらといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります」再臨の大きな祝福とは、主にお会いできる恵みです。

 

1コリント13:12「今私たちは鏡に写すようにぼんやり映るものを見ていますが、その時には、顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているように、私も完全に知る事になります。」

 

1テサロニケ4:13にあるように再臨の時には、

先に眠った方々がよみがえらされて、携挙され、次に生きている者たちが携挙されるのです。ですから、私たちは、空中において、先に召された方々にお会いするのです。どのような状況であるか予想もできませんが、その時、私たちに天上のからだが与えられるのです。

 

ですから兄弟姉妹!「天国で会いましょう。」または「空中でお会いしましょう」という挨拶を交わす事が、神さまを信じる者たちの合言葉です。最後に私たちは変えられるという希望が与えられています。それは1ヨハネ3:2-3再臨の時、神さまを信じる人々はみなキリストに似た者に変えられるのです。パウロはそれを「天上のからだ。栄光のからだ」と呼び、今の私たちは弱さをかかえ、罪の深さのゆえに悩み、苦しんでいます。しかし、再臨の時には、私たちはみな一瞬のうちに全ての罪から解放され(1コリント15:51-53)、キリストに似た者に変えられるのです。

 

ハウロは50節で「血肉のからだは神の国を相続出来ません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」「血肉&朽ちるもの」それが私たちの体です。「神の国」とは、神様の恵みによる実行支配の事でそれが「朽ちないもの」と言い変えられています。それを「相続する」とは、神様の恵みにより、朽ちる事のない命を生きる者とされると言う事です。血肉、朽ちるものは、神の国、朽ちないものを受け継ぐ事が出来ません。ゆえに、今の人生において、私たちは救いの完成を得る事は出来ないと言う事です。ここが大きな原則です。

 

血肉のからだは、神の国を相続する事は決して出来ません。

 

ユダヤ人の指導者、教師であるニコデモは周囲の人たちを気にして、夜に密かにイエスさまのもとに訪ねてきたのです。ヨハネ3: 3-6に書いてあります。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師である事を知っています。神が共におられなければ、あなたのなさるこのようなしるしは、だれも行うことはできません。」

 

イエスは「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」それを聞いたニコデモは「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」ニコデモはイエスさまの言われている事が理解できなかったのです。

 

そんな彼にイエスは「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」新しく生まれるとは、一度命を終える事、古い命を終えて、そして新しい命を始める事なのです。

 

それが、クリスチャンとして生きていくことの大切な要素です。それは、自分の十字架を背負い、地上の最後の瞬間まで、キリストに従う事なのです。ヨハネ3:15~16「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びる事なく、永遠のいのちを持つためである。」

 

パウロはガラテヤ人にガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。」と述べ、もはやパウロが生きているのではなく、〝キリストが私のうちに生きておられる゛自分に死ぬとは、古い自分、過去の罪深い生活様式を捨て去ると言う意味です。ガラテヤ5:24「キリスト.イエスにつく者は、自分の肉を、様々の情欲や欲望とともに、十字架に付けてしまったのです。」

 

イエス・キリストを救い主として信じて、クリスチャンとして生きて行くことは、自分のこれまで生き方全てを、イエス・キリストに明け渡すことです。自分の人生を、イエス・キリストに明け渡すことです。その時、古い混乱な人生は、終わりを告げ、主イエス・キリストの新しい命を受け取ることができるのです。主よ。来たりませ!アーメン。