こんにちは虹

突然ですがあなたは、

「モーツァルトの色のイメージは?」

といわれたら、何色を想像しますか?

 

私はきっとその答えを知っています・・・・

 

 

 

おそらく

 

 

 

 

 

 

「赤」

じゃないでしょうか?

(やった当たった笑!!!)

 

 

小学校の音楽室に飾られていた、

音楽家の肖像画の数々。

 

いろいろな時代、いろいろなスタイルの方々がいたわけですが、その中でダントツに「服装と髪型が華美なこと」で目立っていた人といえば、モーツァルトではないでしょうか笑。

 

それはやはり、あの「赤い服」のイメージがあるからだと思います。
(実はヴィヴァルディも負けてないが。まるで「大都会」)

 

今日のテーマは「モーツァルトとお洋服」。

とりわけ、服にかけた「心意気」に

スポットを当ててご紹介したいと思います。

 

モーツァルトにあやかって、

明日からのお洋服選びに

勇気と希望を与えられたら嬉しいです。

 

 

私の心をおそろしく擽っている

あの美しい赤いフロックコートのことで、

どうぞお願いいたしますが、

あれがどこで手に入り、

幾らくらいしますか、

私に間違いなく

伝えさせてくださいませんか。

 

実は、

美しいのに見とれてしまって、

値段のことをすっかり忘れていたのです。

 

あんなフロックコートが、

どうしても欲しいのです。

あれなら、私が長いあいだ

心に懐いていたボタンを付けても

付けがいがあります。

 

そのボタンというのは

私がコールマルクトの、

カフェミラーニの真向かいの

ブランダウのボタン工場で、

私の服につけるボタンを選んでいた時に

見たボタンです。

真珠貝で、周りは何か白い石で囲み、

まん中に

美しい黄色い石がはめてあります。

 

私は本物の、美しい、いいものは

何でも欲しいのです!(※1)

 

(1782年9月28日 ウイーン 

 ヴァルトシュテッテン男爵夫人へ)

 

 

これは、パトロンであるヴァルトシュテッテン男爵夫人に向かって書かれた手紙です。

 

モーツァルトは、どこかの店先かサロンで、

その真っ赤な上着(当時、楽長級が着ていた上着でした)を目にしたのでしょう。

 

この手紙にあるように

モーツァルトといえば・・・の代名詞の

あの肖像画の赤い上着は、

こうやって貴族のご婦人に用立ててもらった

念願のフロックコートだったのです。

 

それはモーツァルト26歳のこと。

しかも先月結婚したばかりの新婚ホヤホヤ。

仕事もジャンジャンバリバリ入ってきて

血気盛んだった頃。

 

こ、この赤いコート・・・目 ラブラブ

何これ・・・かわいい・・・ラブ

 

 

 

今すぐ欲しい!

 

 

ヴァルトシュテッテン男爵夫人への手紙には、この目の醒めるような赤い上着がいかに自分をワクワクさせたのか、熱っぽく語っています。

 

しかも自信たっぷりに「甘えて」みせるとは。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったその頃の彼の万能感が、垣間見られるようです。

 

しかもこれに是非とも付けたいというボタンは

ずっと前に目を付けていたお目当てのものが

既にあったという用意周到っぷり。

貝ボタンに、ストーンがたくさんあしらわれた

まるでジュエリーのような夢々しいボタン。

 

さぞや「映えた」ことでしょう!

 

 

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実はですね、モーツァルトの時代はまだ

「男はだまって黒タキシード!」

という時代にはわずかに早くて

「男も女も等しく”色”を楽しめる」

そんな社会にいました。

 

しかも「H&M」じゃないけど、

服が大量生産されていない頃であり、

衣服はかなり高額品でした。

装飾品や刺繍、フリルやレースも満載で、

服にこだわるということは、

けっこうな「趣味道楽」だったのです。

 

それでもモーツァルトは、

キレイな服を着るのが大好き!

 

服装にはこだわらない・・・

当時だってそんな男性もいたでしょうが

彼は小物や装飾には大いにこだわり、

輸入モノの高級時計だって付けていました。

 

 

もしかしてモーツァルトは

外見に自信のある、

相当なナルシストだったのか?

 

そんな疑問が浮かびます。

 

しかしそれは逆かもしれません。

なぜなら・・・・・・

いつかの記事でも言ったように、

(参考記事:ベーズレ書簡から見るモーツァルトの実像)

彼は全てをチョロいようにやってはみせても

実際にチョロいわけではなかったから。

 

自分をチアアップしてくれるもの、

「景気づけ」をしてくれるものを、

常に求めていたからです。

 

 

モーツァルトは、

他人から、さも自信満々そう見えても、

内面は、折れそうになる繊細なメンタルと

常に闘っていました。

 

すぐに心細くなってしまうモーツァルトが

いつだって身体ごと、

抱きしめられていたかったもの、

それが音楽と衣服です。

 

スポーツ選手が大事なシーンの前に

お気に入りの音楽をヘッドホンで聴くように、

彼は華やかな洋服を身に纏うことで

気分を「アゲて」もらっていたのでしょう。

 

モーツァルトの時代、

どんなに音楽が好きでも、お金があっても

「個人的に音楽を持ち歩くこと」なんて

絶対にできませんから。

 

 

しかしなぜ、

彼はこういう考え方だったのか?

そこには「服と自分の関係」について

考えさせられた苦い思い出があるのです。

 

若い頃、1人で出かけた就職旅行。

幼い頃から指導してくれた、

「絶対に頭が上がらないお父さん」に対し

クレームの手紙を書いたその何回かは

自分の服装に対することでした。

 

 

旅先では粗末な服を着ていろ、

だなんてパパが言うから、

僕は悲しくなって

ちょっと泣いてしまいました。

旅先だからこそ、

僕はひどい身なりなんかでは歩けません。

 

 

また、別の時も、

 

 

この地では、

僕が今、着ているような

ボロいシャツの人なんて誰もいません。

だから新しいのが欲しいだけです。

節約して欲しいのは重々わかります。

けど僕は、それが浪費だとは思いません。

 

 

「ちょっと泣いちゃった」なんてあせる

 

確かに悲しくもありましたが、

それ以上に悔しかったのだと思います。

自分を貶めるような服は

自己イメージすらみじめにさせると

わかっていたから。

 

モーツァルトは幼い頃、

各地の宮廷や貴族に招かれて

ちびっこ音楽家として演奏旅行する際、

子供でありながら一人前の大人のような恰好で

日々を過ごすことが当たり前でした。

 

どこかの「貴族のお坊ちゃん」に

間違われたほど。

いつも「飾られていた」子供時代でした。

なのに、大人になったとたん

地味な恰好でへりくだれと言われることに

どうしても違和感を覚えていたのです。

 

今でいえば、

毎日が「コナン君」か「七五三」だったのに

いざ大人になって就活するようになったら

今度は急にキャラを変えろと命令され

「リクルートスーツ」着て個性を消せと

言われるようなものです。

 

モーツァルトの考え方は、父親と逆でした。

たとえ少し無理してでも、

余裕があるように見せた方が

よい仕事ができると思っていました。

 

 

案の定(だよね)

就職の話はうまくいきませんでした。

しかし後に彼がフリーになったとき、

「美しいものを纏っている自分」に

常にゴキゲンでいられたのです。

だからこそ規格外の発想で、

音楽に向かい合えたのではないかと

思うのです。

 

派手、チャラい、贅沢・・・

何と言われても平気だね。

 

僕は最高の自分でいるために

めいっぱいおしゃれする。

 

だからキミも

誰のためでもなく

自分が「アガる」服を

着たまえ!

 

 

引用・参考文献:

(※1)岩波文庫

『モーツァルトの手紙 その生涯とロマン (上・下)』 

柴田治三郎 編訳