こんにちは!
今回は、パリ時代の手紙から、モーツァルトの考える理想の生き方をご紹介します。
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1778年。
モーツァルト22歳の夏です。
素敵な時期ですね…さて彼はいま何をしているかというと・・・ハイ、みなさんと同じようなことをしています。親(パパ)の手を借りずに、パリでひとり就活しているところでーす。
ザルツブルク宮廷(地元の官庁)に免職のお願いをもらって出発した就活旅行。ミュンヘン、マンハイムは「空いているポストがない」ということで、かなり粘ってみたもののあえなく失敗。ついにパリに足を踏み入れたところです。
もともとザルツブルグ宮廷から逃げたい一心での就活旅行。最終目的地(第一希望)だったパリの地ですが、雲行きは怪しいものです。このまま全敗のまま終わってしまいそうな予感です。
せっかくパパ・レオポルドが工面してくれた滞在資金も底が見え始め、親子ともども焦っております。
残金を足がかりに演奏会を開くか(そもそも開かせてもらえない)レッスンで日銭を稼ぐか。当座の生活資金をどうやって得るか、足掻く日々です。
これ以上は長居無用・・・ついに故郷の父から「そろそろ見切りをつけて戻って来るように」と言われ始めました。そしてこう付け加えられたのです。
「心配するな、私が話をつけてある。お前は家に戻って宮廷に復職し、以前のように働けばいいのだ」
え!
パパやめてーー!
余計なことしないでえーーー
!!!
それだけはいやあああーーーー
!!!
父は息子を心配して、宮廷への復職しかも前より給料を高くして再雇用するよう、気難しい大司教に頼み込んでくれたそうなんです。
すっごい無理めの要求をしてくれたパパもすごいけど、それを渋々飲んでくれた大司教もすごい!
一度去って行った者を再雇用するなんて、今だってけっこうあり得ないはずです。
親が自分のかわりに頭を下げてくれた復職の提案。しかしモーツァルトにとっては、とても恐ろしい最後通告のように思えたんです。
あ、大丈夫です!
パリでもちょい頑張れそうなので!(キリッ
そうはいってもこのパリ就活旅行、彼の人生の中でも「最もツイてない時期」そのものでした。
旅は最初の最初から波乱含みでした。
夜通しの荷造りの末、早朝のバタバタの中での出発でした。旅立つ息子と同行する母は、父と姉にゆっくり挨拶できませんでした。「いってきます」「いってらっしゃい」そんなひとことすら交わされずに、あたふたと出て行ってしまったのです。
出発してすぐに就活に必要な書類をすべて家に置いてきたことが発覚!
呆れる父に滞在先まで郵送してもらいました。
なかなか決まらない雇用先。
減ってゆく所持金。
そういう時に限って出会ってしまう、好きな人に!
マンハイムで出会った、ソプラノ歌手のアロイジア・ウェーバー。
今すぐ結婚したいくらい好きいい!!!
22にして将来を真剣に考えるほど、いえ、この就活旅行の目的やら何もかも忘れて、イタリアにでも駆け落ちしたいほど焦がれた女性。
どうしてこんな時に巡り会ってしまうの⁈
父に言ったら「くだらん」と一蹴(泣)
そんなことよりやることあるだろ!言われてみればホントその通りで、握った手を泣く泣く離してパリに足を向けた。
「さようなら…必ず僕は君を迎えに帰るからね」
アロイジアにいったん別れを告げ、マンハイムを後に。未練が残りまくってるモーツァルトでしたが、プラス思考のストーリー作って何とか乗り切った。
「パリで就職できれば、僕はカッコよく彼女を迎えに行けるかもしれない!」
しかしパリの音楽界には、モーツァルトにはまったく馴染めなかったのです。
才能、能力ばかり長けていてもダメ。というか、そんなものは意外とどうでもよくて。必要なのは人脈を駆使して如才なく要求を裏で通すこと。むしろズルいくらいが丁度いい。駆け引きや騙し打ちであざとく周到に這い上がれ。特にモーツァルトのような「外国人」にはそれしか方法がありません。
それがパリ、だったのです。
しかし根っからの真っ正直な「ドイツ男子」モーツァルトは、こんな茶番に早々に萎えてしまいました。そう、彼はこーゆーのがいちばん苦手なのでした。演奏の機会はおろか、完成した曲の作曲料も踏み倒されまくり。大丈夫か?ってくらいグダグダでした。
かつて輝ける天才少年だった頃に演奏旅行訪れたパリ。その時何くれとなくアテンドしてくれた百科全書派のグリム伯爵と再会するも、
「あれ、子供の頃に会った時とイメージ違うね。ちょっとガッカリしたかも・・・」
とか何とか…
せっかく頼りにしていたのに、勝手に期待外れ感を持たれて、そっけない扱いを受けました。
一番悲しかったこと、それはなんといっても同行のママがパリで急死したことです。
モーツァルトにとっても、実家で待つ父と姉にとっても、それは大きすぎるダメージでした。
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振り返るとロクなことがない今回の就活旅行。なぜかすべてが裏目に出てしまう試練の連続でした。
それでも、です。
ここで上手く行かないからといって、元サヤに、つまりザルツブルグの宮廷に復職しろなんて言われたら…モーツァルトには、ちょっと想像しただけでじんましんが出そうです!
ここは何としでても踏みとどまらなければ!
奇しくもようやく母の葬儀を終え、悲しくも慌ただしい時期が落ち着いてきた頃でもありました。
モーツァルトは父に、復職したくない旨を猛烈にアピールし始めます。
「いやいやいや・・・お父さん、ちょっと今回は立て続けにこういうことばかり起こりましたが、これで僕の「厄」も落ちたでしょう(?)から、あと一踏ん張り頑張らせてくださいますでしょうか。まあ本当は僕はそういうタイプじゃないっていうか、すでにお分かりかと思いますが音楽をするにあたって音楽以外のことで振り回されるのはイヤなんですけどね、こうなっては仕方ありません。少しオトナになってお世辞のひとつでも覚えて心機一転、もう一度仕切りなおして踏ん張ってみようかなと」
などと、くどくどと説得にかかりました。
あーすごく嫌なんですね、地元で復職するのが笑。
そして今日の名言は、
ここから出てきた言葉です。
ところで、
わがザルツブルグの話ですが!
最良の友であるお父さんよ、
ぼくがどんなにザルツブルグを
嫌っているかは、ご存知でしょう!
(中略)
すべてが、われわれの暮しを良くするように整えられなければならないのですが・・・
暮しを良くすることと
楽しく暮らせることは、
別のことです。
そして後者は、
(魔法でも使わないかぎり)
ぼくにはできないことです。
それは本当に、
自然にはいかないことです!
そしてそんなことは、
できっこありません。
じっさい今どき、
魔法なんてもうないのですから。
(※1)
(1778年8月7日 パリよりザルツブルグの父へ)
奇跡でも起こらない限り、ザルツブルクで楽しく暮らせないよと。だって地元にいれば傍目には「よい暮らし」はできるでしょうけど、それが「楽しい暮らし」とは限りませんからね、と。
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モーツァルトは、なぜそこまでザルツブルグを嫌ったのでしょうか?家族と住むのが嫌だったのでしょうか?いえ、そうではありません。
モーツァルトにとってザルツブルグは、理想とする暮らしをする上で最も大切なものが欠けていたからです。
それは楽しさ、やり甲斐、励み、であり、
正しさや安定、ではないからです。
ザルツブルク宮廷には尊厳も誠意もないとモーツァルトは感じていました。
幼い頃から各地で積み上げてきた実績も、ザルツブルクでは「無いこと」にされました。自分が本来輝いている姿を、大司教や街の人たちは観たことがありません。(テレビもラジオもありませんので。)
彼のしてきたことの全ては、見えない異国の地でなされたことです。ザルツブルク宮廷では「年功序列」「決まったルーティン」しかないのです。
さらにモーツァルトがムカついていたのは、音楽が邪魔に扱われていたからでした。
「あんなもの」
「なくても何とかなる」
ウマの合わない大司教は、尺の長さばかりを気にする効率厨です。
「あの部分は無駄、この章もカット」
「音楽は生産性悪いから短縮だ!」
そんなこと言われながらやる音楽なんて、どこが楽しいのでしょう?
モーツァルトにとってザルツブルクは故郷です。家があり、家族が待つ場所です。
しかし良い仕事ができる場所、ひいては良い人生が送れる場所、とは思えなかったのですね。
実家から仕事に行ければ人生ほぼ安泰でしょう。給料は毎月支払われ、問題を起こさなければ定年まで勤められる。現代のサラリーマンと同じですね。
冒険心も向上心も捨てて、もう母はいませんが、アルプスの絶景に抱かれて子供の頃と同じ日々を送ることになるでしょう。
そして「そこの横丁の、モーツァルトさんとこの“せがれさん”」としての一生が待ってるでしょう。父親と同じ職場に勤めることなど当時は当たり前。メンツだって守られます。
いずれ、ザルツブルグ周辺の貴族の娘を紹介されて結婚し、出世(楽長)を目指すことになるのでしょうか。そうしたら、2年1度くらいは、宮廷行事のオフシーズンに旅行できるでしょう…
それもこれも、ウマの合わない雇用主(大司教)のもとで行われるんですけどね、って。
いやいやいや…
怖ッ!!!
想像しただけで、
モーツァルトの腕には鳥肌が立つのでした。
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そんなモーツァルトですが、たまに「出世」とか「名誉」という言葉を使うことがあります。しかし彼は、基本的に権威にはそれほど執着はありません。彼が「名誉」と言う時は、人として恥ずかしくないのか、という意味が加わった時だけです。
アロイジアにベタ惚れしていた頃から同じでした。
「就職なんて捨てていい!僕は愛に生きる!彼女と一緒にイタリアへ行って音楽さえできればいい!」
(もちろん父からは大目玉。「女と堕ちる気か!」って)
モーツァルトには、それならそれでアリだと本気で思っていたかもしれませんね![]()
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さて。
あなたにも心当たりはないでしょうか?
仕事で夜遅く帰宅して、朝早く仕事に出かける。
徒歩5分のところに契約した家庭菜園も、帰りたくなる家を目指してローンを組んだ住まいでさえも、置いてきぼり。庭は放置、家は散らかってゆく。
誰かの目から見たら確実に「いい暮らし」なはずなのに、自分自身は苦しい。そんな毎日を選んではいないでしょうか?
外側を整えたら幸せになるだろうと、
そう思っていたのに、そうじゃなかった。
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あなたの理想の生き方はどうですか?
「まっとうな暮らし」とも「丁寧な暮らし」とも「優雅な暮らし」とも言われないかもしれませんが、大切なのは「好きな自分でいられる暮らし」「楽しいなと感じる暮らし」ではないでしょうか?
根本的に、自分の暮らしに必要なものは何か。
それをわかるには、まず「嫌なこと」「したくもないもの」に気づくことが大事なんじゃないかなと。
モーツァルトを聴くたびに、
いつも問われているように思います。
「いま、楽しんでいるかい?」
引用・参考文献:
(※1)岩波文庫『モーツァルトの手紙 その生涯とロマン (上)』 柴田治三郎 編訳
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