最近よく思うこと




色んな国を見て、多くの人たちと出会うなかで、

特に開発的に途上な国では、

日々明るく生きながらも、苦労し、

現実の難しい状況と戦っている子どもたちや、

若者たちがたくさんいることを見てきました。


彼らは明るい。

し、とても幸せ。人生をのびのびと生きている。

でも、その裏側では、

望む教育が受けられないという現実や、

教育を受けても、職にありつけないという現実に直面しています。



一方、

日本で生まれた私たちは、

不況だ、なんだと言いいながらも、

彼らの失業率とは比にもならないし、

望もうが、また望まなくても、

とりあえず大学へ行こうと思える子どもたちも多く、

また、親がたとえ貧しくても、そこそこな教育は受けることが出来るし、

高校にもなれば、バイトをしながら自分が望む教育を受け、

自力で教育を手にし、道を拓いていくことだって可能です。

(ベナンとかでは、アルバイトだってあまりないし、大したお金にならない・・)



日本に生まれた

=運がいい

=恵まれている

そういうことでじゃなくて、


縁も意味ももちろんあるけれど、

私たちは、たまたま日本という国に生まれただけのことにすぎなくて。


前世や来世があるのならば、

私の前世はトンガ人かもしれないし、

来世は、ソマリア人かもしれない。


だから、現在の私という存在は、

たまたま「日本人」という国籍を利用する、

世界の一人間と考えることができる。


だから、元々はたまたまだったけれど、

気付けばそこに学校があって、

教育を受けることが出来た私や、私たちは、

その知識、知恵、教育、知性を最大限に利用して、

地域や社会や人や、国や、世界のために尽くす・・ということは、

義務なんじゃないかと思うんです。


なんとなく受けることが出来てしまう義務教育や高校の教育の

価値すら見えなくなっている先進国だけれど、

やっぱり、知識や教育っていうのは、

人間にとって最大の武器なわけで。


私たちのような先進国には、

実は埋もれている「知」がたくさんある気がして。

すごくもったいない!と思ってしまう。

知を使うのは、学者さんや先生方だけでは決してないんだもの。


どんな切り口だって構わない。

適材適所があるんだから、

政治家は政治家なりで、

一般市民も市民なりで、実はもってる「知」は一緒なんだから。

より良くみんな、世界の人が生きていけるようになるために、

私たちの「知的エネルギー」をもっともっともっと有効的に活用したいですよね。


そしてそれは、

教育を自由に受けられる国に生まれたヒトの

使命なのではないかと思います。


知は力です。


そして、

それを子どもたちに気付かせるような教育が必要だな~・・・と。