ダタウ・カヒル | 隆々日誌

隆々日誌

〜この世の記録〜

 

ダタウ・カヒル (1882−1944)

 

アフリカ大陸に初めてシンセサイザーを持ち込み、伝統的な現地の音楽と現代音楽をいち早く融合させたアフリカ現代音楽の父。

後世の坂本龍一やトーキング・ヘッズにも影響を与えたと言われるバンド、ラファー・イン・ザ・ダークの元メンバー。

その活動は、音楽だけに止まらず、ボリビア紛争では、長らく続く紛争を停戦に導く“平和の旗手”としても

民衆の先頭に立ったという偉大な、今私が考えた想像上の人物である。

 

 

 

2018年11月14日 水曜日 

 

 

 

宇多田ヒカルのライヴを観に行った。

 

ここから、グダグダと感想を書き連ねることになるのだが、この日感じた宇多田ヒカルのライヴについて一言で言うならば、

「美しい」と言うこと。

こんなに、一人の人間に対して「美しい」と感じながら、それを二時間も楽しむという経験は初めてであった。

 

私が宇多田のライヴに行くのは2006年以来、2度目である。

 

私は、“ソングライターとして才能があるから宇多田ヒカルが好き”と、そう思っていた。

しかし、この日に先駆け、ライヴ前日過去の宇多田ヒカルのDVDを見ながら、

私はこの人の歌声が好きなんだ、人となりが好きなんだ、この寂しげな佇まいが好きなんだ、と、

つまるところ、“宇多田ヒカルが好きなんだ”と、画期的な結論にたどり着き、この日を迎えた。

 

おそらく100パーセント転売を根絶できるであろう最先端の顔認証システムも、一切フライヤーを配らない運用も、

公演中の撮影を許可する姿勢も、これからの新しいスタイルを提示して行く意思を感じ、気分が良かった。

 

19時07分。何の前触れもなく、せり上がりからスッと現れる宇多田ヒカル。

美しく響く歌声。

黒一色のシンプルな衣装。

心臓に響くバスドラ。

美しいLEDの演出。

 

完璧だった。

プロフェッショナルの所業であった。

 

1曲目か、2曲目か、何に対する感情かもわからないが涙ぐんでしまった。

(これについては歳からくるそれかもしれない)

 

宇多田の、いや、もう「さん」付けしよう。

 

宇多田さんのライヴの衣装は、浮世離れしたゴージャスなものが多い。

それは、彼女のキャラクターにも、楽曲の性質にも合っていないと私は思っていた。

 

しかし、この夜突如地面から突き出してきた宇多田さんは、

「いい歌を歌うのにこれ以上何もいらん」と言わんばかりにシンプルな黒い服に身を包んでいた。

 

そして、12年前のさいたまスーパーアリーナで、

声が全く出ず、自身で書いたはずの曲のメロディをことごとく低く変化させ歌っていた

あの宇多田さんとは思えないこの宇多田さんの声は、美しくどこまでも澄み渡っていった。

 

そんな由無し事が、頭を駆け巡っていたら、

4曲目、”COLORS”の歌詞がスッと耳に入ってくる。

 

"黒い服は 死者に祈る時にだけ着るの”

 

あぁ、そうなの。

死者に祈る時にだけ着るの。

スーッと腑に落ちた。

 

”SAKURAドロップス”の終盤のプリミティヴなドラムと、宇多田さんの鍵盤プレイは、

さながらアフリカ現代音楽の父・ダタウ・カヒルを思わせる実験的なサウンドとなり、どこの国に咲く桜の情景なのか、

もはや私の考えの及ぶところではなかった。

 

そんで、8曲目 “光”

コンサートのクライマックスにやるイメージのあるこの曲が、この位置で演奏された。

この曲に対して、そんなに思い入れのなかった私だが、それこそこの前日くらいに、何だかとても好きな曲になっていた。

この辺で気づく。

この美しい出来事が繰り広げられるステージにはそぐわない、部屋干しの衣類の匂いが、私のTシャツから発せられていることに。

ごめんなさい、宇多田さん。隣のおねえさん。部屋に干して、ごめんなさい。

 

10曲目 ”Too Proud”

 

オリジナル音源では外国人ラッパーが歌うラップ部分を、この日は宇多田さんが独特な技法のラップを披露する。

また、その歌詞が素晴らしかった。リリックと言うのでしょうか。

 

“「男と女は始まった時が一番楽しい」と、昔ビートたけしがラジオで言っていた記事をネットで読んだ”

 

という様な内容の歌詞。リリックと言うのでしょうか。

 

独特なラップの語り口もあいまり、時空を捻じ曲げる様な、何とも言えない楽しいものになっていた。

 

そんな感じで前半は終わった。

衣装チェンジも兼ねスクリーンには又吉直樹との楽しい対談の映像が流れ、

「アハハ」とか笑いながら大人しく宇多田さんを待っていた。

 

そしたら、会場の後方から突如ステージがせり上がり、宇多田さん登場!!

この広いマリンメッセでかなり近い距離から宇多田さんを拝見することができた。

背中の大きく開いたドレスから見える肉感的なその背中に気をとられながらも、

この天才の歌唱をこの距離で見るのはおそらく生涯最後であろう、と真面目にこの瞬間を噛みしめた。

 

14曲目 “Foevermore”

 

何かのインタヴューで、「このドラムプレイがなかったら、この曲はこうなっていなかった」と宇多田さんは語っていた。

確かに、アルバムに収録された音源は、素晴らしいエモーショナルなドラムプレイであった。

そのため、この曲が始まった瞬間、この日一番の最高のドラムプレイ(ひいてはバンドアンサンブル)が聞けるかと思ったが、

私の期待以上ではなかった。

 

15曲目 “First love”

 

この絶好調なライヴで、この曲を聴けるというのは単純に嬉しかった。

やっぱり、凄い。今日の宇多田さんは絶好調。マジで。

と思っていたら、

「あっ!!」と口をつき、完全に歌詞が飛ぶ宇多田さん。

この好調なコンサートのクライマックスに、何とも不思議な歌詞の飛び方に感じた。

曲の後、本人も「まさかここで飛ぶとは思っていなかった」という様な発言をしていた。

 

17曲目 “Play a love song”

 

“友達の心配や 生い立ちのトラウマは まだ続く僕達の歴史の ほんの注釈”

 

この歌詞は、最新作『初恋』の1曲目にして、おそらく私の人生を少し変えた。

 

私の中で、それはほんの注釈にすることもできず、

大げさな例えではなく、戦争から帰ってきた兵士の様に、既に終えたものなのにも関わらず、人生の一大事として「ズシン」と佇んだままであった。

いらなくなった冷蔵庫の様に「ズシン」と。

 

だけど、それは注釈だと、「ほんの」注釈だと彼女は言った。

 

この歳になり、ポップソングの歌詞にこんな光明を得ることができるとは、まさか思っていなかった。

 

だから、この歌も真剣に聴いた。

 

アンコール・19曲目 “Automatic”

 

この曲もそう、真剣に歌詞を追いながら聴いていた。

そしたら、またしても完全に歌詞が飛ぶ宇多田さん。

あまりにも、無抵抗に、ごまかす素振りもなく歌詞が飛ぶ様は異様に見えた。

 

本編の最後のMCで彼女はこう語った。

 

「今朝、個人的に悲しいニュースがあり、リハでも泣いてしまった。今日はうまくやれるかわからなかった」と。

 

あるシンガーの話を思い出した。

その人には、自身の他界した祖母のことを歌った大切な歌があった。

ライヴでもハイライトとなるその歌を、ある日のライヴで、いつもの見せ場となる終盤ではなく、もっと早い段階で歌ったと。

すると、何かに羽交い締めをされる様に、引っ張られる様に体が動かなくなりピアノが弾けなくなったと。

まるで「まだ早い、そこじゃない」と止められた様な、そんな確信があったと。

突拍子も無い話ではあるが、その曲の持つ力と照らし合わせても、私には信じるに足る話であった。

 

この日の宇多田さんの「悲しいニュース」とは何かまではうかがい知ることは出来ないが、それと同種のことが起こっていたのでは無いかと、勝手に推察した。

“First love”と“Automatic”という、デビュー当初の大ヒット曲2曲というのが、とても象徴的であった。

 

20曲目 “First love”

 

納得がいかなかったのだろう。

歌い直した宇多田さん。

まさか2回聴けるとは思わなかった。

ありがとう宇多田さん

 

“最後のキスはタバコのFlavorがした ニガくて切ない香り”

 

言わずとしれた、この平成の名フレーズを、聴き逃すまいと最大限の集中力で聴いた。

(1回目は聞き逃した)

 

 

かくして、延べ21曲 2時間20分ほどにも及ぶ最高に幸せなコンサートは終わる。

2DAYSの2日目も行きたいと純粋に思えるライヴは久々であった。

 

終始、宇多田さんは丁寧に丁寧に楽曲の世界を作り上げている印象であった。

また、馴れ合うライヴは苦手な私だが、「ただいま」とはいうもののそんなに馴れ合わせてくれない、節度ある適切な距離感のライヴであったと思う。

 

そして、冒頭で触れた様に、ステージ上を彩る鮮やかなLEDは、それだけを取っても才能のある者が作ったとわかる美しさであった。

 

外国人というだけでなく、私好みの質感の服を纏ったバックバンドも、やはりいい演奏であった。

NHKの「プロフェッショナル」で見た、イギリスでのレコーディングにも参加していたアールさんのドラムも、

力強くて、ファンキーで、ビシバシとカッコよかった。

 

私の席は、1階Aスタンド.。ステージからは遠かった。

しかし、1曲目から距離の不利を感じさせない、最高の音を聞くことができた。

 

近年観たライヴの中で1番良かったと思った。

今年だけに限っても素晴らしいライヴを何本か観たはずなのに、そう思わせるのは、

これだけ大きな会場のライヴを滞りなく成功させると、こんなに凄いんだと、

全てが機能して、「会場が大きい」ということさえ利になる、という初めての経験であったことも要因の一つであるのだと思う。

 

会場が大きい→音が悪い→「まぁしょうがないよね」→「この場にいることに意義があるよね」

じゃあない。

そうじゃない。

 

総じて、作る人全て、携わる人全てが、プロフェッショナルだとわかる(悲しきかな)稀有なコンサートであった。

 

今日この文章を書くまでの間、あの日の感想が連日頭を巡り、とても有意義で楽しかった。

 

 

 

ありがとう宇多田さん、大好きだ。

歌ってくれてありがとう。

また観に来るばいウインク