先日60歳のタクシーの運転手さんが仕事中にくも膜下出血を起こして亡くなり、車が暴走して歩行者の70歳代の方も亡くなられる(怪我人も出たようです)といういたましい事故が起きましたね。


これは運転手さんが悪いというか突発的な病気ですし、年齢がどうというよりも、誰もが他人事じゃない話ではないかと思います。

若くても年配でも、心臓発作を起こしたり脳出血になる人はなるし、それが歩行中か運転中か電車で移動してる時なのかは本人が選べない訳ですもんね。

それに今の60代70代はめちゃくちゃ元気な方も多いですし、20代だって病弱な方もいます。


ただ、自分や身内が轢かれてしまった場合、報われないというか、完全に運転手が100%悪いとも言えないですし、怒りのやり場がないというか、ねえ。


今回は運転手さんは亡くなってしまいましたが、生きていたところで多額の損害賠償が出来るような状況にはなりにくいですよね。運転手さんも仕事が続けられなくなる障害になるかも知れませんし、自身の治療もあるから出したくても出せないケースが大多数のような気がします。


だからといって飲酒運転だったり薬物でらりらりした人に轢かれてたら、ちゃんと賠償してもらえる訳じゃないですけどもね。どうせ刑務所入りますから。身内がそれなりにお金持ってても払う意思があるかは定かではないですし。


ただし、悪である側がはっきりしているだけ、遺族や被害者はまだほんの少しは救いがある、というだけのことです。怒りの矛先が向けられるだけのことです。障害もなく元気な体に戻ったり、遺族が帰って来る訳ではありません。


そう考えると、自分が死ぬ時にも【運】というものが働くんじゃないかと思います。


明石家さんまさんが「生きてるだけで丸儲け」と言っておられたように、数限りない不幸な可能性をすり抜けた所で生きている今の自分という存在があるんでしょう。


逆に言えばいつ死んでもおかしくないわけですから、時間を無駄に使うのは勿体ない、つう気持ちが深まりましたね。


……急死した時にパソコンの小説のデータを誰かにみられる心配だけが今のところ問題ではありますが。