相変わらず昭和レトロな楽しみに浸っていた6月ももう終わろうとしている。
右側のパックマンのゲーム機は、マイアーケードと言うミニパックマンゲームだ。
しかしながら「アーケード」と名乗りながらもこのマイアーケードに収録されているのは、ファミコン版のパックマンなのだ。
とは言え、パックマンはファミコン版しか知らない世代にはちっとも違和感が無いのだろうが、その昔昭和の頃のゲーセンに置かれていたパックマンとは「サウンド。グラフィック。」が微妙に違うのだ。
昭和から平成初期迄のゲーセンは異質な雰囲気を漂わせる空間だった。
今みたいに音ゲーやらクレーンゲームやら、通信型の格闘ゲームや、席を並べたレースゲーム等は無かった。
そんなファミリーな雰囲気とは程遠い昭和のゲーセンは「ツッパリファッションに身を包んだ不良やゲーム機の端に100円玉を積んで何時までもゲームに励むオタク。」が集う、ダークでアングラな雰囲気に満ちていた。
そんなアングラな空間のゲーセンには、8bitのゲームサウンドがチャンポンされた音の洪水にまみれた空間で、タバコの煙や缶コーヒーがセットみたいな場所だった。
対面式の格ゲーや単座式のドライビングゲーム。
テーブルタイプの筐体や立ったままゲームをプレイする筐体等、色々な筐体だらけで音と光の空間だった。
ファミコン版パックマンが収録されたマイアーケードの右に置かれた更に小さなタイニーアーケードと言う名前のキーチェーン付きのミニパックマンは、こんなに小さくてもちゃんとパックマンがプレイ出来る。
小さ過ぎて操作が難しい程に小型なタイニーアーケードのパックマン。
しかし、このタイニーアーケードに収録されたパックマンは何とアーケードの名に恥じぬゲーセンで聞き慣れたあのアーケード版のパックマンが収録されているのだ。
正確には限りなくアーケード版に近いパックマンとでも呼ぼうか。
ほぼ完璧にアーケード版パックマンを再現したバージョンのゲームが楽しめる。
思えば昭和のゲーセンではこのパックマンのアーケード版のサウンドもスペースインベーダーやドンキーコングやそのパチモンの「クレイジーコング」なんてゲームサウンドに混じって鳴っていたなぁ。
更に古いゲームでは平安京エイリアンなんてのも有った。
昭和50年代半ば迄の話だ。
今や手軽に家庭でファミコンの互換機でもパックマンは楽しめる。
しかしかつてのゲーセンのあの雰囲気はファミコン版パックマンでは味わえない。
ケツの青いガキが気軽に入れる様な空間では無かった昭和のゲーセン。
年上の兄貴に付いてゲーセンに入った昭和50年代。
兄貴と兄貴の友達は狂った様にドンキーコングやインベーダーをやっていた。
「名古屋撃ち」とか聞いて懐かしいなあ~と思う方は兄貴達ときっと同世代の方だろう。
1ゲーム50円でプレイ出来る当時は格安なゲーセンを探して兄貴達はケツに私を乗せたチャリンコを転がして走り回った物だった。
ゲーセンや喫茶店は不良の溜り場だった。
横浜銀蠅とか松田聖子とかの歌がBGMで流れていた。
そんな昭和の残り香を嗅ぎながらケツの青かったクソガキはやがて訪れた平成に青春時代に突入した。
よろしくメカドックでセリカXXに憧れた少年の青春時代には後継車種のスープラ「初期にはトヨタ3000GTと謳っていた。」が登場して、新しい時代の到来を感じた。
初めての転職先の年下の先輩がこのスープラの白色の3.0GTターボに乗っていた。
初めて隣に乗せて貰った時に、青色に光るデジパネを見てカッコ良ぇなぁ~!と思った物だった。
その頃私が乗っていたのはスポーティーさとは無縁のクラウンのステーションワゴンだったので、余計にスープラがカッコ良く感じた。
男女七人夏物語なんかに兄貴達がハマっていた頃にはデートカーなるナンパな車が流行りだして、それから暫くして初代ソアラやホンダのプレリュードなんかが流行っていた。
このプレリュードは私が高校1年の時の担任の教師がパチンコで荒稼ぎした金を資金に購入して乗っていたので深く記憶に残る車種だ。
しかし今見てもナンパな車だな~。
女ウケしか考えてないのが一目で分かる(笑)。
時は流れ続ける。