昨夜は傍から見ればどうでも良い事だが、どうしても気になっていた事を解決すべく作業をしていた。
それはこのジャンクミニカーのイタリアのブルム社製のランチア・フェラーリD50と言う1950年代半ばのF1グランプリマシンの修理だった。
何処が壊れているのかと言うと、
ブレーキハブドラムから生える3本の棒状のパーツの内の2本がハブドラム根本からパッキリと折れてしまっている。
元々はメッキされた樹脂製パーツなので、経年劣化もあったのだろう。
ほんの少し力が加わっただけで折れてしまったのだ。
左側のタイヤとホイールが3本の棒が折れていない正常な物。
それに対して右側のタイヤホイールから生えている棒は一本しか残っていない。
破損していない方のタイヤホイールをくまなくチェックしてみる。
3本の棒状パーツの内の一本だけは長さが異なり少し長い。
元々の棒状パーツの径をマイクロノギスで計測すると直径1ミリジャストだった。
このマシンは当初ランチアの設計製造でレースに出ていたのだが、ランチアのワークスチームのエースドライバーの不慮の事故死と自動車販売業の業績の悪化でランチアはレース活動の資金繰りが困難となり、このランチアのマシンと設備の一切合切をフェラーリが引き取って継続改良しながらフェラーリもレースに投入。
その後遂に見事にランチアも成し得なかったこのマシンでグランプリを制覇したのだった。
そしてその際にはフェラーリは粋な計らいを見せ、フェラーリがランチアからこのマシンを引き継いだ後もこのマシンにはランチアのエンブレムをそのまま貼られたままレースに出場していたのだ。
フェラーリ男気見せてカッコ良いじゃん😉👍なエピソードだ。
ミニカー修理に励んだ翌日の今日はお陰でご機嫌だったのだが、最近認知症の症状が出始めた実母が先日からテンパった行動を連発していて大丈夫かと心配していた矢先、昼前に私の携帯電話に見覚えの無い電話番号から電話が掛かってきた。
それは近所の交番の警察官からの電話で、何でも母が実家の土地の権利証や実印の入った手提げ金庫が家から無くなったと交番に届け出たと言う。
で、私に心当たりは無いだろうか?と聞くのだが、私は母の大事な書類や実印の入った手提げ金庫等は見た事が無い。
しかし、母の家に頻度高く訪れる身内の人間は私位の物だから、有る意味で私が疑われていたのかもしれない。
事情を聞いた私は電話口で警察官に私が知る限りでは母は大切な書類は何処そこに何時も置いていて、山の様な量の何年も前からの書類は廃棄して1つの段ボール箱にここ数年の書類と大切な書類は入れて保管しておけとは言ってあると伝えた。
それを聞いた警察官は「この後警察官立ち会いの下、母の自宅に書類の捜索に行くが宜しいでしょうか?」と言う。
私は勿論それは構わないのだが、「母は最近認知症の症状が出ているらしく、記憶が不鮮明なので家捜しをされる警察官にはご迷惑をお掛けする事になるかもしれません。」と伝えた。
警察官は「捜索の結果は後ほど折り返し連絡させて頂きます。」と言うので、その場は電話を切って私は昼食を頂いた。
昼食を食べ終わる前に再度携帯電話に警察官から電話が掛かって来た。
警察官曰く「捜索の結果、息子さんの仰った所に全ての書類や実印は有った。」との事だった。
私は警察官の苦労が徒労に終わらなかった事が良かったのと、私にかかったかも知れぬ有らぬ疑い?が晴れたので安心したが、母の近況からもはや私家族だけの手により母の世話?をし続けて行くのが今後困難になるやもしれないので、実兄に連絡を取り今後の事を相談した。
そんなこんなでせっかく昨夜ミニカー修理に励んで修理を終えて喜んだのも束の間、現実の厳しい環境に目が覚める思いだった。
それは厳しい現実だ。
だが母親が老いて認知症が出て来た様に、息子で有る私も歳を取りつつ有る。
人生は誰しもが思う程長くは無い。
今は元気でこうしてミニカーの修理やエアガン等を楽しんでいる私にもやがて訪れる老いの衰えは避けられないのだ。
そして自分に残された時間が後どれだけ有るのかは誰にも分からない。
何時母の様に自分もなったとしても悔いの無い様に日々を充実して生きていかないといけない。
そう雨の夜に思う私でした✨。