玄兵衛が虹の橋を渡ってから青兵衛が一気に老け込んだのですが、ここ数ヶ月でさらに老化が進んだように見えます。
老いは人にも犬にも平等に訪れるものだけど、その現実を目の前にして私の心は虚しさばかりが募ります。
青兵衛だけではなく、最近、夫も老け込んできて…。
そして、そういう私も老いを感じる場面が増えてきました。
感覚だけはいつまでも若いままで止まっているけれど、肉体は確実に衰えてきて、時の移ろいを感じない日はありません。
最近、YouTubeで1990年代の名鉄・近鉄を写した動画をよく観ます。
たまたまおススメに出てきたので「懐かしいな~」と再生したら、次から次へと似たような動画が。
「あるある」です。
8ミリビデオで撮られたそれらの映像は今の4K・8Kの鮮やかな映像に比べると粗いので、余計古めかしく感じます。
でも当時の私は、私の4K・8Kに匹敵する視覚を持って名鉄の朱色の車体、近鉄のオレンジに紺色の帯を付けた特急やクリーム色とえんじ色の急行車体に乗っていたはずで、どれもクリアな映像として私の脳に記憶されたはずなのに、私の記憶装置もまた古びれてしまったのでしょう、8ミリビデオの映像と同レベルの解析度の記憶しかありません。
近鉄の名古屋発の特急が出発する際、ファミコンの音源風の「ドナウ川のさざ波」が流れますが、そのファミコン風の音が何とも切ないです。
(現在はゴージャスな音源に変わっている)
その音で私の忘れかけていた記憶が断片的に蘇りました。
と同時に、「ああ、もうあの頃には二度と戻れない。あの時の私はこの今だけのこの時間、空気、感情がどれだけ大切なものか、どれだけの価値があるのか…。いや、分かっていないから、無邪気に時間を過ごすことができたのだ」と悔やむ心も大きくなりました。
正直、あの頃は「いいこと」よりも「いやなこと」「つらいこと」の方が多くて、思い出したくないこともあるのですが、ほんのわずかな「いいこと」ばかりが増幅、つまり思い出補正がかかって、きれいに見えるのでしょう。
現在、人生の曲がり角を大きく回っている最中なので、余計に昔のことを懐かしむのかもしれませんが、またこれから10年20年後は、今の私をこれまた懐かしむ老齢の私がいることでしょう。
その時はもう、独りぼっちになっているかもしれません。