藤井聡太さんの出現は私の奥底に眠っていた何かを呼び起こしてくれました。
話は私が小学生の頃に遡ります。
4年生くらいだったでしょうか?
家に折り畳み式の将棋盤とプラスチック製の駒がありました。
おそらく父のものだったと思います。
と言って、父は将棋愛好者ではありませんでした。
なぜそれらが家にあったのか分かりません。
そして父が亡くなった今、その疑問に答えられる人は誰一人おりません。
何がきっかけかは忘れてしまいましたが、ある時、父が私に「はさみ将棋」や「将棋崩し」という遊びを教えてくれまして、それから将棋の世界に興味を持ち始めました。
父は「今、強い将棋指しはこの人たちだ」と言って、中原誠さん・米長邦雄さんの存在を教えてくれました。
新聞を開けば、将棋の欄がありました。
残念ながら私にそれを理解する能力がありませんでしたし、解説してくれる人も存在しませんでした。
父からは駒の進め方を教えてもらい、確か子供向けの将棋の本なども買ってもらって、私は一人で将棋っぽいことをしていたと思います。
しかし、それから先はありませんでした。
もし「将棋教室」なるようなところに通わせてもらっていたら、それなりに将棋を指すことが出来るようになっていたでしょうが、縁が無かったのでしょう。
ですが、私にとって「プロ棋士」はとても特別な存在としてあり続けることになります。
皆さん大きな対局では羽織を、それ以外ではスーツを着て姿勢正しく、駒を持つ指先まで美しくある姿はまさに「道」。
棋士のほとんどが中原さん・米長さんのような「眼鏡をかけたオジサン」、もしくは加藤一二三さんのような「恰幅のいいオジサン」ばかりなのに、彼らの勝負に向かう姿に魅せられたのは今だから言える話。
私はその頃から「年上の男性」が好きだったんでしょうかね…。
将棋のことはサッパリ分からないのに、オジサマ棋士が気になるって。
そんな「オジサンばかり」の将棋界(と、私は思っていた)に谷川浩司さんが彗星のごとく現れました。
何かのタイトルを取った時です。名人位だったでしょうか?
「スマートなのび太」のような谷川さん。
やっぱり眼鏡を掛けていましたけど。
佐藤康光さんらと並んで、「棋士にも若い人がいるんだ…」と間抜けなことを思ったものです。
私が再び「将棋」を意識したのは羽生さんの登場です。
破竹の勢いで勝ち続けて七冠を達成した羽生さん。
世間は羽生フィーバーに湧いていましたが、私は面白くありませんでした。
そうです。
私はいつしか「スマートなのび太」な谷川さんのファンになってました。
将棋のことは全く分からない癖に。
私の中で最強の棋士と言えば谷川さんですが、やはり世代交代の波に谷川さんもまた抗うことはできませんでした。
A級陥落のニュースを聞いたときは本当に悲しかった…。
そして令和の時代。
藤井フィーバーに引き寄せられるように私は三たび将棋に意識が向くようになりました。
谷川さんはレジェンドというポジションでマスコミへの露出が増えてきました。
嬉しかったです。
青年だった谷川さんは今やオジサン。
私がオバサンさんですから当たり前なんですが、谷川さんはとても還暦を過ぎたとは思えない若さを保っています。
以前はあまり意識してなかったのですが、谷川さんの手というか指はとても綺麗!
おそらく私が谷川さんのファンになったきっかけは駒を持つそのきれいな手だったのでしょう。
真面目な将棋ファンからはお𠮟りを受けそうですが、多分そうです。
心のうちは激しい闘争心を秘めているのに、それを微塵に感じさせない穏やかな雰囲気も素敵です。
YouTubeで「谷川さん」で検索すると、出るわ出るわ谷川さん。
今、私のYouTubeのアカウントは「谷川さん豊作祭り」になってます。
最近、詰将棋のアプリをインストールしてたまに遊んでいます。
自分の回路の悪さに呆れることが多いのですが、楽しいです。
下手の横好きですけど、ボケ防止に将棋を楽しむのも悪くないと。
オジサンになった谷川さんに萌えながら勉強すれば、より楽しめますしね。