暑く、長い1日だった
前日に引き続き、猛暑日予報の9日
熱中症の心配があるとのことで、五城目町ボランティアセンター(以下VC)は『午前のみの活動』というアナウンス
ボランティアに万が一のことがあっては今後のVCの運営にも影響するし、住人さんにも悲しい思いを抱かせてしまう
『もっと活動したい!』『こまめに休憩をとれば大丈夫!』
そんな声も聞こえたきたが、これは登山で言うところの【勇気ある撤退】ってやつと同じだ
明日以降の同志へ、想いを繋ぐのみ。
さて、この日の朝は…
カップラーメンの蓋を開けてJetBoilでお湯を沸かし始めてから気がついた
昨日イオンで弁当買ってきたよね?
ってことでガサゴソ…
あったあったww
朝からハンバーグ弁当と、文字通りの《クッタ》で朝メシ。
まだ遠くにあるはずの台風の影響が出始めており、空には高層雲が浮かぶ
一見すると高曇りで涼しくなるのかと期待させられるような空だが、やがて8時を過ぎる辺りから気温はどんどん上昇していった
そしてこの日は、我が雫石からボランティアバスが運行されるとのことで、ボラセン前でお出迎え!
到着後、スタッフ込み12名の受付をするS村さん
背中には…
【復幸雫石】の文字
そう、いまからちょうど10年前の今日、雫石は豪雨災害に見舞われたのだ
あの日、早番の搾乳が終わる辺りでローリーの運転手がパーラーにやってきて『おぉぉぉ~いっ! 大変なことになってるぞぉぉぉぉ~っ!!』って叫んだ
雫石の【道の駅あねっこ】近辺で土砂崩れ多発・国道なのに路上で乗用車が水に押し流されて観光バスに引っ掛かり、乗員2名はなんとかバスへと避難したとか…
特に雫石を東西に走る《雫石川》の南側(雫石川右岸)のエリアの被害が大きかったが、当時引っ越してきてから1年目と言うことに加え新聞を取っていなかった我が家では町内の被災状況を知る術もなく、ましてや災害ボランティアが全国から集まってくれていたこともかなり後になって知った
震災直後のあの時、『もしボランティア募集の情報を得ることができたら自分にもやれることはたくさんあった』と、悔しいような、同じ町に住んでいる被災者さんたちに申し訳ないような、複雑な気持ちでいっぱいだった
以前も書いたが、うちの社協でも《雫石豪雨》の時には動きたいのに動けない・自分達の町を守ることができないという悔しい思いをすると同時に、全国から来てくれるボランティアたちや各地から応援に入ってくれる運営スタッフたちの有り難さを『次に活かしていかねば!』ということで猛勉強し、さらには外部講師として全国各地の被災地で活動するプロボノの幹部スタッフを迎えて住民向けの水害ボランティア講習会を開いてくれるようになった
今回マイクロバスで早朝出発にも関わらず猛暑の五城目に駆けつけてくれたのは、社協が募集告知してから締め切りまで(いろいろ事情があり)たった4~5日という、ほんの数日間で集まってくれた熱いハートを持つメンバーたち
移住組の自分にとって《アウェー》だった雫石は、いつの間にか《誇らしきオラホの町》になっていた
五城目社協VCとしては午前のみの活動ということで、短期決戦で訪問したのは川のすぐ横にお住まいのI川のオトーサンさん宅
元々が田んぼだった場所に道路のレベルから盛り土(後で聞いたら混じりけの無い砂を盛ったらしい)をした上に建てた広いお宅だが、それでも地面から測ると腰くらいまで浸水してしまったのだった
あの日、I川のオトーサンは川から水が溢れ始めてから敷地に水が流れ込み始めるまでのスピードが尋常でないことに危機を感じ、ご近所に『逃げなきゃダメだ!!』と必死に声をかけてまわったという
それでもやはり【正常性バイアス】ってやつで『まぁこのくらいなら大丈夫ですよ』とか『もう少し様子見てみます』っていう人が何人もいたと悔しそうに語ってくれた
オトーサンは昔の怪我が原因で左目がほとんど見えず片足が不自由なので、いまは仕事をしておらず恐らく年金暮らし
…ってことは、病院とか買い物に行くためのクルマは、たとえ軽自動車だったとしても大切な財産だ
『これが水没したら生活していけない!』と、洪水が酷くなる前にどうにか避難したのだと話してくれた
【知識ある者、率先避難者たれ】
『もう誰も救えない』という最後の段階では、自分が避難する姿を見て『やっぱヤバいんじゃない?』『逃げなきゃ!』っていう人が一人でも増えることを祈って自分自身が逃げるのが最善の行動
防災士の資格取得のための勉強会で習ったことを実践していたI川のオトーサンの行動、素晴らしいっす!
さて、そんなオトーサンは家財搬出してもらった後の2回目のボランティアを頼んでもなかなか来てくれなったということで、空き時間を使って床剥がしを進めていた
屈んだり這いつくばったりすることができないから、不安定な姿勢で一生懸命にやってたんだと思う
あの、体温より高い気温の中で。
エアコンも扇風機もない、ただ窓を開け放した1階の空間で、ひとりコツコツとボランティアが来るのを待ちながら。。
サーキュレーターはプロボノの【レスキューアシスト】さんが設置してくれていた
かなりしっかりした作りで、大引に平行して板を渡してスタイロフォームという硬質スポンジの断熱材を張り、その上に床板を打ち付けてある作りだった
大工さんのこだわりがすごく伝わってくる
そして、藤ボラさんのサーキュレーターは泥で汚れぬようにカットした床板を座布団がわりに。
さぁ、しっかり頼むぜ!
この日も休憩は20分間隔
メンバーたちに休んでもらっている時間を使って各部屋の床下の泥の状態をチェックしたりI川のオトーサンの話を聞いたり…
震災の時にも感じたのだが、床下の構造材の太さで大体その家の強度とかレベルが分かってしまう
オトーサン宅はかなりしっかりした骨組みが張り巡らさせていて一安心。
束石の上まで泥が来ていたと思ったこの部屋は、コンクリート基礎に直接《束》が立っていた
…が、泥は深さ1cm程度
これなら小さいショベルと塵取りと土嚢袋があればどうにかなりそうだ
そして作業は酷暑の屋外でも同時進行。
家の脇の倉庫の中の泥を綺麗にしたら、そのまま裏手の方へ移動
バリバリに割れているのは川から運ばれた泥
乾いているので角スコップで丁寧に掬っては掻き寄せ、排水用の細いU字溝の中も綺麗にしていく
あとになってこの場所を見たときに、なるべくあの日のことを思い出すことがないように。
乾いた泥が細かい粉塵になって舞うため、暑くてもマスクを外せない
ぶっ倒れそうな酷暑の屋外で、一人一人の優しさがセッションしている
小さなことかもしれないし、家のカビのことに比べたら重要性は低いかもしれない
けれど、被災された住人さんたちが《前に進む気持ちを奮い立たせる》のをそっと手助けするのが一般ボランティアの役割でもある
もちろん、基礎に穿たれた通気口も怠らずに点検していく
築年数の関係で(なぜ閉めたのか)閉まったままプラスチックの開閉レバーが固着しているところは『交換するといくらかかるか見積もりとってみて、払えそうなら割って取り外して風通すのもアリかもしれませんよ』って伝える
壁の断熱材が水を吸っているとカビの原因になるってことはオトーサンも分かってたんだけど『試しに1ヶ所壊してみて【大丈夫でしたね】ってなって料金払うのももったいないしなぁ~。。』と、結構悩んでいた
そりゃ、当たり前だよね
何日かビール我慢すればいい程度の出費では収まらないんだから。
壁を壊さずとも水を吸ったかどうか確認する方法があったら知りたい。
そんなこんなで20分インターバルの午前作業は、酷暑のために【1日全力でやりきった!】っていう程の疲労感と共に終了。
みんなでI川のオトーサンにご挨拶してボラセンへ…
…戻っていただきました。
ボクはマイクロバスではなくジムニーで来ていたので、何となくオトーサンのことが気になり、ちょっと居残り。
玄関先に腰を下ろしてよもやま話。
すると、やはりいろんな事を抱えていらっしゃった
怪我をして目の手術をした時にほぼ視力を失ったのに医者から『手術は成功したんだから見えるはずだ! 見えないなんてウソをつくな!!』って言われて傷ついたことや、家の前の道路に下水の配管を工事したときに欠陥工事になって道路や敷地が陥没したのに町が誠意のある対応をせず自腹で直したこと(知り合いの職人が復旧工事を請け負ったのだが、配管の下がしっかり埋められておらず敷地内の砂が引っ張られて陥没したと教えてくれたとのこと)、さらには1回目のボランティアの忘れ物を届けたときにものすごく邪険に対応されたことや、相談事で役場に行ったら『朝イチで来られても困る』と対応されたことなど。。
一見するとしっかりした強そうな顔つきのオトーサンだったけど、何かある度に信頼していた人・頼りたい人から冷たい仕打ちを受け続けていて、心が疲れちゃっていた
あるよね、そういうことって。
立場上どうしても頼らざるを得ない相手から、何でもかんでも悪意に解釈されて傷付けられることって。
オトーサン、役場も社協も『もう、できれば行きたくない。嫌な思いをさせられるだけだから。それなら自分で何とかした方がマシなんだよ』って、涙を流していた…
多分、こうやってあちこちから伸びているはずの救いの手の狭間にいる人ってたくさんいるんだと思うんだ
黒い手に足を引っ張られるような人も。
ただ、五城目の社協のスタッフだって復旧復興に向けて熱い心を持っている人も確実にいる
これは確実に言えること。
そして…
《いまここで、限られた時間でボクにできることは?》
グルグルと、その命題が頭のなかを回りつづける
誤解している部分があるとしたらそれを解消し、オトーサンのリクエストを正確にボラセンに届けて【継続案件】とし、次のボランティアが来るのか来ないのか・来るなら明日なのかそれ以降なのか、『その辺りを連絡してもらうようにしっかり頼んでおきます』とオトーサンに約束する
それが、ボクにできる精一杯のことだった
午後、チーム雫石と分かれて一人でここに来て作業したりお話を聞いたりしようとも思ったが、万が一ボクが熱中症で倒れたりしたら各方面へ迷惑をかけてしまうことになりかねないので、もしそれをやるなら別日程で朝イチからやるしかない
…しかし、一人の力ではやれることの限界が目に見えているのも事実。
明日以降ここにやって来るはずの同志を信じ、みんなが待つボラセンへと戻った
この日の午前中の【チーム雫石】の活動がテレビで紹介された
馬川コミュニティセンターに設けられている五城目町社協ボランティアセンターは、建物内の大広間にボランティア用の休憩スペースがあり、エアコンが効いた場所で休むことができる
チーム雫石の面々は午前中の慣れない暑さにかなり疲労感を感じているはずだったが、『完全燃焼して帰る!』ということで、午後からは自主的にプロボノの【DRT】の活動場所のお手伝いをしてから帰還することになった
ボラセンの前の道を街とは反対方向へと走っていく
青い空に対して、アスファルトの道路が茶色いのが分かるだろうか
水が溢れた後、何度か雨が降ったり道路も掃除されたのかもしれず、まぁある程度は綺麗になっているものの、まだあの日の痕跡は消えない。
現場は《寺庭》地区の馬場目川の堤防の上
DRTの正規メンバーに加え、東北あちこちの消防士さんたちが駆けつけて活動してくださっていた
聞こえてきただけでも二戸(にのへ)・花巻・大船渡・仙台…
本当にあちこちから、重機やチェーンソーの訓練を受けている消防士さんたちが駆けつけて活動してくれていた
ちなみにDRTは雫石豪雨の時も駆け付けてくれて、被害が大きかった地域の復旧に尽力していただいた
その後も、第1回目の社協主催の浸水家屋についての水害ボランティア講習では代表の黒澤さん自ら講師に来てくださったりと、雫石にとっては大変お世話になっているプロボノ組織さんだ
雫石町のバスが、あれから10年後という日に災害ボランティアを乗せて被災地・五城目町に駆けつけた貴重な一枚。
メンバーには高齢の方も混ざっており、バスの車内は冷房をしっかり効かせてあって暑さにやられちゃった時は逃げ込めるようになっていた
現場で挨拶の後は2パーティに分かれ、ボクのチームは堤防の奥の方へ
堤防の上は農道のようだが、川のカーブの外側なので川原に生えているヨシなどが流れ着いて50cm以上堆積しており、それを撤去するのがミッション!
航空写真で見ると…
赤いマークのところに車を置き、その左を川に沿って上の方へ行ったところが受け持ちエリア
仙台の消防士さんたちがパワーショベルと共に作業しており、ボクたちはモーモーの飼料が入ってるような《トランスバッグ》という1トン入りの巨大土嚢袋みたいなものに足元の堆積物を突っ込んでいく
ちょっと見た感じではそんな簡単に終わるわけもなく、雀の涙ほどの働きで帰路に着くのかなぁ…
…と思ったら、わずかな時間でものすごく綺麗にすることができた!
人の力でトランスバッグに詰め込んではパワーショベルで寄せ直して…というのを繰り返すと、みるみるうちに地面が近くなってくる
それでも、時間ギリギリまで粘ったが規定の時間になってしまった
タイムリミットを迎え、集合場所に戻ると…
橋に引っ掛かっていた太い木をチェーンソーでカットして、パワーショベルのバケットに接続したワイヤーで引き上げているところだった
ズームアップしてみると…
ちょっとわかりづらいかな?
これでどーだっ?
再び増水した時にこういった流木が悪さをしないよう、DRTは町と連携して撤去作業を進めている
時には欄干の下に引っ掛かっている流木もザイルでぶら下がって人力で撤去することも。。
何もなければ、こんな素敵で長閑な風景が広がっている場所なのだが…
みんな、お疲れさまでした!
そして、ありがとう!!
このあと、雫石へ戻るボラバスを見送り、ひとりで集落を歩いてみた
あの大雨の日に五城目在住の仲良しスキーゲストのIさんが送ってきてくれた動画はここの若干下流部だったが、場所的にはかなり近い
辺り一面が茶色い水に覆われ、水が少し動いているように見える部分が川だった
稲は何度か雨に洗い流されて青々として風に揺れていたが、その根元は…
山から流れてきた土砂や、根がついたままの大きな流木が転がっている
そして、右手に農家レストランがあるこの場所なのだが…
行政では予算をつけてくれるのだろうか…
湖面の向こうでは、秋田駒を覆う雲が今日最後の陽光に穏やかに輝いていた