明日は我がシズクイ市の社会福祉協議会が主催する災害ボランティア講習会





昨年トーチャンが防災士の資格を取ることができたのも、こちらの推薦をいただいて講習会&受験費用を県と町に補助いただいたから(自腹で取得するにはかなり高額w)



中2になった黎クン、明日は部活が無いというので誘ってみたけど反応はいまひとつ…



災害現場をティーンエイジャーに経験させるのは健康被害等その後の影響を考えるといろいろ問題もあるのだけれど、こういう講習会って、吸収力が高く《自分達の町は自分達で守ろう》という純粋なココロを持っている10代の連中にこそ受けてほしいとトーチャンは思う



いまでも思い出すのは、震災後に青森から通った宮古で『ボクにも何かできることを』ってボラに来ていた地元の小学生のコーキ君のこと



小さな体を活かして(泥出しのために)床下に果敢に潜り込んでいったと、初期の宮古YMCAボラの間ではある意味でレジェンド的なキャラだ



あの年の6月、ボラセンがあった宮古教会に初めて行った時のある日の夕方、スポーツチャンバラの選手だった彼は『でも、(道具が)みんな流されちゃった…』って、日中は決して見せることの無かった寂しそうな表情でそっと教えてくれた



で、ちょうどその時のボランティアのメンバーにNHKの時代劇の殺陣をやってるコバヤシ君がいて、本来はスポーツだから勝たなきゃいけないにもかかわらず《カッコいい斬られ方講習会》が即興で始まってコーキ君は目を輝かせてた



カッコいいヤられ方、カッコいい死に方、コバヤシ先生の熱弁と競技には決して役に立たないんだけど《チャンバラ》の原点に本能的に気がついたコーキ君の輝く瞳、忘れることができない光景だ



そしてそれから5年後、あの2016年の台風10号



魁クンの誕生日だったあの日の夜、海からではなく、山から、水が襲い掛かった



イケメン高校生になってた彼は、この災害の2回目のボラとしてどこの現場に行こうかと逡巡していたボクに『新里(にいさと)のボラセンの人数が圧倒的に足りていない、やらなきゃいけないことがたくさんある、行くなら新里へ!』っていう内容の熱いメッセージをくれた



初めに行った宮古の市街地の被害もそれなりに大変だったけれど、その後ずっと通うことになった岩泉同様に山間部の新里の被害はかなりのものだった



そして、そこで偶然に、いや奇跡的に出会ったのが雫石社協のA姐、じゃなかった姉さんだったんだ



2日間活動を共にしたんだけど、めっちゃ近所に住んでて(徒歩2分)ボクのこと家族構成含めしっかり知ってたらしいのに初日は全くそんなこと口にもせず…

ボクはというと、軽トラに積み込んだ瓦礫を二人で捨てに行くときに『すごく(災ボラに)慣れているように見えますけど、どこからお見えですか?』なんて話しかけてたりしたっけ



2日目になって、やはり雫石から来ていた移住組の大先輩のMさんがボクに話しかけてきてくれて、ボクが雫石に住んでるというと『俺もだけどアイツも雫石だよ、しかもめっちゃ近所ぢゃんw』って種明かししてくれて…



しかも黎クンと同級生の子がいて小学校で同じクラスになったりして、その後の授業参観では普通に『お、お疲れっす』みたいに話したりして…



ちなみにA姉さんは岩泉の水害ボラの現場では、長期組ボラの間では通称《自衛隊》って呼ばれて恐れられていて(www)、迷彩柄のヤッケのズボンがトレードマークで活動開始になって動き出せばメチャクチャパワフルで、休憩の時は片隅で煙草の煙を空に向かって吐いていたりして、『あの人タダ者じゃねー』『ぜってーヤバい人だよね』とかリスペクト無しに恐れてる常連ボラもいたりしたww



だけど、姉さんをそんなある意味でレジェンド的にしたのが、あの《雫石豪雨》だった



自分が育ってきたこの町で、自分が暮らしているこの町で、こんなにも大変なことが起きたのに自分は何もできないじゃないか



悔しすぎる



動きたいのに、何かしたいのに、どうしたらいいのか何をすればいいのか分からない



そして全国から集まってきてくれたボランティア



さらには災ボラセンターの応援で来てくれた各地の社協の面々



それらの人たちが活動する姿を見て、『次に何かがあったら私が、私たちが動くんだ!』っていう気持ちを強くした姉さんは、徹底的に勉強して変身したらしい



結果、2016年台風10号の後に再び岩手に甚大な被害をもたらした2019年台風19号の時も、ボラセンに行くとA姉さんの名前は水戸黄門の印籠のように響き、前もって『あ、Aさんから雫石の人がいらっしゃると聞いてました』と言われたこともw



そんなA姉さんとの縁も、コーキ君の一言が、あのとき無かったら…



そう思うと、彼には感謝してもしきれないんだ



人の縁というのは不思議なもの



決して目上の人、年輩者だけに大きな影響を受ける訳ではない



あの時の、ボクよりずーっと若い高校生だった彼の、あの一言ですべてが始まったんだ



姉さんがいつもボクに冗談とも本気ともとれる口癖で言う『雫石に何かあったときには、しっかりお願いしますよ!』という有り難い言葉、あれはコーキ君との出会いが無かったら出てこなかったものだ



小学生だったコーキ君を突き動かしたものは、《震災》という実質的なそして小学生の彼にとっても恐らくは人生で忘れることができないほどの甚大な被害だった



一方で、2014年の雫石豪雨を経験している(でも記憶には無いのかな…)ここシズクイ市の若い世代には、是非とも自分達に何ができるのか、何かあったときには何をすべきなのか、そして何ができなくて何をボランティアに頼むべきで、ボラを受け入れるにはどうすべきなのか(これを受援力という)、そのあたりのことを若いココロで深く幅広く吸収し、そして深く考えていってほしい



《悲しみを知る人ほど、他人の悲しみに心から寄り添うことができる》



水害だけではなく、山での遭難を始め諸々の現場を経験した上でのボクの中での結論



ただ、それを《悲しみ》に留めておくことなく、大切なのは《次の悲しみ》が起きないようにしていくことなんだ



そのための、明日の講習会



黎クン、朝イチで引きずり出せないかな~と思案してます (^^;