こんな映画を見たい方におすすめ
この映画はテンポよく進むストーリーと巧妙に散りばめられたユーモアが特徴で、2時間、飽きることなく楽しめます。ボン・ジュノ監督ならではのスピード感と緊張感が心地よく、次々と引き込まれる事でしょう。
ただのエンターテイメントにとどまらず、映画はやるせない現実や鋭い社会風刺も描き、見終わった後にはそのテーマについて深く考えされる余韻を残します。
何回も見れば見るほど、その巧妙に練られたディティールに感動します。
あらすじ
韓国には「半地下住宅」と呼ばれる低所得者向けの住宅がある。この半地下で暮らすキム一家の4人は定職にもつけず、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。ある日、長男ギウはひょんなことから裕福なパク家の大豪邸で家庭教師として働き始める。やがて一家はその生活に魅了され、次々に正体を隠して、音楽教師・運転手・家政婦としてパク家に入り込む。やがてキム一家は豪邸に「寄生」していくが、彼らを待ち受けていたのは想像を超える結末だった。
↓以下ネタバレです。
出演について
特に印象深い登場人物はこの2人でした。
ソン・ガンホ キム・ギテク(お父さん)役
「殺人の追憶」「スノーピアサー」など、過去に同監督の作品に4度出演しています。
この方は言葉だけでなく、複雑な感情を表情で訴えかけることに長けている俳優さんだと感じました。今回演じたギテク役では、陽気で明るい人柄から、パク家に対する不満が募り、ナイフを振り上げるシーンまで幅広い感情の動きを、渾身の演技で表現しました。
イ・ジョンウン ムングァン(家政婦)役
「母なる証明」「オクジャ」など、過去に同監督の作品に4度出演しています。
この方の鬼気迫ったシーンでの表情は、笑っちゃいけないけど思わず吹き出してしまいそうなくらい面白いのです。
レインコートを着て、濡れ髪で現れた彼女の鬼気迫る顔は本当に怖いです。
脚本について
脚本:起承転結の分かりやすいストーリー展開
この物語は起承転結が分かりやすく展開していくため、中だるみすることなくストーリーを追うことができます。
起:半地下で過ごすキム一家の生活を映し出します。他人のWi-Fiを盗んで使ったり、内職をして、その場しのぎの稼ぎを得て生活をしています。
承:ギウが家庭教師として大豪邸に忍び込んだことをきっかけに、家族全員が次々と身分を偽り、大豪邸に寄生し始めます。寄生が完了するまでの手口が何ともスムーズで、テンポよく描かれ、この世界観に一気に取り込まれていきます。
転:大富豪家族がキャンプに出掛けた夜、地下に住人がいることが発覚。寄生している者同士で争いが起こります。そこに急遽、大富豪たちがキャンプから帰宅して、ハラハラドキドキのお片付け大作戦が始まります。次々と新しい事件が起きるため、見ていて全く飽きません。
結:ダソンの誕生日パーティーという晴やかなシーンから一変して、ギジョンは地下の住人に殺され、ギウは重症を負います。ここでギテクは社長であるドンイクを殺します。
映画を見ていた私たちは「えっなんで!」と衝撃を受けて呆然とします。
最後にギテクの存在に気づいたギウが手紙を読んでいるシーンで終わります。
脚本:登場人物の重厚な描き方
キム・ギテク(お父さん)
ギテクは一見陽気で無邪気なおじさんに見え、他人からの指図や評価に、劣等感を抱くことなく生活をしているように見えます。しかし、物語が進行し得行くにつれて、大富豪のパク家から差別的な扱いを受けることに不満を募らせ、ついにはドンイクを殺してしまいます。実は半地下の住人でいることに、最も劣等感を感じていたのはギテクだったのではないでしょうか。彼は他社との格差を埋めることを諦め、ついには地下のさらに深い場所へと身を潜め、生き残ることだけを選びます。差別や階級に対する怒りや反感を持ちながらも、這い上がる希望を持つことさえできない、諦めの境地にいる存在を象徴しています。
キム・ギウ(家庭教師の息子)
ギウは勉強が得意であるにも関わらず、何回も受験に失敗し続けています。彼には、「大学に入る」という大きな夢があるものの、現実的に努力を続けることが苦手です。そのため、彼は手っ取り早く大学生という偽りの自分を手に入れて、恋愛まで楽しんでしまいます。
クライマックスを迎え、結局は半地下の現実へと戻ります。そして彼は再び「お金を稼いで、大豪邸に住む」という大きな夢を語ります。しかし、その夢を実現するためには、彼が抱える後遺症や現実の厳しさが立ちはだかります。ギウは夢と現実の間で揺れ動き、時に夢に逃げることで、現実を耐え忍んでいるように感じられます。彼は現実と夢の間でギャップに苦しむ低所得者の絶望を描いていると言えるでしょう。
この映画には、圧倒的な悪人や善人は登場しません。すべての登場人物が矛盾を抱えたキャラクターとして描かれており、そのリアルさがこの映画に深みを与えています。
脚本:セリフの秀逸さ
「家族で食事を囲むのは久しぶりだ。」とビールを飲むシーンでは、実際に机に広がっているのは、安物のお菓子と発泡酒でした。ミニョクが来た際に、「これは食事なんかじゃない。」と見栄を張る一言は、貧困を隠し、評価を保とうとする家長の複雑な心境を表しています。
家族で過去にどんな仕事をしてきたかを離すシーンも印象的です。「チキンのお店がつぶれた後」「台湾カステラのお店がつぶれた後だよ」といった会話が繰り広げられます。この家族はただ貧乏になることを、最初から受け入れていたわけではなく、過去に様々な挑戦があり、それでも貧困な生活からは抜け出せなかったことがこのシーンから伝わってきます。
監督について
監督:ポン・ジュノ式テンポ感
キム一家が、次々とパク家に寄生していくシーンや、家政婦を追い出す場面など、テンポのよいストーリー展開が際立っています。これらのシーンはテンポよく進むことで、観客に謎の快感をもたらしてくれます。また、監督は、あるカットじっくりと流すことで静けさを演出し、次にセリフを最小限にして、映像と大音量のクラシック音楽でリズムを生み出すといった手法を巧みに使いこなします。シーンごとの緩急のつけ方が絶妙で、物語のテンションを常に保ちながら観客を引き込んでいきます。
監督:ジャンルミックス
パク家にキム一家が寄生していく過程は、ユーモア満載のコメディ調に描かれています。
映画の中盤で、ダソンがキム一家のにおいに気づき始めるあたりから、徐々に不穏な空気が漂い始めます。
パク一家がキャンプに出掛けた夜の事件からは、登場人物たちの深い人間ドラマも描かれます。終盤には、悪意や憎しみが血にまみれるサスペンスホラーにかわります。
様々なジャンルが入り混じるため、途中から「なんか雰囲気が変わった。」と戸惑うかもしれませんが、ポン・ジュノ監督は様々なジャンルを巧妙に融合させ、映画全体の一環下トーンと緊張感を保っています。
監督:一貫した作家性
ポン・ジュノ監督の作品には一貫して「社会構造に対する不満」「弱者への共感」といったテーマが根底に流れています。ポン・ジュノ監督のこれまでの作品を振り返ってみると、殺人の追憶(2003年)では警察(権力)の無能さ、暴力を描き、母なる証明(2009年)では母の狂気を描き、スノーピアサー(2013年)では階級社会、反乱、支配構造を描きます。
監督自身、学生時代に学生運動に参加したりと、社会への強いメッセージを持っている監督の一人です。監督の中に芽生えた社会への反感が、映画を作る強い原動力となっているのでしょうか。
「パラサイト」もまた、貧困や社会階級をテーマにして、視覚的にわかりやすく感情に訴えかける形で、社会的なメッセージを伝えています。
テーマについて
テーマ:なぜ登場人物に希望を与えなかったのか。
最終的に、キム一家の寄生作戦は失敗に終わり、絶望的な結末を迎えます。そこには少しの望みや希望もありません。なぜここまで徹底的に、登場人物に対して希望を与えなかったのでしょうか。
それは個人の救済を描くことで、社会構造への批判を弱めてしまうからです。
映画が描く「寄生される側」と「寄生する側」、すなわち裕福な者達と貧困層といった社会構造は、私たちの生きる現実そのものです。
キム一家のように、個人がいくら努力をしても、貧困層が個人で社会構造を変えることはできません。この映画は、「個人の奮闘ではなく、社会構造そのものを変えるべきだ。」という痛烈な問いを投げかけています。
テーマ:見終わった後の「しこり」
この映画は登場人物の成長や登場人物が報われたことによるカタルシスを全く感じさせてくれません。「面白かった。」と思う一方で、「この映画は何を伝えたかったんだ?」と頭の中に何とも言えないしこりを残します。その「しこり」こそが監督が残したこの映画の核心でありテーマです。「あなたはこの社会にどう向き合いますか。」と問われています。
音楽について
この映画を初めて見た時に、まず印象に残ったのが音楽です。
音楽監督を務めたのは、韓国では非常に有名なミュージシャンであるチョン・ジョイルさんです。どんな楽器でも1か月以内にマスターできるという才能をもった天才です。ポン・ジュノ監督のラブコールにより映画「オクジャ」の音楽監督を務めてから、映画音楽の分野でも活躍しています。
この映画で使用された25曲を彼が手掛けており、全体的にクラシック音楽で統一されています。ミックスジャンルの映画に統一感を持たせる役割を担っていると感じました。
「Opning」
映画の冒頭、キム一家が半地下で過ごすシーンでは、このピアノ音楽が流れます。
この懐かしく、美しいピアノ音楽が、物語が始まる予感を掻き立てて、観客に好奇心を抱かせる役割を果たしています。
「On the Way to Rich House」
キム一家が、大豪邸に寄生していく過程に流れます。怪しいテンポの音楽で「ばれないかだろうか?」といった観客の緊張感とリンクします。音楽の持つ不安定さが、映像と見事に調和しています。
「The Belt of Faith」
家政婦を追い出すシーンで流れる楽曲です。このシーンでは、セリフを最小限に抑えた分、音楽の音量が増し、スローモーションの映像と重なりあうシーンは、息をのむほど美しかったです。
音楽がピタリと止まった瞬間に、映像が切り替わるといった演出は美しさを感じました。
「Zappaguri」
パク家族が急遽帰宅するシーンで流れます。緊張感が高まるシーンに合わせて、楽曲のテンポが速くなることで、観客のハラハラする気持ちをさらに引き立ててくれます。音楽のスピードと映像のリズムがびったりと一致し、シーン全体の緊張感を見事に演出しています。
撮影について
この映画の撮影は、構図に非常に細やかな配慮がされており、視覚的に階級差やテーマを表現しています。
撮影:位置関係の象徴とは
家族で食卓を囲んでいる時、大学生のミニョクがやってきます。この時、半地下にいる家族が地上にいるミニョクを見上げる構図が使われます。半地下=キム家、地上=ミニョクといった階級の違いが視覚的に象徴されています。
撮影:坂道を使った階段差の表現
ギウがパク家に向かうシーンでは、住宅街の坂道を登る姿が映し出されます。彼が住んでいる半地下とパク家の間には明確な階級の違いがあり、階級の高さの違い、社会的な上昇を示唆しています。
撮影:光と暗闇での階級表現
物語の中で、半地下にいる時には全体的に暗く、どんよりとした映像で描かれています。対照的に、パク家に入ると映像に光が差し込み、明るい映像に変化します。映像に光の強弱を持たせることで、半地下と大豪邸の格差を浮き彫りにするだけでなく、「希望」と「絶望」の象徴にもなっています。
撮影:地下の入り口の暗闇と不気味さ
地下の入り口が暗闇となっていて、登場人物がそこに入るとまるで消えてしまうように演出されています。元家政婦のレインコートやチュンスクが黒いカーディガンを羽織ることによって、地下に消えていくように見せる演出も非常に効果的です。地下に何者かが存在している不気味さを際立たせています。
感想
この映画はディティールにこだわって作られている作品です。
テーマや伏線探し、登場人物の感情の変化、構図づくり、音楽と、見るポイントをちょっとづつ変えていくと、何度でも新鮮な感動を楽しめる作品となっています。カンヌ国際映画祭では、最高賞であるパルムドールを受賞しており、世界的に有名な作品です。
この素晴らしい作品を、映画館のスクリーンで拝めたことに感謝します。