動物飼育班、レクに参加させて頂きました。加藤さんが仰る『滝壺が目の前』という言葉。いつまで経っても本気にならない自分、人に対して、



どんな流れで外圧がかかるのか。やはり結局、『自分は大丈夫なんだ』という感覚を持ってしまっています。実際には何一つ、全く大丈夫ではない。のび太が今日や明日に死んだとして、何の不思議があるでしょうか。



加藤さんの仰ることを守らないと、死ぬ。恐怖すらも長続きせずその場、その時に限り。自分以外の他者の場合はさらに薄まる臨場感。今まで『死ぬのが怖い』と感じてきたのだと思っていました。



しかしとんだ思い違いで、実際は怖くもなんともない。『恐怖』すらもまともにはしておらず、まして死の臨場感など皆無であるというのが、自分の現在の状態なのです。



自分は死なないと気づかないどころか、死んでも何も気づかないのでは。恐怖することすらまともにできないのだから。『大丈夫』という何の根拠もない感覚が前提なのだから、




そもそも恐怖などしていないのです。自分の感じている、いわゆる恐怖心というのは実際には『自分は大丈夫』という感覚に過ぎない。もの凄い大嘘を、自分に対してついている状態。



実際には何も大丈夫ではない。まともな恐怖心など、感じたいとは思っていない。なぜなら自分に負荷がかかることだから。それは不快なことだから。真理はシンプルなものだと加藤さんはいつもお話されています。



怖い、とはどういうことか、実は自分はひとつも実感なんてしていない。加藤さんが『なぁ?』と自分に、皆に向けて仰る際、↑のように脳裏に浮かびました。



本当に、いったい何が『自分は大丈夫』なのでしょうか。まともに恐怖を実感することすら、できていないというのに。



加藤さん、ありがとうございます。



スタッフTさん、アライブさん、やもめさんありがとうございます。


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