ブログネタ:人の目を気にしてできないことは?
参加中
ブログネタ:人の目を気にしてできないことは?
参加中私は「懐かしい」という言葉が好きだ。
好きだったので、高校の頃に、電子辞書で「懐かしいって英語でなんて言うんだろう」と調べてみたことがある。
そうしたらば、何だかしっくりこない語が出てきて、なんだかすっとしないというか
「英語は、あの懐かしい!っていう感じが表現できないみたいだ。つまんない言葉だな」
と思ってしまった。
そんなことを思いつつ、近年また「懐かしい 英語」とかでググってみたらば、
似たようなことを考えている人の記事があった。
引用してみよう。
「懐かしい」 という英語がない
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/04/post_e718.html
英語には 「懐かしい」 とう言葉にぴったりと対応する単語がない。英語だけでなく、欧米語全般にもいえることだそうだ。
例えば、「○○が懐かしい」 とか、「○○を懐かしく思い出した」 とかいった日本語を英訳する場合は、いろいろな言い換えをして、できるだけ近い感慨を表現することになる。
じゃあ、英語には 「懐かしい」 を一言で表現できる単語がないから不便かといえば、そうでもない。不便なのは、「懐かしい」 という単語を含む日本語を英訳するときだけで、初めから英語で思考すると、不思議なことに日本的な 「懐かしい」 という感覚そのものが生じない。
つまり、初めから英語の文脈の中にいると、「懐かしい」 に相当する単語がなくてもぜんぜん不便じゃない。そういう感慨自体がわかないからだ。つまり、「懐かしい」 という言葉は、日本人特有のメンタリティに深く関わっているもののようなのだ。
「マイクの世界」 というサイトに、「なつかしいって英語で何て言う? 」 というページがある。このページでは、一般的に 「懐かしい」 に一番近い表現として、"brings back memories" という言い回しが紹介されている。
だが、この言い回しを日本語に直訳すると 「思い出を呼び戻す」 ということだ。「懐かしい」 に比較すると、ちょっと即物的な感じは否めない。「お懐かしゅうございます」 なんていうぐっとくるような思いは、表現しきれないだろう。
同窓会などで昔話に花が咲いた時など、「ああ、あの頃が懐かしいなあ」 という場合は、英語では "We yearn after those old days." が一番近いだろうと書かれている。なるほど、そうかもしれないと思う。それでも、どうも 「懐かしい」 という 「手の届かない感傷」 は表現しきれない気がする。
これに関しては、このサイトの筆者も 「ただ筆者の体験では昔話がでてもこのような言い方はでてこないですね。もっと具体的なんですね」 と注釈を入れている。
確かに、「こんなことがあった、あんなことがあった」 という具体的な昔話に花が咲いても、それらは個別論であって、それらをふんわりと、しかも切実に包括する感傷として、ことさらに 「懐かしい」 なんていう必要は、欧米的メンタリティにはないのだろう。
また、思い出の品や写真などが出てきたときに、「わーっ、これ、なつかしいなぁ…」 「ほんとだ」 といった会話は、次のようになるそうだ。
"Wow, this brings back old memories."
"Yes, it certainly does."
直訳すれば、「わぁ、これ、昔の思い出を呼び戻してくれる」 「確かにね」 というようなことになる。これもまた、日本人の感覚からすると即物的に過ぎるような気がするのである。
基本的な発想の違いとして、「懐かしい」 というのは、自分の方が昔の思い出の中に溶け込む感覚で、英語的表現は、思い出の方が今ある自分にやってくるというニュアンスだ。どうやら、「自我」 の捉え方に違いがありそうな気がする。日本人の 「懐かしい」 という感情は、自我を超えてしまっているようなのだ。
一方で、英語にあって日本語で表現しきれないのは、"miss" という動詞を使った言い方である。
別れの場面で、"I miss you." と言えば、「私はあなたを失う」 という単純なことを言っているのではなく、「あなたがいなくなると、どんなにさみしいだろう」 というような、万感の思いを込めているのである。
「懐かしい」 と "miss" は、日本と欧米とのメンタリティの違いをものすごく端的に物語る言葉のようなのだ。
引用おわり
興味深いのは、最初から英語で考えると、日本的な「懐かしい」という感情そのものが出てこないということ。
感情が出てこないのなら、それを表現する言葉もあるわけないな。
違う言語体系のなかで発想をもつだけで、同じ人間からでも出てくる感情が違ってくるというのは不思議だ。
やっぱり言語は思考を規定するっていうあれは本当なんだな。
それにしても、英語は、具体的すぎちゃうんだよな。誤解が少なくていいことはいいけど、味わいに欠ける。
ただ、もやもやとした言葉にならないものをあまり含まないから、
もしかしたら英語で考えたほうが日本語で考えるよりも、正体不明のことに悩まなくなりそうだ。
あと、最近やっている韓国語ではどうかということで調べてみたら、留学生の人のエッセイがあった。
またちょっと引用してみよう。
「多情な私たちが、懐かしい。」
http://www.ryu-bun.org/lib/prize05/story7.html
日韓の言葉の違いに関して、もうひとつ説明したい言葉がある。日本語の「懐かしい」と韓国語の「グリップダ」である。もちろん辞書には同じ意味になっている。だが、日本に留学している韓国人として、この二つの言葉から感じる深みの違いは大きい。日本語を外国語として習得している自分としての「懐かしい」は、学生たちが、昔自分たちが見ていたアニメや漫画の話が話題になったとき出てくる言葉としての印象が強い。「昔、そういうこともあったね」といった程度のニュアンスである。もちろんより深い意味を持っているはずの「懐かしい」だが、勉強不足のせいかあるいは周りにそこまで切なく懐かしむものを持っている日本人が少ないせいか、この日本語から「グリップダ」のような切なさを感じることはできない。韓国語だと子供のころ見ていたアニメなどに「グリップダ」という言葉を使うことはできない。
韓国のグリップダといえるものはやはり故郷や人である。カナダで留学をしている小学校時代以来の韓国人の友達に「グリップダ」を聞いて思い出すものは何なのかを聞いてみたところ、小学生の頃歩いていた故郷の通学路と答えた。
情が染み込んでしまったものである、韓国人が「グリップダ」と思うものは。引き裂かれたしまった国であるため戻ることができなくなった故郷、経済成長に伴い田舎から都会には出てきたものの厳しい現実のため帰れない故郷。冬のソナタではないが、昔亡くしてしまった、愛した人。これらのものが、ハン(恨)がこもってしまうほどグリウン(グリップダの連体形)ものである。
韓国のハンは晴らすものではない。結ぶものである。ずっと積もっていつの間にか実のように結ばれてしまうものである。日本語のウラミには人間に対する憎悪のニュアンスがある。しかし、韓国のハンは人間に対して使う言葉ではない。ある日本人記者の説明を引用すると、このハンは
「自分がいるべき場所、あこがれている場所にいることができない、その無念さや悲しみ、そういうものが歴史的に積もっていく、あるいは自分の人生の中で積もっていく、そういう感情がハンなのです」
とのことである。ハンは場所に限るものではない。自分と居合わせるべきもの、情を交わすべきウリの中にいるはずのものだが、理不尽な理由でなくなってしまったものに対する無念さである。それがまさにグリウンものである。時には身に染み込み、骨まで染み込んでしまう程グリウンものでもある。だが、敢えて取りに行ったりしない。そうすることすらできない。ただ待つだけ、ハンが結ばれてしまう程グリップダと思い続けるだけなのである。
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引用おわり
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韓国語でいう懐かしさは、日本の「わぁ、このアニメ懐かしい!」という軽いレベルのものではないようだ。
(韓国人なら「このアニメ面白かったよねー、好きだったなー」とかいう言い方をするのかな)
意味の種類としては英語のmissに似てるけど、もっと深くて切ない。
こういう切なさやどうにもならなさは、生きていればそれなりにみんな体験するだろう。
そのとき、「グリップダ」という言葉が手元にあることは、自分のその慕情を表現するのに不自由しない。
俺はまだこの言葉を聞いたことがないが、いつか韓国人が目の前で
「アー、チンッチャ、グリップダー!」
と言うとき、俺はきっと彼か彼女の表情を見ながらその想いの深さを共有できる気がする。