今までぼかして書いていた母とのこと。

自分の気持ちが変化し始めた今。


タイミングがきたのかもしれないと

感じたので


長くなるけれど書きます。





母が車の免許返納をしたのが

3月末。


実家のお風呂は昔ながらの

タイル貼りで冷たく、浴槽も深くて

入りたくないとの事で


3年前に父が亡くなってから

母は車で近くの天然温泉に通っていました。


それが免許返納をしたことで

行けなくなり

平日数回は姉が、日曜には私が、

連れて行くことになりました。


距離をとっていた母と

週1で会うという環境。


そして1ヶ月たちました。


(天然温泉の駐車場から

時間が合うと見られる夕日)



(昨日は帰りにもまだ綺麗な空が

見られましたキラキラ)


昔から

気分で怒られたり、

感情的になったり、

近所の人の悪口を言ったり、


なのに外面は良くて

面倒見の良いフリをしている。


そんな母がずっと

好きになれませんでした。


心にバリアを張って

傷つかないようにしていました。

そうやって大人になりました。


それでもバリアを突き破ってくることも

ありました。


父が亡くなる1年程前、

数種類薬を飲んでいたので


父に説明しながらどの薬をいつ飲むのか

私が薬袋に書いているのを見ていた母は、


軽蔑したような表情で

「情けない!」と吐き捨てるように

言ったこと。


父のことを、

認知症が出てきていると

半分バカにしたように言いながら

なのに薬の管理も手伝うことをしなくて

家では飲み忘れや飲み間違いがあったのに。


だから父にわかるようにしていたのに。


その言葉は

父へ向けられたものかもしれないけれど

私の行為に向けても言ったのだと

胸にグサッと刺さりました。




そして

一番悲しく辛かった言葉は…


私がトラウマとして20数年間も

囚われ続け、

「私だけが生きていて良いのか」、

という思いが

常に心の片隅に住み続けることになった

出来事について。


それは

妊娠中悪阻が酷く入院までして

周りの状況も体調もあまりにも辛すぎて


私自身もお腹の子に

酷い言葉を投げつけてしまった。

「あなたさえいなければ…」と。


母親として、人として

絶対に言ってはいけない言葉なのに…

言霊なんて全く知らなかった頃のこと。


そしてその子は流産してしまいました。


罪悪感でいっぱいになり、

取り返しのつかないことをしてしまった、

私のせいでお空へ帰ってしまったのだと

自分を責めて責めて


この子一人だけで帰しては可哀想で

申し訳なくて

私も一緒にいかなければ…

という考えが入院中ずっとグルグルしていた。


その時の母からの言葉は、


「良い風に考えやな。

弱い子が生まれて来たら

親戚みんなにも

迷惑かけるとこやったんやで!」


私を励ますための

言葉だったのかもしれないけれど


その時は

お腹の子の存在そのものを否定するものだと

そして私自身をも否定されたのだと


大きなショックを受けました。


こんな時にも

世間体を気にするのか、


そして

娘のためを思って

私は良い事を言ってやった、と

思っているような母を許せませんでした。


そんな母の前では涙は見せなかったと

記憶しています。



そんな母への気持ちの変化が

今起きています。


長くなったので続きます。