塩で歯を磨く
朝食が終わり、洗面台の鏡に向かい、少年はアルミチューブから練り歯磨きを乗せたナイロンブラシを口に入れた。
その隣で、祖母のシワだらけの手が、そっと陶器の塩壺に伸びた。
「おばあちゃん、また塩?」
祖母は湯呑みで口をゆすいでから、軽く湿らせた人差し指に、粗塩をまぶす。ジャリッという音とともに指を歯茎に押し当て、マッサージするように丁寧に磨き始めた。
「こりゃ、昔からのやり方だよ。あんたらが生まれるずっと前からね。これでないと、なんだか歯が締まらねぇ気がしてねえ」
祖母の口元から、かすかに潮の香りが漂う。江戸から明治に続く習慣だと、母から聞いたことがある。塩には歯を白くする力があって、それに殺菌にもなるんだと。だが、学校では、定期的に歯医者さんが「練り歯磨きで、隅々まで磨きましょう」と指導していた。
少年は祖母の指先をじっと見た。指の腹に食い込んだ塩の粒が、光を浴びてキラキラと輝いている。それはまるで、遠い昔、海岸で拾った小さな貝殻のように見えた。
祖母がゴシゴシと磨き終えて、庭に水を吐き出す。祖母の歯は、少しくすんでいるけれど、その光沢は、練り歯磨きで磨いた少年の歯とは違う、どこか強く、健やかな白さに見えた。
「ほら、お前さんも、やってごらんな」
祖母は空になった塩壺の蓋を閉めながら言った。
「その甘ったるいのもいいけど、たまには海の白で磨くと、背筋が伸びるよ」
少年は自分の歯ブラシを握りしめたまま、その日の朝だけは、いつもの練り歯磨きを使うのをやめた。
祖母が立ち去った後の洗面台には、小さな塩の結晶が、ひと粒だけ残っていた。それは、祖母の古い習慣と、新しい時代に生きる自分とを、静かに繋いでいるように思えた。
