1)2012年のロンドンオリンピックは、単なるスポーツの祭典ではなく、1980年代から進められてきたイーストロンドンの都市再生の象徴である。この再開発は、脱工業化時代のモデルケースとして、金融や商業といった新しい産業を導入し、都市のあり方を変えていった。
この文脈で重要なのが、広域的な地理概念である「イーストロンドン」と、歴史的に貧困地区だった「イーストエンド」という二つの言葉の違いである。イーストロンドンが大規模な再開発で生まれ変わっていく一方、戦後長らく社会的周縁とされてきたイーストエンドの日常を、カラー写真で鮮やかに記録し続けたのが、アマチュア写真家デビッド・グラニック(David Granick)である。
2)デビッド・グラニックとは?
1912年にイーストエンドで生まれたグラニックは、生涯をこの地で過ごし、イースト・ロンドン歴史協会のメンバーとして活動した。彼は当時のアマチュア写真家としては珍しく、コダクローム・スライドを用いてカラー写真を撮り続け、移りゆく街の様子やそこに暮らす人々の姿を克明に記録した。しかし、彼の死後、その膨大な写真コレクションは長い間、世に出ることなく埋もれていた。
3)眠っていた街の記憶が蘇るまで
グラニックが亡くなった1980年、彼のスライドはロンドンのタワーハムレット地域史図書館に寄贈された。しかし、その記録が再び注目されるきっかけとなったのは、それから約30年後のことである。図書館のボランティアたちがスライドのデジタル化を始め、数枚をSNSに投稿したことで、地元の写真家クリス・ドーリー=ブラウンの目に留まった。
グラニックの写真の質の高さに魅了されたドーリー=ブラウンは、自ら写真を修復・再デジタル化し、2018年に写真集『The East End in Colour: 1960-1980』として出版した。この写真集は、急速に変貌するロンドンの歴史を知る上で、極めて重要な資料となった。
4)デビッド・グラニックの写真が今、再評価される理由
ドーリー=ブラウンは、写真集の序文で「グラニックのイーストエンドは**“過渡期”**にあった」と述べている。グラニックが切り取ったのは、港湾や重工業が姿を消し、ユダヤ人コミュニティが発展的に移転し、ベンガル人コミュニティが形成される前の、まさに変わりゆく街の最後の姿である。
彼の写真は、第二次世界大戦で受けた傷跡からの復興や、ヴィクトリア朝時代のテラスハウスが高層住宅に置き換えられていく当時の住宅事情をリアルに映し出している。これは単なるノスタルジーではなく、ジェントリフィケーションが進行する以前の、ありのままのイーストロンドンの姿を記録した貴重な歴史資料である。
今、グラニックの写真が再び注目されているのは、急速に姿を変えるロンドンにおいて、かつての姿を記憶し直す必要性が高まっているからである。カラーで記録された1960年代から80年代のイーストエンドの写真は、私たちの都市がどこから来て、どこへ向かっているのかを考える上で、重要な示唆を与えてくれるだろう。



