江戸時代末期の北海道のアイヌの女性。 

西洋人的な顔立ちだ。

それは、文化はいつも、混沌と混在化して来たからだろう。

アイヌ人がいつどこからきてどんな隣人と混血を重ねたか良くわかっていない。

曖昧化されているともいわれる。

日本語文字の使用を禁止されていた。そして、畑を耕して穀物を育てることも禁止されていた。

アイヌの発生から、混在されたといえども、アイヌ人には蒙古班は半分以上の人に出なかったといわれる。

 

 

Kunyu Wanguo Quantu(クヌユ・ワンゴ・クォンタウ)-「世界の無数の国の地図」

それは、イエズス会の地図作成(Kunyu Wanguo Quantu 1602年)は、地理的構成の視覚的イメージと共に、創造主の意義として表現した。

江戸幕府が、樹立されたのは1603年という学説から、鑑みても、日本に於けるそのイメージ地図の影響は、伊能忠敬(1745-1818)の日本とその周辺の地図にも、過大な影響を与えているだろう。

このように、時系列に見ても、事象はいつも、混沌と混在化している。

 

そして、アイヌ人々の位置付けは、

明治になって、それ以前の松前藩の迫害以上に、

その北海道や樺太、千島列島全域は、開拓という名の侵略でアイヌ民族は少数派になってしまう。

しかし、その辺りには、多様な解釈もあるようだ。

その1つが、縄文人以降に、日本列島に、アイヌ系の人々は蒙古の辺りからにやっ来たとも言われる学説もある。

 

2008年6月、「アイヌの人々を先住民族として認めること」を政府に求める決議が、衆参両院本会議で全会一致で採択された。

それは、前年の国連総会で先住民族の権利宣言が採択されたことも大きな要因だろう。

ただ、その要因ともなった国連大学のアプローチについても、また、解釈は実に多様だ。

先日、可決されたアイヌ新法(2019.4)のもとに、純粋のアイヌの方々はいないともいわれる。

どうやら、今でも、利権の中に、アイヌの血をひいた人々は翻弄されているようだ。