今朝、瞑想に入る前に、わたしは何も言わなかった。
意図もせず、願いもせず、ただ「浮かんでくるままに任せよう」と決めた。

 

そうしたら、音が響いた。
空間に、“オーム”という音が、
まるで癒しの音楽みたいに柔らかく広がっていた。

 

この“オーム”という音──
それは以前、原初音瞑想でわたしがもらったマントラにもあった音だった。
ずっと心の奥に残っていて、忘れていたわけやないけど、
どこか“しまっていた”音。

 

でも今朝、その音は空間全体を包むように鳴ってた。
音やけど、存在そのもの。
振動やけど、愛のような静けさ。

 

そして、わたしの中に浮かんだ問いがひとつ。

「なぜ、わたしは“拒絶”という体験を学ぼうとしたのか?」

すぐに創造主の答えがあった。

「愛ゆえだ。」

正直、そのときはまだピンとこなかった。
でもしばらくして、静かにわかってきた。

愛と拒絶は、相反するように見えて、
愛の本質を知るためには、拒絶を知る必要があったのだ
と。

 

光と同化した自分の感覚の中で、
わたしは無数の宇宙を見た。
その宇宙のすべてが“オーム”に包まれていて、
“愛に似た音”が響いていた。

 

とても心地よかった。
自分が“光そのもの”になっていて、
何も問いも答えも必要ないような、ただ「おる」感覚。

 

そして、ふっとこう思った。

「何もできない」と思っていたことこそが“嘘”で、
ほんとうは、“なんでもできる”ということが“真実”なんやな。

 

拒絶も、愛の影なんかやない。
愛の本質を映し出す“反射”のようなもんなんや。
痛みが教えてくれるやさしさ、
静けさが教えてくれるぬくもりみたいに──

 

今朝の瞑想でわたしは、
ただのイメージやない、**“記憶のような何か”**を受け取った。

それは、
魂の奥にずっとあったもの。
オームという音が、
わたしに「思い出してええよ」って言うてくれてた。

 

わたしは、音から生まれてきたんやと思う。

拒絶さえも、愛の振動。
そして今も、わたしの中にその音は鳴ってる。

 

「何もできない」んやなくて、
ほんとうは「なんでもできる」存在やった。

今はただ、その音に、もう一度、静かに耳を澄ませてる。