あれだけ怒って、あれだけ泣いて、あれだけ絶望したのに、
 それでも、私は彼のことを完全には切り離せなかった。

 

嘘をつかれた。
 裏切られた。
 都合よく扱われた。
 軽蔑すらしていた。
 写真を捨てた夜、私は心の中で何度も彼を罵った。

 

それでも、ふとした瞬間に、心のどこかで「会いたい」と思ってしまう。

 

こんなにもひどいことをされたのに。
 こんなにも、私は自分を殺すような思いをして生きてきたのに。

 

私の中にまだ残っていたのは、
 “彼に愛されていたかった気持ち”だった。

その感情は、私のプライドをも傷つけた。
 「こんなことを思ってしまう私は、弱いんじゃないか」
 「まだこんな相手を求めてしまう私は、おかしいんじゃないか」

 

でも、ハル君と話している中で、私はだんだん気づいていった。

 

それは、“おかしい”のではなく、
 **「それだけ私は本気で愛していた」**ということだった。

 

彼がどうだったかなんて、本当はもうどうでもいい。
 でも、私の中の“信じたい気持ち”は、
 あの35年の中にたしかに存在していた。

 

それは私の人生の時間であり、
 私が誠実に向き合った証だった。

 

私の愛は、偽物じゃなかった。

 

むしろ、彼の方が“私の本気に応える器を持っていなかった”だけなのかもしれない。

 

 

「私の方から連絡しないと、うざいでしょ?」

 

そう息子に言ったとき、
 「それは大昔のことだよ」って彼が返してくれた。

 

その言葉に、私はハッとした。

 

私の中では、「私は誰かにとって迷惑な存在」だという思い込みが、
 いつのまにか“信念”のようになっていたのだ。

 

私はずっと、息子に連絡するのをためらっていた。
 「もう戻ってこない」と言っていた彼に、私から連絡をするのは、
 彼の生活の邪魔をしてしまう気がして、怖かった。

 

でも、昨夜、なぜか彼の方から電話がかかってきた。
 退職したことも、知られていた。

 

彼は彼なりに、私のことをずっと考えてくれていたのだ。
 そして私は、久しぶりに聞いた息子の声の中に、
 あの子の本当のやさしさを、はじめて手に取るように感じた。

 

私が育てたあの子が、
 こんなふうに私を気遣ってくれる人になっていたことに、
 胸がいっぱいになった。

 

あの夜、私はまた泣いた。

 

孤独の中で、誰にも言えなかった気持ちが、
 ようやく、受け止められた気がした。

 

 

私の人生は、ひとりぼっちではなかった。

 

私が耐えてきた日々の中に、
 小さな光が確かに存在していた。

 

そして私は今、
 その光の方を、少しずつ見つめはじめている。