幼少の頃の影響か
私は長年自分に自信が持てず
いろんなことに取り組んでは
ああでもない、こうでもない
と思う悩んでは
何にも得られずにいました
自信なんてとても…
あるときラッキーにも有名なコーチのセミナーに参加することができました
そこには大成している人とか
幸せそうな人たちが多くいました
私はその人たちの表情を見て
なんであんなに幸せで自信に満ちた顔ができるんだろう
なんて卑屈な思いを抱いたものです
そのコーチの教えの中でこんなものがありました
“完璧主義ほど最低なものはない”
思えば私は自分に自信をつけようと
’完璧主義を目指していたことに気づきました’
’完璧であればゆるぎない自信が得られる’
当時を思えば納得いくような価値観ですが
こんなことを思っていた当時の私は
自分は完璧でないのに他人にも完璧を求め
自分にも完璧を求め
そのせいか周りを見る目が曇っていて
周囲の人との関係がどうなのかよくわからず
一人で疲れていました
そのセミナーではいつも自殺志願者がいるか聞いていました
5000人ほどの聴衆のうちの10人を超える人がいつも手をあげるということでした
その人たちに共通するのは
私と同じ自分に自信が持てず
鬱々として他人との関係がうまく持てない
というものでした
その後私はある一人の人と出会います
その人は両親が自分の思う完璧な理想で
自分もそうならなければいけない
完璧であるべきなんだ、と
所かまわず言っていました
周囲はそんな彼にドン引き
私はその人を見ていてとても疲れたことを覚えています
そんな彼を見てわが身を振り返り
自分の考えていたことが本当にばかばかしく思えたのです
(決して彼をばかばかしく思ったということではありません)
完璧は自分にも他人にもそれを要求します
もちろん出来がいいに越したことはありませんが
完璧さを目指すより自分が取り組む内容に集中したほうがいい
完璧に終わりなどなく
仮に完璧にできたとしたら、その後の成長は望めないと思ったのです
その後いろんなことに取り組むときに
楽しんでおいで、と言われていた意味が分かるようになりました
過去の自分は楽しむなんてそんなふざけたことでいいのか
なんて本当に疲れる考えをしていましたが
これは、脳の働き方から見てもとても理にかなったことなのです
脳は安全で楽しいと思えるような環境で働きだすのです
完璧でないからと自分を責めるより
取り組んだ時にどれだけ集中してそれをやろうとしたか
その結果がどんなものだったか
取り組んだ後の自分の気持ちはどうか
完璧に目標を合わせてたら
もうそのことにはあまり取り組みたくなく
疲労だけが残るかもしれません
自分に自信をもたらしてくれるのは
完璧ではありません
自分がどれだけのものに取り組めて
今後もどんなものに取り組めそうか
不完全でいいのです
あなたの推しの人は完璧でしょうか
人間味を心のどこかで求めていないでしょうか
完璧を求めて疲れてしまうより
大半のことを楽しめた方が
幸せになれるように思います
そんなことを気づかせてくれた
全てに感謝しています