褒めないメリットを考えてみた。

「私、褒められると伸びるタイプなんですよ〜」
そんな言葉を聞くこと、けっこう多いなぁと思います。

 

 

 

 

近年は「褒めて育てる」が主流ですし、「良いところを伸ばす」という考えにも全く異論はないです。
もちろん、褒め方のバランスは大事だと思いますが。

 

 

今回は、体操競技の選手として過ごした10代のころ、ほとんど褒められなかった私が感じた、
「褒められないメリット」について考えてみたいと思います。

 

 

 昭和のスポーツは根性の時代

 

当時のスポーツ界はとにかく「根性・我慢・長時間練習」。
今と比べると、かなり非科学的な時代でした。

 

 

 

私がやっていた体操競技は、外見にもとても厳しく、
「太っているのはNG」という雰囲気が当たり前。

 

 

 

毎日体重をチェックされ、100gでも増えていると怒られたり、チクチク言われたり。

 

 

 

競技の採点も、当時は「満点からの減点方式」。
今は加点方式に変わりましたが、当時はとにかく“減点されないように”がすべてでした。

 

 

 

そんな競技環境もあってか、コーチたちはまったく褒めない指導
基本はダメ出しオンリー。

 

 

 

もちろん、ダメ出しにも根拠や理由があれば納得できるのですが、
中には理不尽なことも多かったです。

 

 

 

私は体操選手としては少しぽっちゃり体型だったので、体重のことでもよく怒られました。

 

 

 

名前で呼ばれないで、「そこのブタ!」なんて呼ばれたこともあります。

無視していたら、逆にめちゃ怒らたんです(笑)

 

 

 

 それでも「褒められない」からこそ得たこと

 

そんな環境の中で、「褒められないことにも、何か意味があるのかな?」と
今になって思うことがあります。

 

 

まず、ダメ出しが多すぎると、そのうち雑音のように聞こえてくるんです。
いちいち何を言われても気にならなくなって、
「褒められよう」なんて思わなくなる。

 

 

 

その結果、自分の気持ちが自由でいられるようになりました。
つまり、人からの承認欲求に縛られなくなるんです。

 

 

 

人によっては、褒められすぎると「次もちゃんと褒められるように頑張らなきゃ」と思って、
かえって自分を苦しめてしまうこともありますよね。

 

 

 

 一言だけ覚えている“褒め言葉”

 

 

そしてもう一つ、意外なメリットがあります。

それは、「褒められる機会が少ないと、その一言が強く記憶に残るということ。

 

 

 

10代のある日、コーチがふとこう言ったんです。

「あんた、よく見ると可愛い顔してるのね。」

 

 

 

あまりの意外さに耳を疑いました(笑)

 

 

 

でも、その一言はいまだに鮮明に覚えています。

(ちっとも嬉しくなかったけれど)

 

 

 

日常的に褒められていたら、きっとこんなに印象に残らなかったでしょう。
褒められないからこそ、一言が心に深く刻まれる——

 

 

 

これも、ある意味メリットなのかもしれません。

 

 

 

 褒めることの本当の意味

 

こうして考えると、「褒められないメリット」はたしかにあります。
でも、やっぱり褒めることにはもっとたくさんのメリットがあると思うんです。

 

 

 

大事なのは、”「褒め言葉+理由」”をセットで伝えること。

 

 

 

「なんかすごいね!」よりも、「ここをこう頑張ったのがすごいね!」の方が、
ずっと心に響きますよね。

 

 

 

もちろん、嘘くさい褒め言葉は逆効果。

 

 

 

私も昭和世代なので、年がら年中人を褒めるタイプではないですが、

 

 

 

「素敵だな」「いいな」と本当に思ったことは、
できるだけ言葉にして伝えるようにしているよ。チョキ

 

 

 

 おわりに

 

 

褒められなかった時代を振り返ると、

あの厳しさの中にも、今の自分の“自由さ”や“強さ”を育ててくれた要素があったのかなと感じます。

 

 

人の心(心理学)にもこの経験から興味を持つようになったしね。

 

 

 

褒めることも、褒められないことも、
どちらも人を成長させるきっかけになるのかもしれませんね。