第4回妄想野球論 起こらなかった奇跡・真のエースとは | 竜之介の妄想野球論

竜之介の妄想野球論

プロ野球(特にドラゴンズ)についての妄想に基づいた野球論を語る事を目的にしてます

2007年11月1日、日本シリーズ第5戦

ドラゴンズとファイターズの2年連続による日本シリーズはその前の92~93年の西武-ヤクルトと同じように前年敗れたドラゴンズがリベンジを果たす形で53年ぶりの日本一、更に山井-岩瀬による日本プロ野球初となるポストシーズンゲームでの継投による完全試合(参考記録)という最高の勝ち方を収めた

この日ファイターズは第1戦以来、中4日で「エース」のダルビッシュを先発に立て、対するドラゴンズはポストシーズンの登板が無かった山井が9月30日以来、中31日を空けての登板

試合はエースダルビッシュの主導権で進むと思われた矢先の2回、ウッズ・中村紀の連打で作ったチャンスから平田の犠牲フライを山井が守りきる予想外の展開

王手を掛けられた形のファイターズとしては決して落とせない1戦でもあったが、この時のファイターズの空気は決して良いとは言えなかった。監督を勤めていたトレイ・ヒルマンがこのシーズンをもって退団する事が決まっていたからなのだが、退任理由がロイヤルズの監督になる事とあって、選手達から半ば白けた空気になっていたという

そんな中で行なわれたシリーズは前年のシリーズでいいようにされたドラゴンズがクライマックスシリーズを5連勝した勢いそのままに投打ともにファイターズを圧倒、第1戦こそ敗れはしたものの、8回を投げきったエース川上の力投もあり、次戦以降はドラゴンズの打線がファイターズ投手陣を打ち込んだ

この年のファイターズのシリーズ先発投手は第1・5戦がエースダルビッシュ、第2戦がライアン・グリン、第3戦が左のエース武田勝、第4戦が高卒ルーキーながら4勝の吉川であった

相手側の落合監督は第6戦以降の開催があれば危なかったと後に語っているが、これは自分もそう思っていた。おそらく第6戦以降のどちらかで金村が出てくるのでは無いかと考えていたからだ

今回のテーマ、実はこの金村である

金村暁、94年にファイターズからドラフト指名を受け入団、入団後3年間はこれといった成績は残せていなかったが、4年目の98年に最優秀防御率のタイトルを獲得

その後3年間はケガに苦しむ事があったものの、02年から4年連続で2ケタ勝利を記録、ファイターズのエースの名を欲しいものにする

そんな金村に悲劇が起きたのは06年の事である。この年も開幕投手を務めた金村だが、登板4試合目の4月16日の福岡ソフトバンクホークス戦、フリオ・ズレータに与えた死球により、ズレータから暴行を受けてしまった。この試合こそ6回無失点で勝利投手(2勝目)を挙げたものの、1ヶ月の離脱を強いられてる状態になってしまう。交流戦突入前の楽天戦で復帰を果たすも、この登板時の影響もあってか、9勝6敗、防御率4.48の成績に終わり、5年連続の2ケタ勝利を達成する事は出来なかったというのはよくある話

最後の登板となった9月24日のロッテ戦、先発だった金村は立ち上がりから投球が安定せず、5回裏の2死満塁という所で交代を命じられてしまう。ファイターズはこの試合の次はホークスとの2連戦という事もあり、先発ローテの金村に登板機会が与えられる事は無い。金村にしてみれば、5年連続の2ケタ勝利と6年連続の規定投球回へのラストチャンス。試合後金村は激昂した。ただの激昂で収まれば良かったのだが、監督批判という最悪の失態を犯してしまったのだ。

当然、金村には球団からは、「登録抹消」「チーム練習参加の禁止」「罰金200万円」「プレーオフ終了までの出場停止」の処分が言い渡された。プレーオフ終了までという事はヘタすれば金村のシーズン中の登板機会が無くなるも同然であったが、その後のヒルマン監督の寛大なる措置もあり、金村は日本シリーズ第4戦に登板、この一件でエースの座を事実上ダルビッシュに譲ってしまった金村であったが、力投を見せ、勝利投手と日本一に王手を掛けたのであった。

しかし、翌年は開幕から調子が上がらず5勝6敗、防御率4.73の大不振に終わり、クライマックスシリーズ、日本シリーズの登板機会も無かった

とは言え、この年の日本シリーズの投手陣を考えれば、第6戦以降の登板機会が無いわけでは無かった。この年、交流戦でのドラゴンズ戦の登板が無かったのと、前年の日本シリーズで押さえ込んでる事を考えれば、第6戦を中6日でグリンで回し、勝利して迎える第7戦の先発の可能性もあったという事である

ただあくまで仮説と推測にしかならないのだが

その後金村は阪神、独立リーグの信濃グランセローズと渡り歩いて、2011年に引退した。

(完)