「カードキャプターさくら」クリアカード編第6話、第11話と、今回分には第16話もふまえています。
未視聴の方いらっしゃいましたら、申し訳ありません。
『心の歌』②
その日、チアリーディング部の練習が終わった後、さくらと千春、そして山崎と演劇部の奈緒子もともに、明日のコーラス部の合同発表会の舞台となる、講堂に向かった。
今日、コーラス部は講堂で練習していた。小狼も、明日の本番の伴奏に向けて、コーラス部の練習に急遽参加していた。講堂ではまだ、練習が続いているようだった。
「明日が本番なのに、熱心だね。」
山崎が感心したように細い目を一層細くした。
さくらは、小狼に大変なことを強いたのではないだろうかと、少し胸の奥がちくりとしていた。先ほどの状況は、自分が聴きたいというだけで、小狼に強引に引受けさせてしまったも同然だった。それが小狼やコーラス部の人達の負担になっていないかと、今さらながらの心配をしてしまったのだ。
―――けれど、あの時の小狼君…。
「あ、終わったみたい。みんな出て来たよ。」
重厚なつくりの扉があいてコーラス部の面々が出てきた。
友枝中学校には、体育館と別に講堂がある。歴史のある建物で建造後100年以上経っていた。そのため外壁には耐震の強化が施されるなど、補修はされているが、内部は、伝統的なヨーロッパ風の張出しバルコニーがぐるりと囲み、大きな円柱が両脇を固めるように立ち並ぶデザインが、建築当初のままに残されている。作り付けの椅子は、飴色に使い込まれた木製で、アーチ型の格子の窓には、厚めのカットガラスがはめ込まれており、夕陽を受けてきらきらと輝いていた。
それほど広くない舞台の左隅の方に、黒く光るグランドピアノが置かれている。友枝中学校自慢のやはり歴史のあるピアノで、数年前に大きな修理をしたということだった。その修理のおかげか、とても澄んで美しい音色のピアノだと前に知世が言っていたのを、さくらはぼんやりと思い出した。
そのピアノの前に小狼はまだ座っていた。顧問が側に立ち、小狼に話しかけている。小狼は頷きながら、時に鍵盤をたたき、前に立てた楽譜に、何事か書き込んでいた。
その側に知世が立っていたが、さくらたちに気づくと、舞台横の階段にまわり、舞台下でやはり舞台を見つめていた秋穂に声をかけ、二人で近づいてきた。
「大道寺さん、詩之本さん、お疲れ様。李君はまだかかるの?」
山崎が陽気に声をかけた。
知世は舞台を振り返ると、実はと、少し申し訳なさそうに話し出した。
「李君の演奏があんまり素晴らしいので、感激した皆さんが、いっそ全曲の伴奏をお願いしたいということになってしまいまして…。」
「ええ? 今から? 全部?」
さすがにそれは、大変過ぎないだろうかと、山崎がさくらを振り返った。さくらもびっくりしたのか、青ざめて檀上の小狼を見た。
「それで、李君まだ居残り練習?」
「ええ。ただし李君、初見でも見事な演奏で、既に、何度も合せていただいて、もう、充分と私達も先生も思ったのですが…。李君ご自身が、まだご納得いっていないところがあると…。」
「へえ、さすが李君。やっぱりすごい頑張り屋さんだ。」
「先生の忌憚のないご意見を聞きたいと。ただ、ここはもう閉めてしまわないといけませんので…。」
知世がここまで説明したところで、舞台上では小狼がピアノの蓋を閉めて、楽譜を小脇にかかえ、立ち上がった。顧問が小狼に何事か言葉をかけている。小狼は顧問に丁寧に礼をして、舞台から降りてくる。その後に顧問も続いて降りて来ると、集まっている知世達に、朗らかに声をかけた。
「今日はお疲れ様。みんな明日を楽しみにしていてね。李君、今日はありがとう。あなたの演奏、掛け値なしに素晴らしいわ。本当よ。だから今日はもう無理しないでね。何より明日があるのですもの。じゃ、明日、よろしくね。」
生徒達は皆、口々に顧問に下校の挨拶をし、講堂を出た。
全員で校門を出たところで、まず知世が迎えの車に乗り込んだ。
それぞれが家路につき、公園を過ぎた角では、最後に秋穂が迎えにきた海渡と連れ立って帰り、さくらと小狼の二人になった。
当然、小狼が家まで送ると申し出て、申し訳ないと思いつつ頬を染めてさくらもうなずく。
「ありがとう、小狼君、疲れているのに…。」
その後の言葉が続かない。
もっと言いたいことがあったはずなのに…とさくらは一層もどかしい気持ちになるが、どう言葉にしていいかわからない。二人は黙々と歩く。やがてさくらの家の門の前にたどり着いた。
小狼が、さくらに向き直った。
「さくら。前に、小学校の頃に言ってたろう? いつか俺の歌が聴きたいと。だから…今度でいいから、俺の演奏をちゃんと聴いてほしい。歌と違ってしまったけど。」
「え? あ、あの約束! うん、もちろん明日聴きに行くよ。小狼君、覚えていてくれたんだね、ありがとう。明日本当に楽しみ!」
「あ、いや、明日のことじゃなくて…。その、さくらに聴いてほしい曲があるんだ。いつかその内でいいから。」
「私…に?」
小狼はさくらをじっと見て、大きくうなずいた。
「聴衆はさくら一人だ。…その、そんなすごい演奏じゃないと思うけど。俺がさくらに聴いてほしいんだ。クラシックの曲だから、退屈だったり、いやじゃなければだが…。」
さくらは目を大きく見開き、ふるふると首を振る。
うれしい、本当にうれしいとさくらは、涙が出そうだった。
「いやだなんて、そんなこと絶対ないよ。聴きたい!聴かせて!」
「よかった…。どこかピアノを弾けるところ捜さないとな。」
「学校じゃだめなの?」
「二人きりになるのは難しいだろ?まさか学校で私的なことに結界を張るわけに行かないし。今回だっていつの間にか大勢に聴かれてしまっていたからな。誰かに聴かれると恥ずかしいというか…いや、さくらだけに聴いてもらいたいから…。」
小狼がまた真っ赤な顔でしどろもどろになっている。
確かにあの演奏では誰もが聴きたくなってしまうよねと、さくらは苦笑を浮かべた。
でもでも、邪魔されたくないし…でもそんな都合よく、二人きりになれるところなんてあるかなあと…え、今なんと…?
さくらはここまで考えてからはたと気づいた。
「ほえー、二人っきり?」
今さらながらにやはり赤面するさくらであった。
小狼の方は、ぶつぶつと、いっそピアノを買ってマンションに置いておこうか、などとあごに指を添えてつぶやいている。
「あ、あの…ピアノってそんな気軽に買えるもの?」
「いや、それは、えーと、そうだな。でも今後のこともあるし…。ちゃんと試弾もして、いいピアノを見つけないといけないし、簡単じゃないか。」
「はうー、そういうレベルのことじゃないような気がするよう…。」
「と、とにかく、近い内に、俺の演奏を聴いてほしい!」
「うん! うれしい!! 聴かせて!」
「…俺、明日、頑張るよ。俺が…こんな風に、みんなに喜んでもらえるなんて、考えたこともなかった。さくらのおかげだ。」
「違うよ、小狼君がすごいんだよ。私何にも…。」
「いや、さくらのおかげだ。さくらが俺を引き上げてくれたから。闇ににとらわれて抜け出せなくなっていた俺を、導いてくれたからだ。」
「え…?」
「…彼方の空にかかり、導きとなる光…星の輝き。さくらはいつもその光で俺を導いてくれる。お前は、お前の信じる道を進めばいい。お前が進みたい先にお前の未来がきっとある。…だから、大丈夫だ。」
小狼の顔が、陰り始めた夕陽の影に入った。
「小狼君は?小狼君の未来は?…ちゃんと、ずっと一緒だよ?」
「…さくら。…もちろん、俺の一番大事な人はさくらだ。これからもずっとさくらが一番だ。」
「うん!小狼君!」
見つめ合う二人。
沈み込もうという夕陽の残照に照らされ、一幅の絵のようだ。
そして…。
「お前ら、家の前で何やってやがる!」
「桃矢、そんな怒鳴らなくても。」
「お、お兄ちゃん! 雪兎さん!」
やはりというか、後ろには、ちょうど帰宅してきた兄と雪兎が立っていた。すぐに小狼は姿勢を正すと、きれいな礼の姿勢をとった。
「このような場所で話しこんでしまい、申し訳ございません。」
「わかりゃ、いいんだ。まあ、お前も気を付けて帰れよ。」
桃矢は、じっと小狼を見ると、桃矢としては精いっぱいに優しい言葉をかけた。
小狼も、桃矢をまっすぐ見上げ、ありがとうございますと頭をさげる。
「小狼君! 私、明日は一番前で一所懸命聴くよ! また明日ね!」
「ああ、ありがとう。では、失礼します。」
小狼も笑顔で、さくらと桃矢、雪兎に一礼すると、踵を返した。
聴くって何のことだと、訝しげな顔の桃矢が、さくらにたずねる。
「明日のコーラス部の発表会ね、小狼君が、ピアノ伴奏することになったんだよ! 小狼君の伴奏すごく素敵なんだ。」
「へえ、すごいね、さすが小狼君だね。」
にこにこと雪兎。
「ああ? あのガキ、ピアノまで弾くってのか?…まったくどこまで出来過ぎのボンボンなんだか…。」
と、不機嫌そうなのは桃矢。
「お兄ちゃん!」
桃矢は、しかし、ふいにまじめな顔つきにもどると、自分をにらんでいるさくらの顔を見た。
「さくら、あいつ…風邪でもひいてんのか?」
「え? 風邪は、大丈夫と思うけど、お兄ちゃん、小狼君のこと心配してくれているの?」
「いや…あ、顔赤かったかなと、いや夕陽のせいだな、すまん、なんでもない。」
桃矢はそれきり、何も言わなかった。
「お兄ちゃん…?」
これは、まさしくこの兄が小狼のことを心配してくれているということではないか。 さくらが驚いて兄を見る。
一方で雪兎は小狼の去って行った方角を見て、一瞬、考え込むような目をした。
「ふん、まあ、明日はバイトも休みだ。ゆき、俺たちも知世ちゃんの発表会、聴きに行こうぜ。」
「うん、いいね。」
雪兎がにっこりとほほ笑んでさくらを見た。
「さくらちゃん、明日、楽しみだね。」
「はい!」
さくらの頬も折からの夕陽を浴び、真っ赤に染まっている。もちろん夕陽だけではないし、ましてや風邪のせいでは、さらにないのであるが。
そしてさくらは、まだほのかに青さの残る空を見上げた。
苺鈴の声が聞こえた気がする。
(あなたは先に自分が幸せになって、小狼の目を覚ましてあげて。)
―――苺鈴ちゃん。苺鈴ちゃんの言う事少しわかってきた気がするよ。私がどうすればいいのか。でも、私が一番悲しいのもつらいのも、そして本当にうれしくなるのも、いつも小狼君の事。会えなかった間、そして再会してからも。私の心は小狼君でいっぱい。わたしの幸せは小狼君抜きにはない。だから、小狼君と一緒に幸せになる。ね、苺鈴ちゃんの言ってくれたこと、私、少しはできているよね!
「おい、さくら、夕飯の準備! 今日はお前も手伝え! ユキも食べるからな!」
「はーい、お兄ちゃん!」
満面の笑みでさくらは返事をすると、急いで家の中に入って行った。
(2018/5/1)
第16話の苺鈴の言葉、お願いのシーン。いい大人が涙ぐんで視ておりました。
人を愛おしみ、人と人の関係性を大切に描いてくれる。
本当に素敵な作品ですね。
本編でさくらちゃんが苺鈴ちゃんの言葉をどう実践していくのか。小狼君は、苺鈴の言葉に反論はしていませんけれど。
一途で頭の固い小狼君だからなあと。
と、考えながら書いていました。
さくらちゃんにその内起るという事態。
桃矢お兄ちゃんになら、犠牲なく対処できるから、あんなに落ち着いているの?
だったら小狼君は?
前シリーズでは、桃矢お兄ちゃんがすごい犠牲を払って、魔力をユエさんに渡しましたが。
今回はいかに?