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そぴあのブログ

今はカードキャプターさくらにハマり中です。
もちろんケヴィン・レイノルズ選手とニコライ・ホジャイノフ氏が好きです。
レイノルズ選手は引退されましたが、ホジャイノフ氏についての考察や感想も続けます。

アレクサンドル・ヴェデルニコフ氏は、ロシア、モスクワ出身の指揮者です。

3月に、クラシック音楽館という番組の中で、N饗定期演奏会の模様が放送されていました。
チャイコフスキーの曲が2曲あったので、録画して、何週間か後に視聴。
曲目はグラズノフ作曲「演奏会用ワルツ第一番」、チャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」と、バレエ音楽「眠れる森の美女」〈抜粋〉です。
当然に演奏はN響。この時の指揮者が、ヴェデルニコフ氏でした。
何もかもを見通していそうな、真ん丸な鋭い目と、それに反して何だかふくよかな体つき…ロシアの方に多い…、そして指揮する時の、独特な仕草で、以前に見た方であるのはすぐにわかりました。
西村朗氏解説のN響アワーという番組の中で、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲が紹介された時の指揮者だった方でした。
この「ルスラン」は、とても軽快で勢いのある、“ノリのいい音楽”といった表現がぴったりの曲です。ちょっとN響のイメージとは違う曲かもと思って、この時は、何気なく聴きはじめたのですが。
見事なノリノリの、演奏でした。テンポがすごくいい。早すぎず、遅すぎず。にぎやかに鳴る各楽器の音がそれぞれ鮮やかに聞こえてきます。とてもにぎやかなのに、どたばたした感じがまったくない。すっきりとしていて、品があるというか。毛先の整った、毛筆の筆先が、水を吸ってすっとのびるような、そんな、柔らかみと、同時に鋭さを感じる演奏でした。
ホールや、録音の環境の問題も大きいかも知れません。ホールは、NHKホールではなく、サントリーホールで、2011年11月の録音でした。
こんなに素敵な指揮をされている方だったのに、その後、この時の指揮者の方をお見かけすることなく…。
冒頭、指揮者の紹介とインタビューで、ああ「ルスラン」の方だ!と、何か懐かしい友人に再会したような気分になっていました。
そして、始まった演奏…。録画ですので、気になる「眠れる森の美女」から。

もう、何と言えばいいのでしょう! そこには、聴きたい音楽の全てがありました。
こんな素敵な、「眠れる森の美女」聴いたことがない!

リヒテルは、チャイコフスキーのバレエ音楽の中で「眠れる森の美女」が最高傑作だと言っていたようです(『リヒテルは語る』ユーリー・ボリソフ)。そういえばそうかもくらいに読んでいたのですが、このヴェデルニコフ氏の指揮する「眠れる森の美女」を聴いて、間違いなく、もっとも美しい音楽だと、何故、今まで気付かなかったのだろうと、思いました(もちろん、「白鳥の湖」も「くるみ割り人形」も、私にとっては、同じくそれぞれに、最高ですけど(笑))。

選曲は、氏ご自身によるもので、8曲が演奏されました。

1曲目  序奏       (原典序奏)
2曲目  行進曲      (原典第1曲~プロローグ)
3曲目  パ・ド・シスから (原典第3曲~プロローグ)一部
4曲目  ワルツ      (原典第6曲~第1幕)
5曲目  終曲       (原典第4曲~プロローグ)
6曲目  情景       (原典第5曲~第1幕)一部
7曲目  間奏曲      (原典第18曲~第2幕)
8曲目  終曲と大詰め   (原典第29曲~第3幕)


序奏から、行進曲。原典第2曲をとばして、第3曲のパ・ド・シス(6人の妖精の踊り)から、最初の、(a)導入の部分。ですが、この曲、(b)アダジオに変わるところで終わってしまいます。
ちょうど(b)アダジオの最初の和音が鳴るべきタイミングで、第1幕の、あの有名なワルツに跳ぶのです。
この変わり目が見事で、最初からこういう曲だったのではと錯覚するほど。(b)アダジオの出だしの和音と、ワルツの出だしの和音がそっくり…だったのですね。

このワルツの後に、(原典の曲順では、ワルツの前にある)プロローグ第4曲の終曲です。原典からすると、曲順が逆になっていることになります。この終曲では、序奏にあったカラボスのモチーフと、リラの精のモチーフが交互に現れ、カラボスとリラの精が、姫に贈り物をする様子が描かれます。カラボスの贈り物は、死という呪い、それを打ち消すべくリラの精が贈ったのが、100年の眠り。

続く曲は、原典の曲順通り、原典第5曲、第1幕の情景。
ところが、この曲も、半分くらいまでで終わります。舞台ですと、村娘たちが、禁止されている紡錘を持っていたために、騒ぎになるところまで、というところでしょうか。王や王妃が登場する優雅な音楽がはじまるはずのところで、原典第18曲、第2幕第1場と第2場をつなぐ、間奏曲が始まります。

この間奏曲には、まず、長いヴァイオリンの独奏部があります。
初演時、名ヴァイオリニスト、レオポルト・アウエルが演奏するはずだった、難しい曲ですが、結局初演時には演奏されなかったそうです。現在でも、私の知る限りでは、どのプロダクションでも削除されたままのようです。

そして最後が、原典でも最後の曲となる、終曲と大詰め(アポテオーズ)。


…聴き終わって、もう、何と言うか、ただ呆然としていました。

この選曲、この演奏!

どうして、私が、「眠れる森の美女」で聴きたいと思っていた曲が、こうも見事に集まっているのでしょう。

そして何より、何と美しく、心地よい演奏なのでしょう。
上流の渓谷を流れる川が、陽の光に飛沫をきらめかせながら、時に、瀬を速め、時に、深い淵をたゆとい、ただただ、自然のままに流れていくように。
軽やかでありながら、重厚。素朴で単純に美しいのに、華やかで、なめらかな響き。

それにしても「ルスラン」の時の演奏といい、N饗が、こんなに、つややかで輝かしい音を出すなんて。…この点は、テレビや、CDを通した演奏しか知らないので、あくまで、今までの電子媒体を通じての比較でしかありませんが。とはいえ、同条件下ですから、やはり違うのだと思います。そして、この場合、違うのは、指揮者の方。
今回の曲の選び方といい、何より、その演奏といい――

音が…すみずみまで、コントロールされているように感じました。とはいうものの、全然、厳格な感じなどしないのですけれど。
まるで、美しい、繊細なお城が、設計図面通りに仕上がっていくようでした。
あいまいさや、いい加減さがありません。
演奏中、ヴェデルニコフ氏は、絶え間なく指示を出し続けます。独特の身振り手振りを交えて、とてもとても一所懸命に。すると、楽団員の方々が、その指示通りに演奏されます、やっぱり、とても、一所懸命に。

他の指揮者の方の時の演奏がいい加減だ、などというつもりは、毛頭ありません。
ただ、まるで、少年や、少女が、何かに夢中になっているような、不思議なひたむきさが伝わってきたのです。幼い子どもが、プレゼントのおもちゃにわくわくと目を輝かせて遊ぶように、クララがくるみ割り人形を、クリスマスプレゼントの山の中に見つけた時のように。何より、ヴェデルニコフ氏自身が、そんなひたむきで、純粋な子どものように見えました。音楽に敬意を持って、ただただ音楽に向かい、音楽だけ見て、音楽のことだけ考えておられる方なのだと、思いました。

もっと、もっと、ヴェデルニコフ氏の指揮する音楽が聴きたいです。テレビでなく、ホールで聴きたいし、その指揮される様子もじっくりと拝見したいものです。

今のところ、来日予定が、見つからないのですが…。どうか、早く、また日本に、来てくださいますように…。