そぴあのブログ -13ページ目

そぴあのブログ

今はカードキャプターさくらにハマり中です。
もちろんケヴィン・レイノルズ選手とニコライ・ホジャイノフ氏が好きです。
レイノルズ選手は引退されましたが、ホジャイノフ氏についての考察や感想も続けます。

日本人にとっての詩である、和歌や俳句は、5個と7個の音のかたまりであることが、詩の体をなす重要な要素です。この場合の音の一つ一つとは、子音と母音のセットです。日本語の単語中においては、英語やロシア語のように、強く発音したり、伸ばしたりする、特別な音節、すなわちアクセントが、決められているわけではありませんし、子音だけでつくられる音がないため、一つ一つの単語はとてもなめらかで、おっとりとした優しい感じに発音されます。一文字はそのまま一音節であり、そして和歌や俳句には、この五つと七つの音節のリズムにこそ、歌があります。
しかも、一語、一語、控えめで繊細な抑揚を持って発音され、一見、同音の異義語を、記号を与えることが困難な発音の差により、区別しています。
「アイ」という単語一つとっても、愛、藍、哀…名詞だけでなく、ここに、合い、会い、などの動詞などを加えると相当数の同音異義語があります。日本語は、文章になると、漢字がなければ理解できませんが、日常会話では、単語それぞれの発音、抑揚の違いにより、違いを聞き分けています。これは文脈からだけではありません、言い分け、聞き分けているのです。前の記事で、「ロシア語も日本語も大体は表記通りの発音」と書いた際の「大体」も、文法的規則として、少数の例外を除けば、説明可能なロシア語と、文法的に規則化することが難しい部分を多分にあわせもつ日本語では、ちょっと意味が違っています。

対して、ロシア語の詩では、母音にアクセントの有る無しによる、強、弱のリズム、そこから作られてくるはっきりとした抑揚によって詩が作られています。よくプーシキンの詩はロシア人(ロシア語)でないとわからないと言われるのは、このロシア語が織りなすリズムを感じることができて初めて、本当の美しさが理解できるからです。
ホジャイノフ氏は、俳句をロシアの詩を詠む様に詠んでおられました。おそらく、理屈で理解していても、五七五のリズムを、ご自身の発音で表現することが困難だったのだと思います。ロシア語を母語とする彼としては当然のことでしょう。一文字が一音節で、その音節の数でフレーズを区切る、そのリズム感が核となるような発音、詠み方は、ロシアの詩には無い形式、そもそもロシア語に限らず、インドヨーロッパ系の他の言語では見られない発音の形式なのですから。もしかしたら、声による発声ではなく、ピアノでなら、また違った表現をしていただけるかも知れないですね。


  蝶の飛ぶばかり野中の日影哉

さて、この引用された句についてですが。この句は、描写されている情景だけでなく、五七五の音のかたまりという観点から見ても、前の記事中の、芭蕉の有名な句と少し趣を異にしています。
文節で区切るなら、

  てふの・とぶ・ばかり・のなかの・ひかげかな

となり、五七五にぴたりあてはまりますが、文として意味を考えるなら、

  てふのとぶばかり・のなかのひかげかな

と、八音と九音に分かれます。五七五のリズムでありながら、そのリズムに乗りきれない。ここが、この句独特の、どこか当所のない、ふわふわと行く先の定まらない、不安定なようでいながら、無秩序ではなく、むしろ、悠久の拡がりを感じさせるところだと思います。意味としてだけでなく、音としても。ホジャイノフ氏が、この句に美しさを感じられた理由の、一つではないでしょうか。

現代では、世界中で、自国の言葉で、俳句に親しむ方が増えているそうです。その場合は、五七五の音節にこだわらず、短い三行句であることと、季節感を出す程度の規則で詠まれているようです。中学校の英語の教科書では、アメリカ人が英語で詠んだという設定で、英語による俳句が載っていました。ホジャイノフ氏ご自身がロシア語で俳句を詠まれたら、どんなものができるのでしょうか。もし、詠まれることがあるなら、いつか披露していただけたらいいのになと思います。…愛媛県松山市の俳句ポストに投稿するとか…。