先日、とあるセミナーを受講していたら、17条憲法とSDGsで共通していることは何ですか?と問いかけられました。私は全く気づかなかったのですが、答えは、17という数字が共通しているとのことでした。実は、言われるまで気づかなかったのですが、SDGsは全部で17のゴールが設定されています。

 

 

 このSDGsもそうですが、17という数字は、17条憲法だけではなく、鎌倉時代に制定された御成敗式目が3つの項目×17で51条、室町時代に制定された建武式目も17条、江戸時代に制定された禁中並公家諸法度も17条となっています。

 

 陰陽五行説によると、17という数字は、陰の極数8と陽の極数9を合わせた数ということで、聖徳太子はこの陰陽五行説に基づき、憲法の項目を17にしたのではとの説もあります。17条憲法を意識した思われる、日本の御成敗式目・建武式目・禁中並公家諸法度が17条を基本としていることはなんとなく分かりますが、SDGsの17項目というのも、もしかしたら、陰陽五行説に影響を受けているのでしょうか?

 

 17条憲法を制定したといわれてる聖徳太子ですが、2021年は、聖徳太子の1400年遠忌にあたるということで、太子ゆかりの法隆寺や、東京国立博物館で、特別展などが開催されています。

 

 

 日本人なら誰でも知っている聖徳太子ですが、昔から実在が疑れており、様々な説が流布されています。最近、私が見た中で一番興味を引かれたのが、聖徳太子=蘇我入鹿説です。蘇我入鹿というと、日本史に詳しい方なら日本史上屈指の大悪人として、記憶されているのではないでしょうか?

 

 これまでの日本史では、天皇を蔑ろにし、専横を欲しいままにしてきた蘇我氏一族が、この状況を憂いた中大兄皇子と中臣鎌足によって成敗されたとされてきました。すなわち大化の改新です。

 

 しかしながら、よくよく調べてみると、蘇我氏は天皇を蔑ろにするような専横は行っておらず、むしろ国力強化に向け、中央集権国家としての体制を整えるべく奮闘しており、それに反発した中大兄皇子と中臣鎌足による反乱との見方もできるようです。

 

 この大化の改新付近の出来事は、後に編纂された日本書紀に記載の内容に基づいているのですが、日本書紀は、中臣鎌足の子孫である藤原氏を中心として編纂されたものです。そのため、その後の歴史上の勝者である藤原氏に都合の悪いことは、基本記載されておらず、歴史の真実を知るためには、日本書紀以外からの様々な情報を収集したうえで、何が真実なのかを突き詰める必要があるようです。

 

 聖徳太子=蘇我入鹿説によると、聖徳太子が行ったとされる17条憲法の制定や、冠位十二階などの制度は、実際には蘇我入鹿が行っていたもので、一種のクーデターで政権を獲得した、中大兄皇子&中臣鎌足コンビが、善政を敷いていたとの事実がある蘇我氏を滅ぼしたのでは都合が悪いため、蘇我氏の業績をすべて抹殺する必要があり、蘇我氏の業績を架空の人物である聖徳太子のものとしたというものでした。

 

 この聖徳太子=蘇我入鹿説の真贋は不明ですが、物事は一面からみるだけではなく、様々な角度から検証することが必要だということを改めて感じました。